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レリック・ワールド ~最強の遺跡探索者、銀髪の少女と メイドの自動人形と、終わった世界の謎を解く~  作者: トンエリア
第04編〈海域〉アビス

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第87話 代価は記憶

「先客に会わせてくれ」

 

 俺が言うと、記録官は、ゆっくりと首を振った。


 「ご案内は、いたしかねます」


 「なぜだ」


 「あの方々は、お取引の最中でございますので」


 三月前から、ずっと。取引に三月かかる。あるいは、三月かけても終わらない何かをあの連中は続けている。

 

 「じゃあ、その取引の話を聞かせてくれ。俺たちも客だ」

 

「もちろんでございます」

 

 記録官は両手を組み直して、また丁寧に頭を下げた。

 

「当館は、お客様の求める記録をお渡しいたします。ここには一万年ぶんの記録がございます。天の座のことも、門を開く言葉も、当館の棚にはすべてございましょう」

 

 あっさり言われて、俺は思わず息を止めた。

 あるのか。ここに。

 禁書庫で三日かけて探し当てた行き先の、そのまた先の答えが、目の前の機械の口から、こんなにも簡単に出てくる。

 

「ただし、対価を頂戴します」

 

「記憶だな」

 

「はい。よくご存じで」

 

 記録官は、少しも驚かなかった。むしろ、話が早くて助かるという顔をした。

 

「記録ひとつにつき、記憶ひとつ。等価であることが、取引の作法にございます」

 

「その等価ってのは、誰が決める」

 

「わたくしが」

 

 俺はそこで、顎を引いた。

 

「こっちじゃないのか」

 

「はい」

 

 記録官は、いささかも悪びれなかった。

 

「お客様は、ご自分の記憶の値打ちをご存じありません。人は、大事なものほど、数えずに持っております。ですから、こちらで見立てさせていただきます。ご安心ください。わたくしは、記憶の見立てを一万年やっております」

 

 その言い方には、驕りがなかった。ただ事実を述べている。八百屋がカブの値を言うのと同じ調子で、この機械は人の中身に値をつけると言っている。

 

「見立てを間違えたことは」

 

「ございません。一度も」


 ボズの店を思い出した。

 あの爺さんは、光を溜める板をつまみ上げて、こう言った。値をつけるならこの十倍でも足りん。だが買い手を探すのに半年かかる。だから今日は五分の一だ、と。

 相場を教えたうえで、五分の一を、出す。それが、あの店の作法だった。

 目の前の機械は、相場を教えない。教えないまま、こちらの懐から、自分で選んで抜いていく。

 それを取引と呼ぶのは、たぶん、間違っている。

 だが、こちらには断る余裕がない。門の言葉を持っているのは、この機械だけだ。売り手が一人しかいない市場では、値は売り手が決める。それは、どこの街でも同じだった。


 「やめときなよ、クロウ」


 リルが袖を引いた。その声が、固い。


 「あの人の話、聞いたじゃん。名前だけ抜けちゃった人の」


 「聞いてる」


 「じゃあ」


 「聞いてるから、確かめる」


 俺はリルの手を、そっと外した。

 噂は噂だ。御者の話も、女将の話も、しょせんは又聞きだった。実際に何が起きて、どのくらい持っていかれるのか。それを知らないまま、この先の交渉は、できない。


 「一度でいい。試させろ」


 「クロウ」


 止めたのは、ヴェルナだった。

 この娘が真顔になるのを、俺は初めて見た。


 「腕や脚なら、生えてこなくても諦めがつく。だが、中身を削られるのは違うぞ。削られたことにも気づけん」


 「気づけないから、確かめるんだ」


 言ってから、自分でも無茶だとは思った。だが、ここで引き返せば、俺たちは山を越えてきた意味を、全部捨てることになる。ロレインの地図も、禁書庫の三日も、ボズの環もだ。

 俺は、ノアのほうを見た。

 あいつは、何も言わなかった。ただ、いつもの半分の微笑みを消して、じっとこちらを見ている。反対も、しない。賛成も、しない。決めるのは俺だと、その目が言っていた。


 「小さいのでいい」


 俺は、記録官に向き直った。


 「取るなら、どうでもいいやつにしてくれ。旅の途中で見た石ころの形とか、そういうのだ」


 「小さい、大きいは」


 記録官が、ひどく静かに言った。


 「お客様がお決めになることでは、ございません」


 もっともな話だった。だから、腹が立った。


 「まあ、いい。渡す。何を寄越す」


 「まずは、この館の見取り図を、お渡しします。それと、お客様がお探しの方々が

 どの区画に納められているかを、お伝えいたします」


 「天の座の技師どもか」


 「はい。第四保管区。館の、いちばん奥にございます」


 値としては、破格だと、思った。


 だからこそ、こちらが払う額も、たぶん俺の思っているより大きい。


 「やってくれ」


 記録官が、そっと片手を上げた。

 構えていたが、何も、来なかった。

 痛みもない。眠気もない。頭を触られた感じもない。目の前がぼやけることもなければ、床が揺れることもない。ただ、記録官が手を下ろした。

 拍子抜けするほど、あっけない。刃を抜き合っているときのほうが、よほど何かをやり取りしている感じがある。ここでは、こちらが構えているあいだに、もう終わっていた。


 「頂戴いたしました」


 「もうか」


 「はい。お渡しいたします」


 その瞬間、俺の頭のなかに、館の絵が入ってきた。

 通路の枝分かれ、階段の位置、区画の並び。誰かに教わったのでは、ない。もとから知っていたことを思い出したような感じだった。第四保管区は、この街の通りをまっすぐ抜けて、二度折れた奥にある。

 図の広さに、俺は少し気圧された。表から見た白い箱は、たしかに横に長かった。だが頭のなかに入ってきた図は、それの何倍もある。地の下へ、階が幾重にも重なっていた。


 「気持ちの悪い渡され方だな」


 「慣れていただくほかございません」


 俺は自分の頭を、二度ほど叩いてみた。

 何も、変わった感じが、しない。指の数も、リルの顔も、ここへ来た理由も、全部ある。ノアの名も、リルの名も、ヴェルナの名も出てくる。ヴェルクの家のことも、ギルドのことも覚えている。

 拍子抜けした、というのが正直なところだった。


 「これで終わりか」


 「はい。お取引は、成立しております」


 鯨号へ戻ったのは、日が落ちてからだった。

 あの街に、夜はない。天井の青空は、いつまでも青いままだ。館を出て、雪原の本物の夕暮れを見たとき、俺は妙にほっとした。

 リルが、厨房で鍋をかけている。ヴェルナは甲板で大鎌を研いでいた。俺は食堂の椅子に腰を下ろして、頭のなかの見取り図を、もう一度たどっていた。

 湯気が立ちのぼって、豆と塩の匂いが、流れてくる。

 その匂いを吸い込んで、俺は、ふと思った。

 匂いのある飯というのは、いいものだ。あの館には、これがなかった。


 「ご主人様」


 卓を拭いていたノアが、ふいに手を止めた。


 「ひとつ、うかがってもよろしいですか」


 「なんだ」


 「ご主人様の、故郷の家の朝は、どんな匂いがしましたか」


 妙なことを訊く。

 俺は口を開いて、そこで止まった。

 ヴェルクの家。石造りの狭い家で、竈が土間にあった。母親がいて、朝は早くから、何かを煮ていた。それは覚えている。全部、覚えている。

 だが、匂いが出てこない。

 思い出そうとすると、そこだけが、白い。煮ていたものの名前も、湯気の立ち方も言えるのに、鼻のほうに何も来ない。


 「わからん」


 「そうですか」


 ノアは布を置いて、まっすぐに、俺を見た。


 「ご主人様は、以前わたしにこう仰いました。うちの朝は、いつも煙と、麦を炒る匂いがしていた。あれを嗅ぐと、腹より先に足が台所へ向かった。だから今でも、朝に麦の匂いがすると、その日は上機嫌になるのだ、と」


 俺は、その言葉を聞いていた。

 誰かが、いい話をしている。そう、思った。

 自分が言ったという実感が、まるでない。他人の身の上話を、卓の向こうから、聞かされている。それだけだった。


 「言ったか、俺が」


 「はい。二度」


 「二度も」


 「一度目は、海の底から拾っていただいた年に。二度目は、リルさんが加わった晩に」


 ノアは覚えている。この機械は、俺が言ったことをひとつも落とさない。

 俺が失くしたものを、ノアが持っている。それは救いのようでもあり、そうでないようでもあった。持っていてくれるのは、あくまで言葉のほうだ。匂いそのものは、もうどこにもない。

 鍋の音が、やけに遠く聞こえた。

 持っていかれたのは、それだった。

 母の顔でもない。家の間取りでもない。名前でも、ない。ただ、朝の台所の匂いひとつ。

 言葉にすれば、それだけだ。それだけのことなのに、いま俺の胸のなかには、蓋の開いた箱みたいな場所がひとつできている。中に何が入っていたのかも、もうわからない。


 「よくできてやがる」


 俺は、思わず、笑った。


 「痛くもないし、困りもしない。飯は食えるし、剣も振れる。生きていくのに、何ひとつ支障がない」


 「はい」


 「だから、誰も文句を言わないんだ。名前を置いてきた奴も、それで困ってないと言った。そういう選び方をしてる」


 あの機械は、こちらが日々使わない場所から、抜いていく。日々の役に立たないもの、無くても回るもの。

 役に立たないものから順に取っていく。

 人が、その順で大事にしているわけがないのに。

 厨房から、リルが、顔を出した。

 

「クロウ、できたよ。食べる?」

 

「食べる」

 

 俺は立ち上がった。

 卓につくと、豆の匂いが、はっきりと立ちのぼってきた。塩がきつくて、たぶん明日には忘れる味だ。それでも、いまは匂う。

 俺は一口すすってから、ノアに、言った。

 

「奥に行くぞ。第四保管区だ」

 

「はい」

 

「技師どもに会って、門の言葉を訊く。それと」

 

 俺は匙を置いて、館のある方角へ、顎をしゃくった。

 

「灰色の連中を、探す。三月ぶんも取引を続けてる客が、まともなわけがない」

 

 道は、頭のなかにある。行き先も、決まった。

 だがそれを買うために、俺はもう、ひとつ払っている。

 次に何を抜かれるのかは、俺には選べない。

 それでも、行くしかなかった。


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