― 立春に還る ― (3)a
道らしくないやや薄暗い乳白色の狭い通路を、昼間と同じ格好で、右手に瓢箪と灰桜色の縮緬で作られた巾着袋を持ち、淡々と歩いていると、無音の空間になぜか波音が微かに聞こえてきた。
暗い光を出す松笠を漂わせ、目的地に着けば、だだっ広い空間だった。
「緋王並みに極彩色にしろとか、櫻妃や雷公並みに緑で覆えとか言わないけどさ、聖域ならもう少し装飾してもいいんじゃない?」
なんもないとつまんないじゃん、威厳とか誇示とか考えないのかねえと、足元で黒猫がブツブツこぼす。
軽く笑うだけで気にすることもなく、唯一存在する一本の黒松の近くで足を止めた。
地べたを這うように成長した、此岸にあれば優に千年は越している、立派な老木だ。
どこぞの変人写真家が見れば、なんとしてでも撮りたいと地団駄を踏みまくるだろう。
だがこの【境界】には、同行者を連れてきたことは一度もない。
ふうっとため息をついて、黒橡色の狩衣、灰白色の長髪と仙人のような顎鬚姿で坐し、昼間に還した杖の記憶をせっせと読み取っている老爺を見下ろす。
まあ、この男にとって何よりのご馳走だから仕方がないと、また一つため息をつき、左手をかざした。
「久しいな松伯、土産だ」
同じく昼間もらった松葉色の狩衣と交換させると、一つうなずく。
「やはり、この色も似合うな……」
もらっておいて正解だ。
「……シキか。これ、やっと戻ってきたぞ。ずいぶん長く生きたんだな。やはり【境界】の影響か……」
勝手に着替えさせられたことを気にも留めず、ひたすら杖の持つ記憶に集中している。
「いや、なんも影響もなく普通に生きて、人並みの寿命を迎えたと思うけどねぇ」
なんか面白いものでも見られたかいと呟き、松伯の隣に座ると、ようやく鈍色の双眸を向けてきた。
「ああ面白いな。思った以上の結末だ」
満足そうにくつくつと低く重い声で笑うと、もう要らぬと手元に戻ってきたばかりの杖を差し出してきた。
受け取った直後、役目を終えた杖はさらさらと崩れていき、穏やかな風に乗ってどこかしらへ消えていった。




