第07話 塔の守護者
銀の刃が、煌めいた。
〈黒鴉〉で受けることも、半歩引いてかわすこともできた。こんな一突きを捌くく らい、造作もない。
――けど、刃は来なかった。
銀の切っ先が、ぶるぶると小刻みに震えながら止まっていた。
「い、や……っ。斬らない。わたしは、ご主人様を斬らない!」
ノアの腕が震えている。自分自身の意志と、心臓に植えつけられた命令と。その二つに引き裂かれそうになりながら、彼女は必死で自分の腕をねじ伏せていた。汗のような冷却液が、つうっとこめかみを伝う。
ああ、まったく。こいつは、ほんとにどこまで健気なんだ。
「よく堪えた、ノア」
俺はその震える手首を、そっと押さえてやった。乱暴にはしない。怒鳴りもしない。
「あとは俺がやる。すぐに楽にしてやるから、もうちょっとだけ辛抱してろ」
ノアの黒い瞳に、ほんの少しだけいつもの光が戻る。けど、それも長くはもたない。彼女の指先が、また小さくこわばりはじめた。早いとこ元を断たなきゃ、いずれノアは丸ごと持っていかれる。
俺はノアの脇をすり抜けて、心臓へ向き直った。
多面体の本体は、もうすぐそこだ。青白い光の脈が、いちばん濃く集まる中心。あそこに〈黒鴉〉を突き立てて、命令を一行書き換えてやる。それでこの茶番は終わる。
刃を振りかぶった。
その瞬間だった。
空洞全体がぐらりと大きく揺れた。
地震か、と思った。違う。まるで助けを呼ぶみたいに、心臓がこれまでとは違う悲鳴みたいな甲高い音を発した。
そしてそれに応える何かが、目を覚ました。
俺の足元の、ずっと向こう。
空洞の床全体が、低い地鳴りとともに震え始めた。
次の瞬間、円形に切り取られた床がゆっくりと沈み込み、その周囲に幾重もの光が走る。
それは床ではなかった。
巨大な昇降機――古代文明が造り上げた途方もない大きさのエレベーターだった。
重々しい駆動音を響かせながら、そのプラットフォームが地下の闇からせり上がってくる。
最初に見えたのは頭だった。次に肩。腕。胴。
エレベーターが上昇するにつれ、巨大な影が少しずつ姿を現していく。
やがて全身が光の中へと浮かび上がった瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
でかい。
まず、それしか言葉が出てこなかった。
ヘヴィ・センチネルが、まるで子どものおもちゃに見える。桁外れの巨体だ。鈍く黒光りするぶ厚い装甲。関節の隙間から、青白い光が漏れている。片腕は、塔の防衛砲をそっくりそのまま生やしたみたいな、ごつい砲塔。もう片方の腕には、俺の背丈よりも長い一枚刃の大剣。背中からは何十本もの太いケーブルが、まるで臍の緒みたいに伸びて、心臓と直接つながっていた。
そいつの胸の、ちょうど真ん中で、心臓とそっくり同じ青白い光が、どくん、と一度、大きく脈打つ。
それまでわらわら湧いていたオートマタどもが、ぴたりと動きを止めた。雑魚は雑魚なりに、こいつには序列ってものをわきまえてるらしい。みんな、巨人に道を譲るみたいに後ろへ下がっていく。
「最終守護機関、起動。侵入者を、排除する」
守護者、ときたか。
なるほどね。一万年も眠ってた塔の、最後の最後の番人ってわけだ。雑魚を蹴散らされ心臓に手をかけられて、ようやく本気で俺達を潰しにきやがった。
「……デカブツが出てきやがったな」
俺はぼやいた。半分は強がりだ。けど、こういうときに口を閉じてると、足のほうから震えてきちまう。
考えてる暇はなかった。
守護者の大剣を握った腕が、ぶうんと地を這うような重い音を立てて、横ざまに薙ぎ払われた。
速い。
あれだけの質量が、ありえない速さで動く。風圧だけで、頬がびりびりした。
俺は反射的に地を蹴った。膝を畳んで、低く転がる。頭のすぐ上を、刃が通り過ぎていった。直後、さっきまで俺が立っていた場所の床が轟音とともに爆ぜる。床石が粉々に砕けて、礫みたいに四方へ飛び散った。俺は腕で顔をかばいながら立ち上がる。
たった一振り。たった一振りで、地下空洞ぜんぶがびりびりと震えた。
「クロウ!無事!?」
リルの声が飛んでくる。返事より先に、彼女の杖が唸りをあげた。
光の砲弾が、守護者の横っ面をまともに撃ち抜く。あのヘヴィ・センチネルですら、頭から消し飛ばす一撃だ。
守護者は。
首を、ほんの少しかしげただけだった。
着弾した装甲が、ぱっと火花を散らしてえぐれる。けど――それだけだ。倒れない。よろめきもしない。あんな直撃を受けて、巨人はまた、ゆっくりとこっちへ向き直った。
「うそ、でしょ……」
リルがめずらしく声を震わせる。
そして、もっと信じられないことが起きた。
えぐれた装甲の傷口へ、背中のケーブルを通して、心臓から青白い光がすうっと流れ込んでいく。すると、めくれた装甲が、まるで時間を巻き戻すみたいに、見る間に元どおり塞がっていった。
ほんの数秒。数秒で守護者は、何事もなかったみたいに無傷へ戻った。
俺は、ようやくこいつの正体を理解した。
こいつは、自分一人で立ってるんじゃない。心臓から、絶え間なく力をもらってる。だから、どれだけ傷つけようが、心臓が生きてるかぎり、何度でも修復される。
つまり、だ。
「リル!こいつをいくら撃っても無駄だ!心臓とつながってる!殴った端から治っちまう!」
「えぇ!?じゃあ、どうすんの!?」
「元を断つ!心臓さえ止めれば、こいつもただの鉄くずになる!」
言いながら、俺は奥歯を噛んだ。
理屈はわかった。けど、その心臓の真ん前に、この傷つかない巨人が、どっかりと立ちはだかってる。守護者の役目は、たった一つ。俺たちを心臓に近づけないこと。それだけのために、こいつはここにいる。
厄介だ。とびきりに。
だったら、こじ開けるしかない。
俺は〈黒鴉〉を握り直して、守護者の懐へ飛び込んだ。
狙うのは、足だ。あの巨体を、まず転ばせる。膝の関節、装甲の継ぎ目。そこへ、青白い刃を全力で叩き込んだ。
硬い。
手応えが、岩を斬りつけたみたいだった。それでも、〈黒鴉〉の刃は、関節の隙間に確かに食い込む。火花が散った。守護者の巨体が、わずかに傾いだ。
いける。一瞬、そう思った。
次の瞬間、視界の端で何かが光った。
ノアだ。
操られたノアが、いつの間にか、俺のすぐ横まで来ていた。銀の刃が、俺の死角から、横腹を狙って滑り込んでくる。
舌打ちして、俺は跳びすさった。守護者の足から、刃を抜く。せっかくの一撃が、台無しだ。
ノアの刃が、俺のいた空間を薙いだ。彼女は、表情のない顔で、また刃を構え直す。
「ノア、頼むからそこをどいてくれ」
返事は、ない。当たり前だ。
厄介なのは、ノアの体術が本物だってことだった。旧文明の、王室付き。きっと、戦うために作られた機体だ。下手な人間の兵士より、ずっと速い。そいつが心臓に操られて、俺の邪魔をしてくる。傷つけずに、いなし続けるしかない。これが、地味に効いた。
その隙に、守護者は、もう体勢を立て直していた。
大剣が、また振り下ろされる。ノアをかばう位置まで跳んで、躱す。今度は砲塔が、火を噴く前触れに、低く唸りはじめた。
雑魚の群れも、じわじわと距離を詰めてくる。
四方が、敵だ。
「クロウ、こっち!固まってたら、まとめて狙われる!」
リルが叫ぶ。
彼女は、雑魚の壁を光弾で吹き飛ばしながら、必死で、俺とノアの側面を守ってくれていた。たった一人で、こんな数を抑え込んでる。さすがの戦女神も、息が上がりはじめてた。汗で、銀の髪が頬に張りついている。
「すまん!助かる!」
俺は、ノアの刃をいなしつつ、リルのほうへ後退した。
じりじりと、心臓から引き離されていく。
まずい流れだ。守護者は無傷。ノアは操られたまま。雑魚は無限。こっちは、消耗していく一方だ。このままじゃ、じり貧になる。
いったん、態勢を立て直さなきゃならない。
守護者が、こっちへ、また一歩を踏み出した。
たった一歩。それだけで、足元の床が、ずん、と陥没して、空洞全体が揺れる。
次の瞬間、砲塔の腕が、ぐるりと回って、その黒い砲口が、まっすぐ俺たちのほうを向いた。先端の奥で、青白い光が、ぎゅっと収束していくのが見える。
まずい。あの、塔の防衛砲だ。撃つ気だ。
「リル、散れ!巻き込まれるぞ!」
叫ぶのと、砲塔が火を噴くのは、ほぼ同時だった。
極太の、青白い光の柱が、ごう、と空洞を薙いだ。
俺は、考えるより先に、横へ跳んでいた。間一髪。背中のすぐ後ろを、灼けつくような熱の塊が通り過ぎていく。髪の先が、ちりっと焦げた。
光が消えたあとを見て、ぞっとした。
砲撃が舐めていった地面が、まっすぐ、深い溝になって抉れている。岩がどろりと溶けて、まだ赤く光ってた。あんなものをまともに食らったら、いくら旧文明の強化服を着てても、俺の体は消し炭だ。
体勢を立て直しながら、俺はリルを探した。
いた。彼女も、間一髪で砲撃を跳んでかわしたところだった。けど――まだ、空中だ。着地の体勢が、整っていない。無防備な、一瞬。
その一瞬を、守護者は、見逃さなかった。
巨人が、大剣の腕を、高々と振りかぶる。今度の狙いは、俺じゃない。
リルだ。
空中で身動きの取れないリルの、ちょうど真上に、あの巨大な刃がかざされた。
間に合え。間に合ってくれ。
俺は、全力で地を蹴った。脇腹の傷が、悲鳴をあげる。構うもんか。
刃が、リルめがけて、振り下ろされる。




