― 立春に還る ― (4)b
涙目で顎をさすっている松伯を放っておいて、まったく反応しない女のもとに行く。
二十は越してなさそうだ。浅黒い肌は百姓女か。それにしては今は崩れているが、髷は武家女中のようだし、唯一着ている肌襦袢は木綿ではなく絹だ。
そしてこの女が反応しない理由が、厄介さを増長させている。女に触れ、あちこちを手早く確認していき、舌打ちをもらす。
恨めし気に見ている松伯を呼び寄せ、女の近くに座らせた。
「とりあえず一つ聞く。ここに来たときからこの有様かい?」
こくんと肯いてきた。まったく……後でどうしてくれようかと、ぽかんと頭を一つ叩いておく。
さて、どうするか……試したことはない。が、まあ大丈夫だろう。
袂から今度は小柄を四本引き抜き、必要な範囲を定めて突き刺す。
ふうっと息を吐き、印を結べば小柄同士が光の糸で結ばれた。ついで一音を発すると、光で囲まれた空間が徐々に歪んでいき……。
「なにをした、シキ?」
「【境界】の一部に此岸を重ねたんです」
今住んでいる場所は狭い長屋だし、術には耐えられないだろう。それならば、時折立ち寄る精霊の地の片隅に拵えた茶室ならば、一晩ぐらいはもつだろう。幸いここは最低限の食材は保管されている。
とりあえず炉に火を熾し、糒で粥を拵えながら、松伯を見据える。
「さて、松伯……」
興味深そうにあちこちを忙しなく見ていたが、名を呼ばれると首をすくめた。
「いつ、どうやって、この女が現れた?」
「知らん」
「松伯!」
「いや、だから、ようわからん。気がついたらおったのだ」
駄目だ。一つ一つ解きほぐしていくか……。
「いつ、気づいた?」
「……唐草が来る前だ」
「いなかったと確信できるのは、いつです?」
「……たぶん、蘇芳が戻った後まではなにもなかったと思うが……」
およそ一月近くは、【境界】にいたことになる。宙を見つめ、
「では、蘇芳、煌蓮、獅子丸、氷見、暁、実光の内のどこかですね?」
「うむ、そうだと思う……」
「どこで、見つけたんです。【境界】の出入口なら、すぐに気づくでしょう」
「どこで? ああ、我の身である黒松の影に伏せておった」
だからすぐにはわからなかったのだ……。思わず首を傾げる。まるで女が自らの意思で身を隠したみたいだ。
「それで、見つけてどうしたんです?」
「……」
「松伯?」
まるで子供のように、首を左右に振って、言うのをためらっている。
ふっとため息をこぼすと、目を合わせる。
「松伯、あなたの知りたいという本能を諌めるつもりはありませんよ。だから、教えて頂けませんか? あなたは、見つけたこの女を使って、どうしたんです?」
しばらくして、ようやく重い口を開いた。




