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レリック・ワールド ~最強の遺跡探索者、銀髪の少女と メイドの自動人形と、終わった世界の謎を解く~  作者: トンエリア
第04編〈海域〉アビス

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第77話 代償

 目を開けると、見慣れた、粗末な天井があった。

 ロレインの家の、あの狭い居間だった。頬に触れる床の硬さが、なつかしいくらいに現実だった。俺はたっぷり数秒かけて、自分が夢から戻ってきたことを理解した。


「クロウ!よかった、起きた!」


 枕元でリルが、泣きそうな顔で俺の肩を揺すっていた。ずっと、俺の体を守り続けてくれていたのだろう。俺はなんとか笑ってみせて、重い上体を起こした。長い夢の潜行は、思った以上にこっちの体力を削っていたらしい。どれくらい、あちらにいたのだろう。感覚では、ほんの数刻。だが、体のこわばりようからするとまる一日は眠り込んでいたのかもしれない。喉が、からからに渇いていた。それでも、生きて戻ってこられた。ノアが繋ぎとめてくれた、あの細い糸のおかげだ。

 だが、そんな疲れも、次の光景を目にした瞬間どこかへ吹き飛んだ。

 居間の隅で、痩せ細った女がゆっくりとまぶたを開けていた。ユナだ。ひと月ものあいだ、こんこんと眠り続けていた、あの母親が。夢のなかで別れを告げた通り、こうして、現実の体へと還ってきたのだ。


「……母、さん?」


 その傍らで、ミオが目を真ん丸にして、母の顔を覗き込んでいた。信じられない、というように。ユナの乾いた唇が、かすかに動く。掠れた、けれど確かな声で、我が子の名を呼んだ。


「ミオ……」


 ミオの顔が、くしゃりと歪んだ。次の瞬間、火がついたように泣きだして、母の胸へ、思いきり飛び込んでいく。ユナの痩せた腕が、その小さな背中をそっと抱きしめた。

 少し離れた戸口で、ロレインが立ち尽くしていた。手にした栄養剤の瓶を、取り落としそうになりながら。その顔が、ぐしゃぐしゃに崩れていく。ずっと張りつめ続けていたものが、音を立ててほどけていくようだった。


「母さん、ほんとに、ほんとに起きたの?」


 ロレインも、堪えきれずに駆け寄っていく。母と弟の、その輪のなかへ。三人はしっかりと抱き合って、いつまでも泣いていた。ひと月ぶりに、あの家に、家族の朝が還ってきたのだ。

 俺はその光景から、そっと目を逸らした。踏み込んじゃいけない、家族だけの時間だ。だが、胸の奥がじんと熱くなるのはどうにも止められなかった。この一夜、死ぬような思いをして夢の底まで潜った甲斐が確かにあった。あの姉弟の泣き笑いを見られただけで、何もかも報われた気がした。


 俺はノアを探した。

 あいつは、俺の少し後ろで、静かに膝をついていた。黒鴉を胸に抱いたまま、じっと目を閉じている。夢のなかで、あれだけのことをやってのけたのだ。管理者の力を振るい、天の号令に真っ向から逆らってみせた。その反動が、小さいはずはなかった。


「ノア。無事か」


 声をかけると、ノアはゆっくりと目を開けた。いつもの、半分だけの微笑みがその顔に浮かぶ。


 ――はい、ご主人様。少し疲れましたが、大丈夫です。


 その声を聞いて、俺は心底ほっとした。ノアが、ノアのまま、ここにいる。あの塔に呑まれもせず。天の号令に、書き換えられもせず。それだけで、もう十分だった。

 夢のなかで、ノアは己の出自を突きつけられた。人を見守るために造られた、管理者。案内人と、同じもの。それでも、あいつはその定めに呑まれなかった。わたしはノアだ、と。あの人の隣を選んだ、ただ一人のノアだ、と。あの一言を、俺は生涯忘れないだろう。だが、その古い記憶が、あいつのなかにどんな傷を残したのか。それは、まだ聞けずにいた。

 塔のほうを見やる。あの巨大な球体――案内人は、いまや穏やかな光を、ゆったりと明滅させているだけだった。村を縛りつけていた、あの禍々しい気配はもうどこにもない。長い務めからようやく解き放たれて、静かにまどろんでいるようにも見えた。救えたんだ、と思った。壊さずに。看取るように。村人も案内人も、誰一人切り捨てずに。旅に出てからこっち、こんなに後味のいい終わり方はそうそうなかった。柄にもなく、俺は少しだけ誇らしい気分だった。

 これで、終わった。俺はそう思った。

 だが、それは、あまりにも甘い見立てだった。


 異変は、前触れもなく訪れた。

 まず、空からの号令がぴたりとやんだ。ずっと頭の奥で鳴り続けていた、あの旧文明の言葉が嘘のように消えた。奇妙な静寂だった。俺は思わず、天を見上げた。

 次の瞬間、その静寂を引き裂いて、まったく別の“声”が降ってきた。

 それは、これまでの号令とは、似ても似つかなかった。命令ですらない。もっと無機質で機械的な、ただの“判定”だった。旧文明の言葉が、鋭い針のように頭の奥へ突き刺さってくる。


 個体、逸脱ヲ確認。任務ヲ放棄シ、住人ノ帰還ヲ拒ンダ個体。修正、不能ト判断。当該個体ノ、除却ヲ、開始スル――。


 除却。その意味を悟った瞬間、背筋が、ぞっと粟立った。案内人を、消す。任務に背いた、たった一体の機械を。まるで、盤上から不要な駒を指先で弾き飛ばすように。その口ぶりには、怒りも憎しみもなかった。あるのは、ただどこまでも乾いた事務的な響きだけ。それが、かえって俺をぞっとさせた。この声の主にとって、案内人も村人も、俺たちも、数ある処理対象の一つでしかないのだ。

 空の彼方の“声の主”は、この村で起きたことを、すべて見ていたのだ。一体の管理者が、任務に背き、住人を夢から解き放ったことを。考えてみれば、当然だったのかもしれない。あれだけ大きな号令を、世界じゅうに放てる存在だ。その号令に真っ向から逆らった一塔があれば、目に留まらないはずがない。俺たちは、うまくやったつもりで、その実、いちばん危険な相手の注意をこの村へ引き寄せていた。そして、それを正すべき“逸脱”と断じた。もう、案内人を操ろうとはしていない。ただ、壊れた道具を捨てるように、この場から消し去ろうとしている。


 塔のてっぺんの、はるか上空。分厚い雲が、ぐるりと渦を巻きはじめた。

 その渦の中心に、青白い光の点が生まれる。みるみる、それが膨れ上がっていく。まるで、天そのものが、この村へ向けて照準を定めているかのようだった。

 案内人の球体が、びくりと震えた。


 ――ああ。とうとう、来てしまいましたか。


 その声は、不思議なほど静かだった。


 ――わたしは、任務を放棄しました。あなたの言葉に従って、住人を本当の家へ還した。あの方から見れば、それは、許されざる過ちなのでしょう。ですが、後悔は、していません。


 その言葉に、俺は返す言葉を失った。こいつは、覚悟のうえだったのだ。俺の頼みを聞き入れて、住人を還したその瞬間から、この結末をどこかで見据えていたのかもしれない。悪意なき留守番は、最後の最後に、自分の意志で正しいと信じる道を選んだ。そして、その報いを静かに受け入れようとしている。


「おい、待て。あんた、消されるってのか。そんな。せっかく、わかりあえたばかりだろうが!」


 俺は球体に向かって叫んだ。だが、天から降りそそぐ光は、もう止められそうになかった。案内人の光が、それに応えるように、ふっと和らいだ。


 ――どうか、逃げてください。あの光は、この塔ごと、わたしを消し去るでしょう。巻き込まれれば、あなたがたも、ただでは済みません。せめて、最後に。あなたがたを逃がすくらいのことは、させてください。それが、目を覚まさせてもらった、わたしの、せめてもの礼です。


 案内人の球体が、まばゆく光を放ちはじめた。

 その光が、俺とノアとリルを、そして村人たちを、まるごと包み込んでいく。塔から、村の外へ。天の光が届かない、遠くへと押し出そうとするように。


「よせ!あんた一人を、置いていけるか!」


 俺は抗おうとした。だが、体が動かない。案内人の力が、俺たちを、優しく、けれど有無を言わさず遠ざけていく。やめてくれ。あんたを見捨てて、逃げるなんて。そんなことのために、俺はこの村へ来たんじゃない。だが、いくら叫んでも、いくらもがいても、その優しい光は、俺たちを確実に塔から引き剥がしていく。案内人の、最後の願いだった。それを無下にすることは、どうしてもできなかった。

 その視界の、いちばん端で。

 天から降りそそいだ青白い光の柱が、ついに、塔のてっぺんを貫いた。

 目を灼くような、閃光。遅れて、腹の底を揺さぶる、轟音。あの、星を閉じ込めたような美しい球体が、まばゆい光のなかで音もなく砕けていくのが見えた。長い夜を、たった一人で見守り続けた、悪意なき留守番の、最期だった。あっけない、幕切れだった。何百年も、この村を抱え続けてきた機械が、たった一瞬で光の塵になった。悲鳴も、断末魔もなかった。ただ、務めを終えた者の静かな消滅だけ。俺は崩れ落ちる塔を、遠い村外れからただ見つめることしかできなかった。握りしめた拳が、震えていた。

 そして俺は悟ってしまった。あの空の彼方の“声の主”は、生半可な相手じゃない。逆らう者を、村ごと塔ごと、塵に変える力を持っている。俺たちが追いかけてきた信号の、その大元は――想像を絶するほど、遠くて、大きくて、そして無慈悲だった。こいつと、俺たちは渡り合わなきゃならない。あの空の、はるか彼方で。信号の出どころを断たない限り、世界じゅうの村が、この村と同じ運命を辿る。だが、たったいま目の前で、一つの塔が塵になるのを見た。勝てるのか。こんな相手に。柄にもない弱気が、胸をよぎった。

 村に、朝が還ったばかりの、その空で。

 次の刻限を告げる、新たな号令が、静かに鳴りはじめていた。

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