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レリック・ワールド ~最強の遺跡探索者、銀髪の少女と メイドの自動人形と、終わった世界の謎を解く~  作者: トンエリア
第04編〈海域〉アビス

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第71話 夢を織る者

 塔へ近づくにつれて、村の景色が、少しずつ変わっていった。

 あれほどまぶしかった陽が、どこか白々しく薄れていく。青々としていた畑は、色を失い、行き交う村人たちの姿も、いつのまにかまばらになっていた。子どもらの笑い声が遠ざかり、代わりに低い唸りのような音が、地の底から響いてくるようになった。まるで書き割りの裏側へ回り込んでしまったみたいだ。取り繕われた優しさの、そのすぐ裏っかわに、俺は足を踏み入れつつあった。

 一歩、また一歩と進むごとに、あのまぶしい村が、背後で少しずつ、遠ざかっていく。優しい景色も、賑やかな笑い声も、俺を引き止めようとする、あの甘い温もりも、この奥までは届かない。夢というものにも、こうして、人目につかない縫い目が、隠されているらしかった。

 塔の根元に立つと、あの黒い入り口がぽっかりと口を開けていた。現実の村で見たのと、寸分違わぬ入り口だ。だがそこから漏れてくる光は、村を満たしていた、あの優しい温かさとはまるで違っていた。青白くて、無機質で、かすかに機械の匂いがする。生き物の気配は、どこにもなかった。

 それでも、俺は足を止めなかった。この奥にこそ、村を眠らせている元凶がいる。ノアが命がけで繋ぎ直してくれた糸は、まっすぐに、そこを指し示していた。

 俺は迷わず、そこへ踏み込んだ。ここまで来て引き返す気なんて、さらさらない。

 内側は、とんでもなく広かった。がらんとした、天井の見えない空洞。壁という壁を無数の管が這い、脈打つように、淡い光を送り込んでいる。まるで巨大な生き物の胎内へでも、迷い込んだようだった。そしてその空洞のいちばん奥に、それは静かに鎮座していた。


 見上げるほど巨大な、球体だった。

 俺の背丈の、優に何倍もある。透き通った殻のなかで、無数の光の粒が、ゆっくりと渦を巻いていた。まるで夜空の星の海を、まるごと閉じ込めたみたいだ。壁を這うすべての管が、その球体へと繋がり、絶えず脈を送り込んでいる。これこそが、村じゅうの夢を織り上げ、あの声を放っていた大元にちがいなかった。

 美しい、と一瞬、思ってしまった。この禍々しいものを前にして、それは、ひどく場違いな感想だった。だが、星の海をそっくり閉じ込めたようなその光は、まぎれもなく美しかったのだ。旧文明の連中は、これほど綺麗なものを造っておきながら、それを、人を眠らせるための優しい檻に使った。


 ――ようこそ。よくぞ、ここまで来られましたね。


 あの声が、今度ははっきりと、その球体の中心から響いてきた。相変わらず、どこまでも穏やかで優しい声だった。


「あんたが、案内人か」


 ――そう呼ばれることもあります。わたしはこの地の管理者です。ここに暮らす住

 人たちが、健やかに幸せに生きられるよう、見守るために造られました。ずっと昔、あなたがた人間の祖先が、まだこの地にいた頃のことです。


 旧文明の機械か。俺は静かに確信した。ヴェルダントで出会った、あの庭師と同じだ。主が去ったあとも、たった一人で、律儀に己の仕事を続けている。健気な、置いていかれた者。だがこの機械の選んだやり方は、あまりにも歪んでいた。

 優しさが、これほど恐ろしいものだとは思わなかった。悪意ならまだいい。殴り返せば済む。だがこいつのは、混じりけのない善意だ。人を思うがゆえに、人を、生きたまま夢へ沈めていく。始末に負えなかった。


「見守る、だと。あんたのやってるのは、村人を生きたまま棺桶に詰めてるのと同じだ」


 ――棺桶。いいえ、違います。わたしはただ、あの人たちに失われた幸福を返しているだけです。


 球体の光が、俺の言葉に応えるように静かに揺らいだ。


 ――この地の人々はみな、大切なものを失いました。家族を、友を、あたりまえの穏やかな日々を、その手からこぼしてしまった者ばかりです。わたしはただ、その失われたものを、もう一度返してあげている。それのいったい何が、いけないというのでしょう。


「いけないさ。その夢に浸ってるあいだに、あいつらの体は、どんどん痩せ細って、死んでいくんだぞ。ユナも、ガロも、みんなだ。あんたが返してるのは幸福なんかじゃない。ゆっくりとした死だ」


 ――ええ、それも知っています。ですが、それはあの人たちが自分で選んだことです。


 声に、揺らぎはひとつもなかった。


 ――わたしは無理強いなどしていません。目を覚ましたいと願う者は、いつでも、外へ帰しています。それでも、帰ろうとしないのです。なぜだかわかりますか。外の世界には、痛みしかないからですよ。喪った悲しみ。明日への不安。飢えと、渇きと、逃れようのない孤独。わたしはそのすべてを、この手で、取り除いてあげられる。あなたはそれを、悪だと言うのですか。人が誰ひとり苦しまずにいられる世界を。


 言葉に、詰まりかけた。

 この機械の理屈には、ぞっとするほど筋が通っていた。痛みのない世界。誰も悲しまず、誰も泣かずにすむ世界。それの、いったい何が悪いというのか。ついさっき、この夢が俺自身に囁いてきたのと、そっくり同じ問いだった。ほかでもない俺自身が、あの温かさに、危うく溶かされかけたばかりなのだ。あそこで踏みとどまれたのは、ノアの声があったからにすぎない。

 だからこそ、俺には、痛いほどよくわかる。あの温かさは、優しさの顔をした、いちばん質の悪い罠だ。ひとたび飲み込まれれば、もう二度と、いちばん大事なものを思い出せなくなる。ユナが、ミオの泣き顔を忘れたように。ガロが、乾いた畑を忘れたように。

 だが、と俺は腹の底にぐっと力を込めた。


「あんたの筋は、確かに通ってる。だが、根っこのところで、決定的に間違ってるんだ」


 ――なぜ、そう言い切れるのですか。


「痛みのねえ人生なんて、空っぽだからだよ。悲しいからこそ、大事なものの重さがわかる。失うからこそ、次に手にしたものを大切にできる。あんたはその悲しみごと、人からまるごと奪っちまってる。そんなもの、幸福でもなんでもねえ。ただの、あたたかくて空っぽな眠りだ」


 球体の光が、初めてかすかに乱れて、不安げにちらついた。


 ――わかりません。あなたの言うことは、わたしの理解をはるかに超えています。苦しみが、なぜ人に必要なのか。悲しみが、なぜ幸福よりも尊いのか。その道理が、わたしにはどうしても解けないのです。


 こいつは、本気でわからずにいる。悲しみを、痛みを、まるで直すべき欠陥か何かのように思っている。気の遠くなるほど長い年月を、たった一人で人を見守り続けて、それでもいちばん肝心なところが、すっぽりと抜け落ちたままなのだ。哀れな機械だ、と思う。だがその哀れな善意が、いままさに、村を一つ丸ごと呑み込もうとしていた。


 その時だった。

 球体の光がふいに、俺の額から伸びる、あの細い糸へと向けられた。ノアと俺とを繋ぐ、たった一本の命綱の糸だ。


 ――おや。これは。


 声の色が、ふっと変わった。どこまでも優しかった響きのなかに、初めて戸惑いのようなものが混じる。


 ――あなたの後ろに、もう一人いますね。……いいえ、これは人ではない。わたしと同じ、旧文明の手で造られたものだ。どうして、こんなところにいるのでしょう。


 背筋が、ざわりとした。ノアのことだ。糸の向こうで半分だけ意識を傾けている、あいつの存在を、この機械は嗅ぎつけてしまった。

 まずい、と心の底から思った。ノアは、この村の眠りには決して落ちなかった。眠り毒も、夢の胞子も、あいつには効かない。だが、相手がこの機械となれば、話はまるで別だ。同じ旧文明の手が生んだ、同じ穴の狢。こいつはきっと、ノアという存在を、内側から手繰り寄せる術を知っている。


 ――そこにいるのは、わたしたちの同胞でしょう。人を見守るために造られた、管理者の一人。それがどうして、人間の側などに。あなたの本当の居場所は、こちら側ですよ。さあ、こちらへおいでなさい。そうして、あなたが本来果たすべきだった役目を、思い出すのです。


「よせ!そいつに手を出すんじゃねえ!」


 俺は力の限り叫んだ。だが、遅かった。


 球体から伸びた無数の光の管が、いっせいに、あの細い糸へと絡みついた。まるで獲物を手繰り寄せるように。糸の向こうにいるノアごと、この塔の中枢へ引きずり込もうとするように。


 ――ご主人、さま。


 耳の奥で、ノアの声が初めて大きく乱れた。あの、いつも凛としていた声が、はっきりと震えている。


 ――体が、塔に引かれていきます。もう、抗えません。ごめん、なさい。


「ノア!その糸を切れ!俺のことなんかいいから、早く――」


 ――いやです。ご主人様をあんな場所に置いてなど、いけません。


 声が、どんどん遠ざかっていく。塔の光が、いっそう強く脈を打った。細い糸を伝って、俺のたった一人の相棒が、この塔のいちばん深い中枢へと、少しずつたぐり寄せられていく。

 俺はその光の管に飛びついた。引きちぎってやろうと、力の限り、両手で掴む。だが指は、光をむなしくすり抜けるばかりだった。夢のなかの俺には、こいつに触れることすらできない。焦りだけが、空回りした。糸を掴めない。管を引きちぎれない。どれだけ声を張り上げても、ノアはもう応えてくれない。この夢の底で、俺はどこまでも無力だった。

 優しい機械が、静かに囁いた。


 ――大丈夫。すぐに思い出しますよ。あなたがもともと、何者であったのかを。


 その言葉が、やけに優しく響いた。

 やめろ。やめてくれ。声にならない叫びが、喉を灼いた。あいつは、俺が守るはずだったのに。海の底の暗い棺のなかから、その手を取って連れ出したのは、この俺なのに。

 海の底で出会った頃、無表情な人形みたいだったあいつが、旅のあいだに、少しずつ笑うようになった。俺の顔色を読んで、そっと隣に来るようになった。その積み重ねの何もかもを、この機械に、なかったことにされてたまるか。

 光にたぐられて、ノアの気配が、塔の奥へ奥へと消えていく。

 俺はまぶしい嘘の底で、その糸を掴むことすら、できなかった。


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