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レリック・ワールド ~最強の遺跡探索者、銀髪の少女と メイドの自動人形と、終わった世界の謎を解く~  作者: トンエリア
第04編〈海域〉アビス

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第45話 船乗りたちの終い

 死んだ艦の中は、静かだった。

 撃たれる心配がなくなると、旗艦の腹はただの古い船に戻った。珊瑚に食われた通路を、俺たちはゆっくり歩いた。急ぐ理由が、もうない。

 黒匣を担いだのはノアの左手だ。右腕は、相変わらず垂れている。

 拾えるものは、拾った。

 旧文明の合金の板。生きたままの動力の欠片。中身の詰まった、封印された箱がいくつか。番人が守っていただけあって、どれも上等だった。街へ持って帰れば、そこそこの値がつく。


「これで、ノアの腕も直せるな」


「わたしより、ご主人様のあばらが先です」


「あばらは勝手にくっつく。腕はくっつかねえだろ」


 ノアはそれには答えなかった。かわりに、拾った板を一枚、黒匣にそっと収めた。

 封印された箱の一つを、ノアが開けた。中には、拳ほどの結晶が収まっていた。青く澄んで、内側で小さな光が脈打っている。砂の底で手に入れた叡核ほどの格じゃないが、街の工房で使えば、鯨号の壊れた耐圧殻を丸ごと作り直せるくらいはあるという。


「動力の予備です。旧文明の潜水艦は、こういうものをいくつも積んでいました」


「売れば、いくらになる」


「村が、三年は食べていける程度には」


 俺は、口笛を吹きそうになった。腕利きが見向きもしない安請け合いの依頼が、蓋を開ければ、この始末だ。

 もっとも、代償にあばらを何本か持っていかれたのだから、割に合うかどうかは微妙なところだ。


 艦長席のあった区画に、それは残っていた。

 小さな金属の帳面だ。骨の指のすぐ脇に落ちていた。

 黒鴉の刃を触れさせると、褪せた文字が、宙に滲んで並んだ。

 私的な記録だった。命令でも報告でもない。ただの一人の男の言葉だ。


 ――今日で、燃料が尽きる。

 ――砲は、あと数発ぶんしか撃てない。溜めて、夜にだけ撃つことにする。

 ――そうすれば、あと千年は保つ。私はもう、いないが。


 千年。この男は、千年先の勘定をして、艦を眠らせ方まで決めていた。


 ――部下には、家に帰りたい者もいる。私も、帰りたい。

 ――だが、我々が持ち場を離れれば、下のものが海へ出る。そうなれば、帰る家のほうが、なくなる。

 ――だから、ここにいる。


 文字が、少し途切れた。


 ――いつか、この海を通る者へ。

 ――もし、あなたがこれを読んでいるなら、我々の封鎖は、破られたということだ。

 ――どうか、下のものを、外へ出さないでほしい。

 ――そして、もし叶うなら。

 ――我々のことを、少しだけ、覚えていてほしい。


 そこで、記録は終わっていた。

 俺は、しばらく動けなかった。

 こいつらは、逃げなかったんじゃない。帰りたかったんだ。帰りたかったのに、帰らなかった。

 リルが、骨の前にしゃがんで、そっと手を合わせていた。


「……この人たちも、待ってる人が、いたのかな」


「いただろうな」


 俺は金属の帳面を黒匣にしまった。売り物じゃない。これは持っておく。

 ノアが艦長席の骨に向かって、静かに頭を下げた。


「あなたたちの封鎖を破りました。ですが」


 いつもの、穏やかな声で。


「下のものは、わたしたちが引き受けます。ですから、もう、お休みください」


 骨は、何も言わなかった。

 背筋を伸ばして、計器盤に手を置いたまま、一万年の続きを、俺たちに渡した。


 海面へ、昇った。

 ハッチを開けると、朝の光が目に刺さった。塩の匂いがする。腐った肉の匂いは、少し薄れていた。

 だが、海は、まだ死んでいた。

 村へ戻る途中、白い腹を見せた魚がいくつも浮いていた。喰らい魚の骨板も、遠くで水を切っている。

 沖の光は、消えた。だが、海を狂わせている本当の元凶は、まだ底にいる。

 そういうことだ。門を一つ、壊しただけ。門の奥には、まだ何かがいる。


「ねえ、クロウ」


 リルが舷側にもたれて言った。


「あの光が消えたら、村の人、喜ぶよね」


「喜ぶだろうな。ただし、魚が戻るまでは、半分だけだ」


 沖は開いた。けど、その沖には、まだ化け物が湧いている。漁に出られるようになっても、食われちまえば同じことだ。

 本当の礼をもらうのは、底のあれを片づけてからだな。

 それでも、夜の光が消えたのは、大きい。

 昨夜、村の連中は久しぶりに家の外で眠ったらしい。ひと月ぶりに空に星が出ていた。撃たれる光がないというだけで、夜の海はまた夜の海に戻っていた。

 ナジが、浜のいちばん前で手を振っていた。俺たちの鯨号に向かって、腕がちぎれそうなくらい大きく。


 入り江が見えてきたとき、それは、待っていた。


 鉄の船だ。俺たちの時代の船。灰色に塗られた、細くて速そうな船体。

 入り江の口を塞ぐように、横づけしている。甲板に、揃いの外套を着た男が、何人も立っていた。

 その舳先に、男が一人立っていた。

 仕立てのいい外套に、手袋。潮風の中で、髪の一筋も乱れていない。

 クレイスだ。

 あの祭りの夜、俺たちから叡核を寄越せと言った、財団の回収官。こんな絶海の孤島まで、追ってきやがった。


「お帰りなさい」


 クレイスは、笑っていた。愛想はいいが、温度のない笑みだ。


「見事なものです。四十年、誰にも開けなかった旗艦を、一晩で。あなたの黒鴉は、やはり素晴らしい」


「褒めても、何も出ねえぞ」


「褒めてなどいません。感心しているだけです」


 クレイスの目が、俺の裂けた強化服と、ノアの垂れた右腕を順に舐めた。

 こいつは、俺たちが満身創痍なのを、ちゃんと見ている。いま襲えば、勝てる。それが分かる目だ。

 背中に汗が滲んだ。

 俺の斜め後ろで、ノアが動く左手を、そっと腰の刃に添えた。片腕でも、この人形は戦う気だ。撃たれた腕を垂らしたまま、俺の前に出ようとする。

 俺は、手のひらを下に向けてそれを止めた。まだだ。向こうにその気はない。

 リルは杖を握りしめて、青い顔をしていた。だが、逃げようとはしない。強くなったもんだ、と場違いに思った。


「安心してください。今日は、やり合いに来たのではありません」


 クレイスは両手を軽く広げた。


「あなた方には、感謝しているのですよ。私どもの船は、三隻沈められました。あの兵器は、我々の手に負えなかった。ですが、あなたが道を開けてくれた」


「道?」


「沖の光が消えた。つまり」


 クレイスの笑みが深くなった。


「海の底の施設へ、もう、遮るものはない。そういうことでしょう?」


 背筋が冷たくなった。

 こいつは、知っている。旗艦が封じていたものが、海の底の施設だということを。財団が本当に欲しいのは、艦隊じゃない。その奥だ。


「あんたら、あの底に何があるか、分かってて言ってんのか」


「いいえ。分かりません」


 クレイスは、あっさりと言った。


「分からないから、欲しいのです。旧文明が、艦隊を並べてまで封じたもの。それが、価値のないはずがない」


 こいつは、あの艦長の記録を読んでいない。読んでいたって同じことを言うんだろうが。


「一つ、忠告を」


 クレイスが指を一本立てた。


「あなたは、あの底へ潜るでしょう。止めても、潜る。そういう人だ。ですから、止めません」


「へえ」


「ただ、覚えておいてください。あなたが底から持ち帰るものは、いずれ我々のものになります。あなたが開けた扉から出てくるものは、すべて」


「もし、俺が持ち帰らなかったら」


「そのときは」


 クレイスは、少しだけ、笑みを引っ込めた。


「あなたが、底から帰ってこなかった、ということです。それはそれで、我々には都合がいい」


 こともなげに、そう言った。

 俺が生きて宝を持ち帰れば、横から奪う。俺が死ねば、邪魔者が一人減る。どちらに転んでも、こいつは勝つ。そういう賭け方をしている。

 こいつは、俺たちを道具にする気だ。

 俺たちに底を開けさせて、出てきたものを、横からかっさらう。三隻沈めて学んだんだ。自分の手を汚すより、俺たちにやらせたほうが安い、と。

 むかつく話だった。むかつくが、正しい。

 俺は痛むあばらを押さえて、笑ってやった。


「悪いな。俺は、拾ったもんは、返さねえ主義でね」


「存じています」


 クレイスは外套の裾を翻した。


「だからこそ、楽しみにしているのですよ。あなたが、何を拾ってくるのか」


 灰色の船が静かに向きを変えた。エンジンの音を残して、入り江の口から離れていく。

 襲っては、こなかった。指一本、触れずに。

 それが、いちばん、たちが悪かった。


 船影が水平線の向こうへ消えた。

 入り江には、村の連中が出てきていた。灰色の船を見て、みんな、家の陰に身を潜めていたらしい。

 マレナが浜へ降りてきた。


「あいつら、また来たのか」


「ああ。だが、今日は帰った」


「何しに来た」


「見物だとよ」


 俺は、それ以上、言わなかった。

 クレイスの狙いは、この村じゃない。海の底だ。村を巻き込む気は、たぶん、ない。だが、たぶん、で片づけていい相手でもない。

 鯨号の甲板から、俺は沖を振り返った。

 もう、あの光は撃たれない。海は、静かだった。

 その静けさの、ずっと下のほうから。

 あの歌が、まだ、聞こえている気がした。


「ノア」


「はい」


「いつ潜れる?」


 ノアが動く左手で、垂れた右腕をそっと押さえた。


「あなたの怪我と、わたしの腕が、動くようになってからです」


 それから、少しだけ、沖のほうを見た。


「――歌は、もう、待ってはくれないでしょうけれど」


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