― 立春に還る ― (2)d
中には、展示品と同じような色合いの狩衣と、一本の杖が納められていた。
「椿様の遺言により、樒様ないしは血縁の方にお渡しするようにと、わが家に代々伝わっております」
黒猫がハッと身を起こすと、しっぽを膨らませ、全身の毛を逆立てて唸り声をあげた。
「なにこれ……気色悪い……!」
「椿の遺言……ねぇ」
わめく黒猫を無視し、見事な出来映えの狩衣に、左手を軽く触れる。
「良い出来だな。権力を振りかざした蛆虫どもが椿を欲しがったのが、よくわかるほどの一品だ。まるで無縫のように糸が馴染んでいる」
当時を知っているかのような口調で、最上級の褒め言葉をのべる。だが、あっさりと手を離し、空中で軽く振った。すると、ふわっと透き通った狩衣が浮き上がり、一瞬で消えていった。
「椿の情念が染み込んだ現物は要らない」と呟き、黒猫がうなる原因となった、異様な雰囲気を醸し出している杖へと目を向ける。
「還れないはずだ」
中央部分を掴むと、軽々と箱から取り出した。
男は「えっ」と驚愕するがかまわず、目を細めて持ち手を見据える。
巻きつけてあった錆びた色の布と細長い銀糸のようなものが、いきなり燃え始めた。
黒猫が慌ててテーブルから飛び降り、男も腰を浮かしたが、熱さを感じない火が消えると同時に杖もふっとかき消えた。
呆然と立ち尽くしていた男は、書くものを求められ無意識に、スーツから手帳と万年筆を出して手渡した。
しばらくして、開かれたままの状態で帰ってきた手帳に、目を落とすと我に返り驚きの声を上げ、対面に座っていた客人を見れば、そこには誰も座っていなかった。
ドアの開閉音もしなかったその部屋には、男が一人いるだけで、テーブルにはよれよれにくたびれた感じの狩衣だけが、桐箱に残っていた。




