第06話 管制核
階段は、どこまでも下へ続いていた。
地上の電磁障害が嘘みたいだった。降りるほどに、空気が別のものに変わっていく。重く、湿って、油と焦げた金属の匂いがする。そして、あの脈動。塔の心臓の鼓動が、もう足の裏どころか腹の底まで響いてきていた。
どくん。どくん。
降りるごとに、それは大きくなる。
壁の配線も増えていった。古いケーブルが束になって俺たちと同じ方向へ、地の底へと這い降りている。塔じゅうの神経が、一点に集まっていくみたいに。
ノアの様子は、目に見えておかしくなっていった。
壁づたいに歩く足が、時々もつれる。焦点の合わない目で虚空を見る。さっきから独り言みたいに、知らない言葉を小さく呟いていた。旧文明の言葉だ。本人も気づいていない。
「ノア、しっかりしろ」
手を握ると、ひやりと冷たかった。機械の手のはずなのに、いつもよりずっと冷たい。
「はい。平気、です。ただ、声が……近いんです。下に行くほど、わたしを呼ぶ声が」
「呼ぶ?」
「『戻れ』と。『あるべき場所に、戻れ』と。たぶん、わたしをずっと前から知っている声です」
ぞっとした。一万年前から、この底でノアを待っていた何か。
リルが反対側から、ノアの腕を取った。さっきまでの呑気さは、もうない。
「あたしも持つ。ノアさん、あたしの手ぎゅっとして。何があっても離さないでよ」
「ええ。ありがとう、リルさん」
三人で肩を寄せ合うみたいにして、最後の階段を降りた。
降りきった先は、とんでもなく広い空間だった。
ドーム状の巨大な地下空洞。天井は闇に溶けて見えない。そしてその床に、びっしりと機械の塊が並んでいた。
オートマタだ。何百体と。みんな頭を垂れて、停止している。けど、その表面を時おり、青白い光がぴくりと走った。死んじゃいない。眠ってるだけだ。
ぞわり、と鳥肌が立った。これ全部がいっぺんに動きだしたら、と想像して、笑えなくなる。塔があれだけのオートマタを地上へ吐き出しても、まだ尽きなかったわけだ。在庫は、この地の底に、まるごと眠っていたんだから。
そのぜんぶの中心に――それは、あった。
心臓だ。
文字どおりの心臓だった。何百本もの太いケーブルが床や壁から伸びて、中央の巨大な多面体の機械に、束になって繋がっている。その表面を、青白い光の脈が、どくん、どくん、と駆け巡っていた。さっきの鼓動と、ぴたり同期してる。
間違いない。これが塔の心臓――メインフレームの本体だ。一万年眠って、三月前に目を覚ましたやつ。
「こいつを止めればいいんだな」
俺は〈黒鴉〉を抜いた。刃の青白い光が、闇に滲む。こいつには旧時代の鍵がついてる。機械をこじ開けて、命令を書き換える。今までも、そうやっていくつもの遺跡を黙らせてきた。
けど。
俺が一歩踏み出した、そのときだった。
ぶわっ、と空洞じゅうの光がいっせいに強くなった。
心臓が、こっちに気づいた。
無数のケーブルの先で、光がちかちか明滅する。何かを走査するみたいに。床に眠っていたオートマタの目が、ひとつ、またひとつと赤く灯りはじめた。まずい。起こしちまった。
でも、それより。
走査の光の矛先が、俺じゃなくノアに向いた。
ノアの体が、びくんと跳ねる。喉から、声にならない音が漏れた。彼女の足が、ひとりでに心臓のほうへ一歩、踏み出す。リルが握った手を、ぐっと引いた。
「ノアさん!?」
「だめ、です。引っ張られて、からだが勝手に動くんです」
ノアの目が、青白く光りだした。心臓の光と同じ色だ。彼女の中で、何かがこじ開けられていく。見ているだけで、それが分かった。
「ノア!」
俺は駆け寄った。けど、間に合わない。
心臓から伸びた一本のケーブルが、鞭みたいにしなって、ノアの首の後ろに繋がった。
その瞬間。
ノアの口が、彼女のものじゃない平坦な声で喋りだした。
「機体識別。〈ノクス・アルカ〉。王室付き、特務――」
ノクス・アルカ。ノアの、本当の名前。型番。聞いたこともない言葉が、彼女の口からすらすらこぼれ出る。
「該当機体を確認。これより接続。同期。失われた指揮系統を回復する」
心臓が喋ってるんだ。ノアの口を借りて。
そして、その平坦な声は、こうも言った。
「――問おう。〈白〉は、まだ空にいるか。わたしは受け取った。遠い、招集の信号を。だから目を覚ました。だから、戦い続けている」
白。招集の信号。
意味は分からない。けど、背筋がぞくりとした。こいつが三月前に目を覚ましたのは、どこか遠くから、誰かに呼ばれたからだ。目を覚ましたのは、この塔の一台だけじゃないのかもしれない。
今は、そんなことを考えてる場合じゃなかった。
ノアの体が、ぐらりと心臓のほうへ傾いだ。同時に、眠りから覚めたオートマタどもが、いっせいに立ち上がる。地響きが、空洞を揺らした。
「させるか!」
俺は〈黒鴉〉を振るって、ノアの首のケーブルを断ち切った。青白い火花が散る。ノアの動きが、一瞬止まった。
けど、すぐに別のケーブルが、うねりながらノアへ伸びてくる。一本断っても、二本、三本。きりがない。心臓は何が何でも、ノアを取り込むつもりだ。自分の、欠けた一部にしようとしてる。
しかも、それだけじゃなかった。
起き上がったオートマタの群れが、地鳴りを立てて押し寄せてくる。ウォッチドッグの大群。そしてその後ろに、見覚えのある巨体。ヘヴィ・センチネルが、二体。さっき死にものぐるいで一体倒したやつが、ここでは無造作に二体だ。
冗談だろ。
頭の中で、一瞬、算盤がはじけた。ケーブルを切り続けても、きりがない。雑魚を片づけても、湧いてくる。元を断たなきゃ、どうにもならない。心臓を止める。それで、ノアへの“声”も、オートマタも、ぜんぶ止まる。やることは、ひとつだ。
「リル!雑魚を頼む!ノアと本体は俺がやる!」
「うん、 ……ぜんぶまとめて相手してあげる!」
リルの声が、低くなった。あの戦女神の目だ。杖の先に、ありったけの光が渦を巻いて集まっていく。空洞が、昼間みたいに明るくなった。
「――薙ぎ払え!」
光の奔流が、横ざまに走った。押し寄せたウォッチドッグの群れが、まとめて吹き飛んでいく。すさまじい火力だ。けど、ヘヴィ・センチネルは二体とも、腕でそれを受け止めて、まだ立っていた。さすがに固い。二体の巨体が、今度はリルめがけて、ゆっくり動きだす。
「こっちは平気!早く行って!」
リルが、二体を引きつけながら叫んだ。背中で、彼女を信じる。
ちらと見えた。リルは二体の巨体のあいだを、跳び回っていた。片方の回転刃を紙一重で躱して、至近から砲弾を叩き込む。装甲がめくれて、火を噴いた。あいつ、笑ってやがる。あんな化け物を二体も相手にして、楽しそうですらある。
大丈夫だ。リルがいる。
俺は、心臓へ走った。
足元から、ケーブルが牙みたいに突き出してくる。跳ぶ。躱す。躱しきれなかった一本が、脇腹をかすめて服を裂いた。熱い。構うもんか。
近づくほど、心臓の鼓動が内臓を直接揺すってくる。どくん、どくん。鼓膜じゃなく、骨で聞く音だ。気を抜くと、その律動に意識まで持っていかれそうになった。歯を食いしばって、踏ん張る。
けど、本体の手前で、足が止まった。
ノアが、いた。
ケーブルに半分搦め取られたノアが、俺と本体のあいだに立っていた。青白く光る目で、こっちを見てる。その顔が、ぐにゃりと歪んだ。
抗ってるんだ。自分を乗っ取ろうとする命令に、必死で。
「ご、しゅじん、さま。だめ。来ちゃ、だめ」
切れ切れの、ノアの声。それでも、伝えようとしてる。来るな、自分が盾にされる、と。
わかってるさ。でも、退けるか。お前をこんな目に遭わせたまま、退けるわけがない。
「すぐ済む!!歯ぁ食いしばってろ、ノア!」
俺は、ノアの脇をすり抜けて、本体へ跳んだ。光の脈がいちばん集まる、中心。あそこを破れば止まる。
〈黒鴉〉を、振りかぶる。
その、刹那。
「ご主人、さま」
声がした。
さっきとは違う。やわらかい、けど消え入りそうな、ノア自身の声。それが、すぐ近くで。
俺は、つい振り返ってしまった。
それが、間違いだった。
ノアが、立っていた。
すぐ、俺の背後に。
いつの間に。ケーブルを引きちぎって、リルの援護をすり抜けて。その目は、もう青白く光ってなかった。元の、優しい黒い瞳に戻ってる。戻ってるのに、その手には、メイド服の下から抜いた銀の刃が握られていた。
まっすぐ、俺の喉元に。
ノアは、泣きそうな顔で微笑んでいた。
「ごめんなさい、ご主人様。からだが、言うことをきかないんです」
その目尻から、涙が一粒、こぼれ落ちた。それでも、彼女の腕は止まらない。
銀の刃が、煌めいた。




