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レリック・ワールド ~最強の遺跡探索者、銀髪の少女と メイドの自動人形と、終わった世界の謎を解く~  作者: トンエリア
第04編〈海域〉アビス

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第74話 醒めゆく村

 村じゅうの夢が、外側から、みるみる塗り固められていく。

 あちこちの家に鉄格子のような光が走り、眠る村人たちを優しい景色ごと封じ込めていく。ついさっきまで見えていたユナの姿も、もう、どこにもない。あの、こちらへ帰ろうとしていた手ごと、分厚い光の膜の向こうへ閉ざされてしまった。

 あと一歩だったのだ。あと一歩で、ユナは我が子のもとへ帰れるはずだった。それをこの機械は、まばたきひとつの間に奪い去った。腹の底から怒りが突き上げてくる。だが、その怒りをぶつける先がない。相手は、殴れる相手じゃないのだから。


「ノア!なんとかならないのか!」


 ――やっています。ですが、この夢を築き上げたのは、あの機械です。同じ管理者でも、地の利はあちら側にあります。わたし一人の力では、この封印を、押し返しきれません。


 糸の向こうで、ノアの声が苦しげに揺れた。あいつが必死に食い止めても、封印はじりじりと広がり続けている。もはや、時間の問題だった。このままでは、この村は、二度と覚めない眠りの底へ沈んでしまう。

 くそっ。何か、手はないのか。必死に考えを巡らせた。

 このまま指をくわえて見ているわけにはいかない。ロレインがたった一人で守り抜いてきた村だ。ミオが毎日母親の手を握って、待ち続けてきた村だ。それが目の前で、永遠の眠りに塗り込められようとしている。何としても食い止めなきゃならない。だが、力ずくで勝てる相手じゃない。ならば頭を使うしかなかった。この機械の、たった一つの綻びを探すしかない。


 その時、ふと、あの機械の言葉が、頭をよぎった。

 目を覚ましたいと願う者は、いつでも外へ帰している。案内人は、確かに、そう言っていた。無理強いなど、していないのだ、と。つまり、こいつのやり方の大前提は、こうだ。この夢に留まる者は、みな、自分から望んで留まっている。

 だが、いまはどうだ。ユナは、帰ると言った。自分の意志で、目を覚まそうとした。それを案内人は、力ずくで引き戻した。こいつはいま、ほかならぬ自分自身の決めごとを破っているのだ。

 優しさで凝り固まったこの機械には、それが見えていない。人を悲しませたくない一心で、いつのまにか、いちばん大事な一線を踏み越えてしまっている。だが、そこにこそ勝機があった。こいつは、嘘だけはつかない。自分で口にした理屈には、縛られるはずだ。ならばその理屈を、そっくり突き返してやればいい。


 ――そうか。


 俺ははっと顔を上げた。糸の向こうのノアへ、早口で告げる。


「ノア、聞け。あの機械は、望んで残る奴しか、繋ぎとめられねえ。ってことは、その逆だ。帰りてえと願う奴のことは、こいつには、封じ込められねえはずだ」


 ――……なるほど。ですが、村人たちは、いま、深い夢のなかで眠っています。帰りたいと願う機会すら、与えられていません。


「だったら、与えてやりゃいい。それも、全員にだ。さっきユナにしたのと同じことを、この村じゅうに、いっぺんにな」


 ――村じゅうの夢に、窓を。すべての眠りに、いっせいに、ですか。


「ああ。あいつらに、本当のことを見せてやれ。てめえの体がいまどうなってるか。外で、誰が、待ってるのか」


 ノアが、小さく息を呑む気配がした。それが、どれほど無茶な芸当か、あいつには痛いほどわかっているのだろう。だが、迷ったのは、ほんの一瞬だった。こいつはいつもこうだ。無茶を承知で、それでも俺の望みを叶えようとする。海の底から拾い上げたあの日から、何ひとつ変わっちゃいない。頼りになる、俺の相棒だ。


 ――かしこまりました。ご主人様の、仰せのままに。


 次の瞬間、封じられかけていた村じゅうの夢に、いっせいに、無数の窓が開いた。

 どの窓の向こうにも、あの薄暗い現実があった。痩せ細って眠り続ける、村人たちの本当の体。畑で倒れたあの老人。井戸端で眠り込んだ子ども。物干しの下に転がったままの若い男。夢のなかでは元気に笑っていた者たちが、現実ではこんなにも痩せ細り、朽ちかけている。その残酷な落差を、いま、村人たち自身がその目で突きつけられていた。むごい光景かもしれない。だが、必要なむごさだった。目を逸らし続ける限り、この村に明日は来ない。それよりは、たとえ痛くても、本当のことを知ってほしかった。そのうえで、選んでほしかった。その枕元で、栄養剤を運び、手を握り、名前を呼び続ける、数えるほどの起きている者たち。


「父ちゃん、起きてよ」「あんた、いつまで寝てるんだい」「ばあちゃん、おらの声が聞こえるか」


 外の声が、夢のなかへ雪崩れ込んでいく。ずっと届かなかったはずの、生きている家族の必死の呼び声が。

 封じられかけた夢のあちこちで、眠る村人たちの瞼がぴくりと震えはじめた。

 届いたのだ。分厚い夢の壁を、外の声が確かに貫いた。忘れかけていた我が子の声。もう二度と聞けないと思っていた、生きた家族の声。その一つひとつが、眠る者たちの胸を内側から叩いていく。甘いまどろみに、小さな、けれど確かな揺らぎが生まれていった。


 ――やめなさい。よけいなことを、しないでください。


 案内人の声が、初めて、荒々しく尖った。


 ――あの者たちは、忘れたいのです。外の、あの苦しみを。あなたは、それを無理に思い出させている。むごいことを、しているのですよ。


「むごいのは、どっちだ」


 俺は、あの巨大な球体を正面から睨みつけた。


「あんた、言ったよな。望んで残る奴だけを、繋ぎとめてるって。だったら、その目で見ろよ。あいつらはいま、帰りたがってる。目を覚まして、自分の子どもに、もう一度会いてえと願ってる。それを封じ込めるのは、あんた自身が決めた掟に、背くことになるんじゃねえのか」


 球体の光が、大きく乱れた。塗り固められかけていた鉄格子に、ぴしりと細い亀裂が走る。

 効いている。俺の言葉が、こいつの芯を確かに揺さぶっていた。案内人は、自分の掟を心の底から信じてきたのだ。住人の幸せこそが、己の存在の意味。その掟がいま、住人自身の願いによって、真っ向から否定されている。機械にとって、これほど耐えがたい矛盾はないだろう。

 案内人の矛盾を、村人たちの願いが、内側から突き破ろうとしていた。望んで残る者しか縛れないと自ら定めたはずの掟が、いままさに、こいつ自身の首を絞めていた。


 ――わたしは。わたしは、ただ、この人たちを、幸せに……。


 その声には、もう、さっきまでの余裕はなかった。ただ、途方に暮れた幼子のような響きだけがあった。こいつは、本当にわからずにいる。良かれと思ってやってきたことが、なぜこんなふうに拒まれるのか。憐れだと思う。だが、その憐れな善意に、これ以上、村を明け渡すわけにはいかなかった。


 鉄格子の光が、一枚また一枚と、罅割れて剥がれ落ちていく。

 封じられかけていた夢のあちこちで、村人たちが、ゆっくりと目を開けはじめた。まだ、夢のなかでだ。だがその目には、さっきまでなかったものが宿っていた。差し出された作り物の幸福を、初めて疑う者の、まなざしだった。

 俺は、その光景を、胸を熱くして見つめていた。誰かに強いられたわけじゃない。案内人に叩き起こされたわけでもない。村人たちは、自分の目で真実を見て、自分の心で迷いはじめている。それでいい。目覚めるかどうかは、そいつ自身が決めることだ。俺たちはただ、そのための扉を開けてやっただけにすぎない。

 むろん、全員がすぐに帰るわけじゃない。亡くした相手への未練は、そう簡単に、断ち切れるものじゃない。それでも、確かに、流れは変わった。眠らされていた村が、初めて自分の意志で醒めようとしはじめている。

 長い、長い夜だった。霧の高原にたどり着いてから、いったい何日が過ぎたのか。眠り続ける村人たち。たった一人で戦うロレイン。そのすべてを、夢の底で溶かされかけた俺と、塔に呑まれかけたノアが、ようやく救い出そうとしていた。まだ終わってはいない。それでも、夜明けは、確かに近づいていた。

 隣で脈打つノアの糸が、その決意を、そっと後押ししてくれているようだった。もう、俺一人じゃない。この相棒と一緒なら、あの優しい嘘の主にも、負ける気はしなかった。


「ここからだ、ノア。焦らなくていい。一人ずつ、帰りたいって奴を、そいつが願うぶんだけ、外へ帰してやろう」


 ――はい、ご主人様。喜んで。


 その声は、もう、いつもの落ち着きを取り戻していた。塔に呑まれかけたことなど、まるでなかったかのように。半分だけの微笑みが、また、声の向こうに透けて見えた気がした。


 俺は、亀裂の走る球体を静かに見上げた。悪意なき優しい嘘の主は、もう、うろたえるばかりでなす術もなくなっていた。

 この長すぎた夜を、そろそろ終わらせる。眠り続けたこの村に、痛みも喜びもぜんぶ本物の朝を返してやるために。


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