- 立夏に偲ぶ - (5)
「……結局私は、読み終えたノートをどうすることもできず、写真とともに引出しに閉まっておくことにしました……」
本を閉じると、シキは我の顔をのぞき込み、「覚えていますか?」と当たり前のことを聞いてきた。
口をへの字にして見上げると、軽く笑い声をあげて両頬をつまんできた。
すぐに離したので、同じことを問い返すと、
「さぁ、どうでしょうねぇ」
思わずむっとして、お返しとばかりにむにーっと柔らかい頬をひっぱってやった。
彼女の膝から頭を名残惜しそうに離すと、立派に成長した己の本体に身を預け、杯を手に取る。シキがすかさず瓢箪を傾けてきた。
「のう、シキ? あのとき何事もなければ、そのままあの小娘と結婚したのか?」
「する予定はもともとありませんでしたよ」
即答するとは思わなかったので目を瞬かせた。シキは苦笑いしながら、ちょっと気になったので、記憶を引っ張りだしたんですよと、さらりと付け足した。
「陽一がしつこくいってくるので面倒くさくて引き受けただけで、地震が起きなければそのまま渡航することにしていたみたいですね。それ以前にあのときすでに、戸籍がない状態で過ごしていましたからね。結婚するとか土台無理でしたねぇ」
「ふーん」
興味のなさそうな相槌をうったが、シキには通じない。
「慣れていることですから、櫻妃が気に悩む必要はないですよ」
そう――文明開化が進んでいようが、地方ではよくあったことだ。
啓介の戸籍が存在していたのは、五歳までだ。
原因不明の病死として処理されたが、実際は十五まで座敷牢で暮らしていた。
食事が運ばれるときだけ牢内にいればあとは誰も寄りつかないので、適当に抜け出したりして大変快適に過ごしていた。
いつものように鍵をいじくり裏山にいたとき、母屋で面倒事が起こったようだった。巻き込まれるのが嫌だったので、これ幸いとそのまま生家を後にした。
そう、いつものことだ。忌み子、鬼子として扱われることなんて……。
櫻妃もそういうことは一切聞いてこない。唯々無言で杯を差し出してくるだけだ。
別に聞いてきても構わないのにと思っていたら、本を指差していた。
「なんです?」
「いかようにするのだ?」
「はい?」
なにを聞きたいのかわからない。
「これだ、これ! それと、これも!」
本をぺしぺし叩き、開くように催促してくる。仕方がないので指定されたページを開く。
……ああ、これ?
「必要ですか?」
啓介はとっくの昔に死んでいる。今の己には叶える義務もなにもない。
だが櫻妃は腕を上げ、あるそぶりをしようとしたので慌ててそれを止めた。
じとーっと見つめてきたので、ため息をひとつ深く零す。
「仕方ないですねぇ。しかしとうの昔に終わったこと。観客もいない夢幻の出来事です。であれば、結びも幻に……しましょうかねぇ」
滅多にない櫻妃の我がままだ。あるものを出して見せると、こと細かく注文してようやく満足そうにうなずいた。やれやれ……ん?
「櫻妃、そろそろ仕舞いですよ」
「……うむ。では、またな……」
「ええ、また一年後、ですね」
荷をまとめて立ち上がり、見上げてくる櫻妃の髪を優しくすくと背を向けた……。




