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レリック・ワールド ~最強の遺跡探索者、銀髪の少女と メイドの自動人形と、終わった世界の謎を解く~  作者: トンエリア
第04編〈海域〉アビス

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第62話 あたらしい庭

 真っ白な光の中で、俺は地面に叩きつけられていた。

 全身が痛い。耳の奥では、あの冷たい信号がまだ鳴り続けている。庭は完全に正気を失っていた。垂れ下がった蔓が鞭のように振り回され、静かだった池の水が渦を巻く。せっかく書き込んだ〈守れ〉の命令は、跡形もなく塗り潰されていた。

 黒鴉が、手の中にない。さっきの衝撃で、どこかへ飛んでいってしまったのだ。

 あれがなければ、こいつには何も届かない。

 このままじゃ、全員おしまいだ。あの繭にされる。生きたまま、緑に呑まれて。それだけは絶対にごめんだった。


「ご主人様!」


 ノアだった。俺を庇うように前へ出て、迫りくる蔓を次々と刃で払っている。その向こうでは、リルが杖を構え、ミスラが必死に歌おうとしていた。だが、荒れ狂う庭の轟音に、そのか細い声はかき消されてしまう。

 このままじゃ、じり貧だ。ノアがいつまでも蔓を捌ききれるわけじゃない。ミスラの声にも限界がある。リルも撃つ場所がなくなってきていた。時間は俺たちの味方じゃない。

 起き上がろうとして、俺は歯を食いしばった。

 考えろ。なぜ負けた。俺の〈守れ〉は、どうして、あの信号に押し負けたんだ。

 あの信号は、こう言っていた。住人、帰還ノ刻、近シ。庭ヲ完成セヨ、と。

 そうか。

 わかった。こいつがあの信号にあっさり従ったのは、それが、こいつのいちばん深い願いに触れたからだ。住人が、帰ってくる。そのたった一つの望みに。俺の〈守れ〉なんかより、ずっと甘い嘘のほうに。

 だが、それは嘘だ。

 住人は、帰ってこない。一万年待っても、帰ってはこなかった。もう、二度と帰らない。

 その残酷な真実を、こいつに突きつけるほかない。

 だが、それだけじゃ足りない。真実は、こいつをただ絶望させるだけだ。望みを奪うだけなら、また暴れるに決まってる。

 真実の、その先が要る。

 こいつに、あたらしい望みを渡してやらなきゃならない。あたらしい住人を。

 俺は顔を上げた。そして、見つけた。

 荒れ狂う庭の隅で。ミスラが、蔓に足を取られながらも、まだ歌おうとしている。番人の歌を。この森を守るための、あの歌を。

 あれだ。

 こいつが待っていた住人は、もうとっくの昔に帰ってきていたんだ。

 エルフたちだ。ミスラたちだ。何百年ものあいだ、この森のそばで暮らし、この庭に歌を捧げ続けてきた番人たち。ヴィリディスは、ただ気づかなかっただけだ。自分の待ち焦がれた住人が、もうすぐそばにいることに。


「ミスラ!歌え! もっと大きく! こいつに聞かせてやれ! お前がここにいるってことを!」


 ミスラがはっと俺を見た。それから、大きく息を吸い込む。

 そして、歌った。

 今までで、いちばん大きな声で。荒れ狂う庭の轟音を、まっすぐ貫くように。

 澄んだ声が緑の嵐を切り裂いて響く。この森を何百年も見守ってきた声だ。里の番人たちが代々受け継いできた、祈りの声。この庭にとって、いちばん懐かしいはずの音だった。

 その歌に、庭が、ほんの一瞬だけひるんだ。

 そのわずかな隙。


「リル! 黒鴉を! あそこだ!」


 俺は蔓の向こうに転がった黒鴉を指した。リルが力強く頷く。

 彼女の杖から、細い光が走った。狙ったのは、黒鴉じゃない。その手前で、黒鴉に巻きつこうとしていた蔓の根元だ。光が、それを正確に撃ち抜く。解けた拘束から、黒鴉がこぼれ落ちた。。

 俺は地を蹴った。すかさずノアが道を作る。迫る蔓を、片端から払いのけて。

 黒鴉を、掴んだ。

 握った瞬間、手に力が戻ってくる。まだだ。まだ、何も終わっちゃいない。

 俺はヴィリディスの結晶へ走った。ミスラの歌が俺を後押しする。リルの光が、蔓を退ける。ノアが俺の背をしっかりと守る。みんなが、俺を、あの心臓へ届けようとしてくれている。

 だったら、応えなきゃ、嘘だ。

 そして俺は、もう一度、その結晶に、黒鴉を深々と突き立てた。

 視界が、また、緑一色に染まる。

 渦を巻く、命令の嵐。その中心で、ヴィリディスはあの甘い信号にすがりついていた。住人が帰ってくる。庭を完成させれば。もっと、もっと育てれば。

 俺はその願いに、まっすぐ語りかけた。ノアの言葉を、借りて。

 聞け。お前の待っていた住人は、もう帰らない。

 ヴィリディスの光が、ぐらりと大きく揺れた。拒むように。信じたくない、というように。

 だが、顔を上げてみろ。お前が独りで待ち続けているあいだに。お前のその庭で、あたらしい人たちが生まれ、育っていたんだ。

 あの歌が、聞こえるだろう。あれこそが、お前のあたらしい住人だ。ずっと昔から、お前のそばで、お前を想って、歌い続けてきた。

 ミスラの澄んだ歌が、刃を通して、ヴィリディスのいちばん深いところへまっすぐ届いていく。

 もう、待たなくていい。もう、育てすぎなくていい。ただ、あの子たちの森を、守ってやってくれ。それが、お前の、あたらしい仕事だ。

 頼む、と俺は念じた。もう、独りで泣くのはやめてくれ。ここに、お前を想う者がいる。お前が守ってやれる森がちゃんとある。それで、十分じゃないか。

 その瞬間、ヴィリディスがぴたりと動きを止めた。

 真っ白に燃えていた光の中に、ふっと別の色が滲む。緑だ。淡く、優しい、緑の光。

 その色がじわじわと広がっていく。荒れ狂う狂騒を、内側から鎮めるように。同時に、あの冷たい信号の音が少しずつ遠ざかっていくのが、わかった。

 勝った、んじゃない。

 こいつが、やっと、受け入れてくれたんだ。あたらしい住人を。あたらしい、自分の役目を。

 長い長い留守番が、やっと終わったのだ。もう、誰も帰らない家で、独り庭を手入れし続ける必要はない。この子にはこれから、そばにいてくれる人がいる。守るべき、あたらしい家族が。

 変化は、そこから、一気だった。

 鞭のように振り回されていた蔓が、糸が切れたみたいに力を失い、静かに垂れ下がる。渦を巻いていた池の水が、嘘みたいに凪いでいく。狂ったように速かったヴィリディスの鼓動が、ゆっくりと穏やかな脈に戻っていった。どぐん……どぐん、と。

 だが、それだけじゃなかった。

 刃を通して、俺には見えたのだ。この部屋の、ずっと外。荒れ果てた森ぜんぶで、今、起きている変化が。

 里に迫っていた白い結晶が、進むのをぴたりと止める。それから、ゆっくりと退きはじめた。石になりかけていた木々に、うっすらと緑が戻っていく。狂ったように伸びていた蔓が、あるべき場所で、あるべき長さに収まっていく。

 森が、整えられていく。壊すためじゃない。守るためにだ。

 あたらしい庭師の、その手で。

 俺はしばらく言葉が出なかった。ついさっきまで、俺たちを殺そうとしていた森だ。それが今は、自分からあるべき姿に戻っていく。長い悪夢から覚めたみたいに。緑が深く静かに呼吸していた。

 俺は黒鴉を、そっと引き抜いた。

 もう、暴れる蔓は、どこにもない。あるのは、ただ静かで、美しい庭だけだった。門の奥で最初に見た、あの庭のように。いや、それよりも、もっと穏やかに。

 だってこの庭には、もう、庭師がいる。守るべき人が、ちゃんといるのだから。


「……終わった、の?」


「ああ。たぶん、な」


 ミスラが歌うのをやめた。息を切らして、その場にへたり込む。だが、俺を見上げたその顔は、涙で、ぐしゃぐしゃだった。


「あたしの歌が、ずっと届いてたんだ。ご先祖の、そのまた先祖の代から、ずっと。ずっと」


 番人の歌は、意味を失った、ただのまじないなんかじゃなかった。それは、庭と人とを繋ぐ、細い、けれど決して切れなかった、一本の糸だったのだ。

 少し離れたところでは、いつの間にか目を覚ましたテオが、呆然と庭を見上げていた。あいつの里は、救われた。あいつが力ずくで奪おうとした、まさにその力に、まるで優しく諭されるみたいにして。きっと、あいつも、何かを感じているはずだ。

 テオは何も言わなかった。ただ、ぎゅっと拳を握りしめていた。里に帰ったら、あいつも少しは変わるかもしれない。力で奪うよりも大事なものがあると、身をもって知ったはずだ。

 ふと、ノアを見た。まだ、あの樹を、じっと見つめている。


「ノア。大丈夫か」


「……はい。あの子は、もう、寂しくありません。それだけは、はっきりと、わかります」


 あの子、か。ノアの目に、こいつが、どんなふうに映っているのか。この子の来し方は、やっぱりこの森と、どこか深いところで繋がっている。だが、それを尋ねるのは、また、いつかでいい。

 そして――ずっと、遠くで。

 あの冷たい信号は、まだ、鳴りやんでいなかった。

 ヴィリディスは、もう応えない。だが、あの信号そのものは、消えたわけじゃない。この森だけの話でも、ないだろう。どこか遠くの、別の遺跡でも、きっと今、同じ音が鳴り響いている。そんな気がした。

 誰かが、眠っていた遺跡たちに、いっせいに起きろと呼びかけている。何のために。誰の命令で。考えても、答えは出ない。だが、この胸騒ぎはたぶん外れない。近いうちに、あの音の正体とまた向き合うことになる。

 いったい、誰が、何のために、あんなものを。

 背筋を冷たいものが撫でていく。だが、それも、また、いつかの話だ。

 今は、ただ。

 俺はもう一度、生まれ変わった庭を見渡した。淡い光の中で、緑が穏やかに揺れている。


「よし。帰るとするか。里の連中に、とびきりの土産話を持ってな」


 庭の心臓が、それに応えるように、ゆっくりとひとつ脈打った。

 もう、狂ってなんかいない。それは、優しい生きものの鼓動だった。

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