第81話 灰色の依頼書
支部長が引き出しから抜き出したのは依頼書の控えだった。
「北へ向かった隊商の話をしたな。三つのうち、二つはこれだ」
俺は受け取って、そこへ目を落とした。
文面はそっけない。北の山脈の縁まで、荷と人を、運ぶ。案内人を三名。期日と、報酬の額。その報酬のところで、俺は、思わず眉を上げた。同じ距離の護衛依頼の、ざっと四倍だった。
そして、紙の下の隅。
依頼主の欄に、印が押されている。
灰色の円のなかに、鍵と歯車を組み合わせた意匠。
喉の奥が、ひとつ鳴った。パラゴンの宝物庫で見た、砕けた記録装置。ヴェルダントの街道で、すれ違った一団。あの痩せた男の口ぶり。同じ紋章が、こんなところで、また出てくる。
「財団か」
「そう名乗ってはおらん。ギルドは依頼主の素性を詮索せんからな」
支部長は椅子に深くもたれて、ゆっくりと、腕を組んだ。
「だが、この三月で北へ人を出したのは、ほとんどこの印だ。しかも、一度きりじゃない。二つ目が戻らんとわかってから、三つ目を出している」
「戻らないとわかってて、また出したのか」
「そういうことになる」
俺はもう一度、報酬の額に、目を落とした。
金で人を買って、消えても、また買う。そういう連中だということは、知っていたつもりだった。それでも、紙に書かれた数字として突きつけられると、腹の底が重くなる。
この三名にも、名前があったはずだ。街のどこかに、戻りを待っている家族がいて、報酬の使い道を話していたかもしれない。北へ入った者が帰ってこないという噂くらい、案内人ならとうに耳にしている。それでも受けたのは、たぶん、そういう額を積まれたからだ。
「何を探してるんだ、あいつらは」
「知らん。だが、探し物があることだけは確かだな」
支部長は俺の手から紙を取り返して、丁寧に、引き出しへ戻した。
「お前が北へ行くなら、必ずぶつかる。覚えておけ」
「忠告か」
「愚痴だ。ギルドから人が消えるのは、気分が悪い」
その言い方が、この人らしかった。俺は椅子を鳴らして、立ち上がった。
紙束のことも、灰色の印のことも、まだ、胸のなかで形になっていない。だが、ひとつだけはっきりしたことがある。北の果てへ向かうのは、俺たちだけではない。
急がなければならない理由が、ひとつ増えた。
ギルドを出ると、通りはもう西日に染まりはじめていた。
石畳が橙に光って、行き交う人の影が、長く伸びている。屋台は店じまいにかかり、その代わりに、酒場の戸口から灯りが漏れはじめていた。昼とは別の匂いが、通りに立ちのぼってくる。
「クロウー!こっちこっち!」
石段の下で、リルが、両手を振っている。その隣で、ノアが荷を提げて、待っていた。もう食料と水の半分は買い付けを済ませたらしい。仕事が早い。
「金の目処、ついたの?」
「これからだ。ボズのところへ行く」
リルの顔が、ぱっと明るくなった。
ボズの店は、大通りから二本入った、路地の奥にある。
なかは、相変わらずの有様だった。
棚という棚に、旧文明の欠片が、隙間なく並んでいる。何に使うのかわからない金具。割れた計器。文字の彫られた札。奥の卓には、ばらされた部品が、地層のように積み上がっている。天井から吊るされた油灯が、その全部を、薄い橙で舐めていた。埃と、油と、古い紙の匂い。
卓の向こうで、痩せた爺さんが、顔を上げた。片目に拡大鏡をねじ込んだまま、じろりと、こちらを見る。
「なんじゃ、生きとったか」
「なんで死んだことになってんだ」
「半月も顔を見せんからじゃ。この街で半月消えるのは、たいてい死んだときじゃ」
「ボズ爺、あたしもいるよ!」
「見えとる。串の匂いをさせおって」
リルが慌てて、袖を嗅いだ。ボズの口の端が、わずかに持ち上がる。この爺さんは、笑うときに顔の半分しか動かさない。
俺は卓に黒匣を置いて、中身をひとつずつ、並べていった。
これまでの遺跡で拾って、使い道がないまま、溜め込んでいたものだ。管制塔で剥がした配線束。砂の下の街で拾った、文字盤に針の残る小さな計器。テーマパークの厨房から持ち出した、切れ味の落ちない小刀。森で拾った、光を溜める葉の形の板。売り物になるかどうかは、俺の目では、判断がつかない。
ボズは黙って、拡大鏡を、覗き込んだ。
ひとつ手に取っては、指で撫で、灯りに透かし、そっと卓に置く。その繰り返しだ。誰も口をきかない。リルまで、息を詰めて見守っている。
やがて、爺さんは、拡大鏡を額に押し上げた。
「配線束は、いらん。この街に腐るほどある」
「そうか」
「この計器も、いらん。動かん」
「動いてるように見えるがな」
「見えるだけじゃ。中身が空っぽでな。こういうのを掴まされた若いのが、毎月何人も泣きに来る」
「小刀は買う。刃の目が旧文明のままじゃ。金物屋が泣いて喜ぶ」
ボズは指を三本立てて、それから、一本だけ曲げた。俺は目を細める。思っていたより、桁がひとつ多い。
「その葉っぱのやつは、どうだ」
「これはな」
爺さんは、光を溜める板を、灯りにかざした。
「エルフの森のもんじゃろう。あそこの品が街に出るのは、この十年で、三度目じゃ。値をつけるなら、この十倍でも足りん。じゃが」
拡大鏡の奥の目が、ゆっくりと、こちらを向いた。
「買い手を探すのに半年かかる。お前さん、半年待てるか」
待てない。ボズも、それをわかって訊いている。
「いくらだ」
「五分の一。それ以上出すと、わしが干上がる」
「それでいい」
安く手放す。だが、こういうときに値を吊り上げないのが、この爺さんの信用だった。相場の五分の一と正直に言って、五分の一を払う。世の中の目利きは、たいてい、相場を教えないまま買い叩く。
リルがこの爺さんを慕う理由も、たぶんそこだった。素性の知れない小娘が持ち込む品にも、こいつは同じ顔で値をつける。
ボズが帳面を開いて、数字を、書き並べた。俺は覗き込んで、ノアのほうを、見る。
「足りるか」
「宿代を削れば」
「削るな。湯が出るところにしろ」
背後で、リルが小さく跳ねた、気配がした。
「北へ行くのか」
ボズが、帳面から目を上げずに、言った。
俺は、答えなかった。何も言っていないはずだった。
「隠すな。外套と手袋を先に買うたじゃろう。この季節に、この街で、北向きの支度をする阿呆はおらん」
「爺さん、目が良すぎるぞ」
「目で食うとる」
ボズは帳面を閉じて、ようやく、顔を上げた。
「北の品が、このところ市に出んのじゃ。街道が細っとるのは知っとるな。あれは魔物のせいでも、雪のせいでも、ない。買い占めじゃ」
「買い占め」
「北向きの毛皮も、乾し肉も、山越えの道具も、片端から先に押さえられとる。値だけが跳ね上がって、品は、残らん。誰がやっとるかは、わしの口からは言わん」
言わなくても、わかった。灰色の円に、鍵と歯車。
串焼きが銅貨一枚上がっていたのも、そういうことだ。あの屋台の親父も、パン屋のおかみも、自分の店の値が上がった理由など知らないまま、じわじわと財布を薄くされている。街ひとつが、遠くの誰かの探し物のために、少しずつ痩せていく。
サーレは、塔に焼かれた。こっちは、じわじわと財布を削られている。かたちは違っても、どちらも、当人たちには理由のわからない痛みだ。
「ボズ。ひとつ、頼みがある」
「銭のかからん頼みなら聞こう」
「北の山を越える。要るものを、あんたの目で選んでくれ」
爺さんはしばらく黙ってから、卓の奥へ、引っ込んでいった。がらくたを掻き分ける音がしばらく続いて、やがて、戻ってきた。
卓に置かれたのは、掌に載るほどの、小さな環だった。
鈍い銀色をしている。縁に細かい目盛りが刻まれていて、中心では細い針が、ゆっくりと震えながら、一方を指している。
「方位の環じゃ。旧文明のもんでな」
俺は環に顔を近づけた。目盛りは細かすぎて、俺の目では数えきれない。針は髪ほどの太さで、根元に、ごく小さな石が嵌まっている。誰も触れていないのに動き続けているということは、こいつはいまも生きているということだ。
「羅針盤か」
「似とるが、別物じゃ。北の山脈から先はな、磁石が狂う。土に埋まった旧文明の何かが悪さをしとるのか、理由は誰も知らん。だがそこでは、まともな羅針盤はぐるぐる回るだけじゃ」
ボズは環を、俺のほうへ、押し出した。
「戻ってこん隊商というのはな、たいてい遭難じゃ。自分の足跡を三日踏んで、それに気づかんまま、消える。これがなければ、お前さんらもそうなる」
俺は環を手に取った。見た目より、ずいぶん重い。針が、俺の手のなかでも同じ方角を指したまま、静かに震え続けている。
この小さな環が、北の果てへの一歩目だ。地図があり、行き先があり、そして、そこへたどり着くための針が、揃った。
「いくらだ」
「持っていけ」
俺は顔を上げた。ボズはもう拡大鏡を目に戻して、別の欠片を、いじりはじめている。
「その代わり、生きて戻って土産話をせい。値のつく話をな」




