― 立秋に誓う ― (4)f
木舟は水没したのか跡形もなく、少し離れた場所では鮫が一頭悠然と泳いでいた。
持っていた小石をバラバラと落とし、服を脱ぎ捨てて全裸になる。油をしみ込ませておいたハンカチを服の上に置くと、マッチを擦り服に放った。勢いよく燃えていき、消し炭になるのを待ってから、海水をかけて灰を海に流す。
目についた鋭利な石を拾うと、鮫が泳いでいるあたりまで歩いていく。そのあたりから深くなっているようだ。丁度いい。
石を首もとにあて、力を込めてかき切ると、海へ飛び込んだ。完全に沈まぬうちに首を食い千切られたのがわかった。結構痛いもんだなぁとあたり前のことを思いながら、魂魄を切り離す。
「なにをしているんだ!」
突然真っ裸になり、やせ細った体を傷つけて鮫の餌として与えているのを見れば、驚くのも無理はない。
鮫の食事を最後まで見届けることなく、固まっている藤の精を無視し、軽く跳躍すると先程の場所へ戻った。
「なにをしているのかと、聞いている」
「聞こえている。体は邪魔だから捨てた。ただ捨てるだけではもったいないから、礼として鮫に与えたけだ」
呆然としている藤の精に片手を差し出すと、
「手を出せ。あなたの望みを叶える」
おずおずと出してきた手を掴み、反対の手を無人の【境界】に触れる。
「あなたは望んだ【境界守】として坐すことを。誰にも見向きもされない【境界守】としての孤独を。理解できない。なぜ、同じことをしなくてはならない。まったくもって不本意だ。だが、あなたは望んだ。雷公は頼み、これは承認した。ならば、わたしは叶えなくてはならない」
かつて、神や人間が身勝手に施した方法よりこと細かく丁寧に。文句を言いながら藤の木精を【境界守】に、失われてしまった聖域の【境界守】として祀り上げていく。
二人の姿は島から消え、【境界】の中に出現した。
ここからださらに、かつて飽きて狂っていった【境界守】がしたことと同じことを、各国の【境界】へ通じる道を一本ずつ造り上げていく。
すべての作業を終えるとさすがに倒れ込んだ。
「すまなんだ」
「まったくな。わざわざやりたがるかこれ……」
「探せばおるかもしれぬ。同じように思うものが……」
「頼まれても二度とやるか」
「一つ願いがあるのだが……」
まだなにかあるのか? 起きる気力もないので、倒れたまま続きを促す。
「これの持ち主の名を賜りたい」
「なに?」
「この石が届かなければ、そのまま朽ちるだけだった。彼の意を継ぐものとして、同じ名を賜りたい」
「似合わないな。あなたなら、藤あるいは紫であろうに」
「これがいい」
この新しく生まれた【境界守】は頑固なんだな。似なくてもいいところまで雷公に似てくるのか……。ふらつきながら身を起こすと、無表情で見つめてくる奥の方で期待の色を浮かべている【境界守】を見つめる。
「……わかった。では、雷公。これより彼岸へ渡るまで、そう名乗るがいい」
「ありがたし、此岸の識者どの」
「シキでいい」
「ではシキ。己の寿命が尽きるまで、飽くことも狂うこともなく、そなたを煩わせることなく、【境界守】に祀り上げてよかったと誇りに思わせることをそなたに誓おう」
思わず言葉に詰まった。
「おそらく藤の木としての寿命はあと数百年といったところだろう。無理を言ってまで手に入れた場所だ。それまで決してそなたを煩わせぬよ」
「では雷公。好き好んでなった【境界守】に飽くようなことになれば、この手で【境界】ごと跡形もなく滅ぼすと約定しよう」
言い終えると、再び倒れ込んだ。
「この後はどうする、シキ」
「しばらくはここにいる。まだ道も安定していないだろうし、教えることは多々ある。力を根こそぎ持っていかれたから、ある程度の回復を待ってから彼岸へ渡る」
「では、よく休め」
誰のせいだ、偉そうに……。毒づきながらも、口元には笑みを浮かべていた――。




