第43話 開かずの艦
次の夜。
沖の海面が三度裂けて、青白い光が空へ立ちのぼった。俺たちはその光を、海の底から見上げていた。頭上を通り過ぎる光条は、下から見ると、まっすぐ伸びた氷の柱に見える。あれが村の希望を毎晩ぶった切っているのだと思うと、腹の底が焼けた。
「三発。撃ち切りました」
ノアが舵を切る。
「これから数刻、旗艦は空っぽです。行くならいまです」
鯨号が珊瑚の山へ向かって滑りだした。
「時間は、どれくらいある」
「正確には、分かりません」
ノアが舵輪を握ったまま答える。
「ただ、あれが夜ごと三発撃つということは、日が沈むまでに、また三発ぶんを溜めるということです。溜まりきる前に片をつけたほうが、賢明です」
溜まりきったら、どうなる。訊かなかった。訊いたところで、答えは一つだ。撃たれる。
旗艦は、近づくほど船に見えなくなっていく。鉄の背骨に珊瑚が肉をつけた化け物。それが海底に横たわっている。ほかの艦の三倍はあって、鯨号の灯りをめいっぱい絞っても、端まで届かない。
「ハッチは」
「すべて珊瑚に埋まっています。開きません」
だから財団の連中も諦めた。旗艦への侵入は不可能、と報告書に書き残して、そのくせ全員、下へ降りて死んだ。
「一つだけ、道があります」
ノアが船体の腹の一点を指した。黒くて円い穴が、ぽっかりと口を開けている。縁を珊瑚の枝が舐めるように囲っていた。
「魚雷を撃ち出すための管です。艦の内側と外の海を、まっすぐつないでいます」
「太さは」
「人ひとりが、腹這いで進める程度かと」
リルの顔が、目に見えて青くなった。
「ねえ。それって、真っ暗で、狭くて、水の中の鉄の筒だよね」
「そうだな」
「最悪じゃん!」
同感だ。だが、ほかに扉はない。
ハッチが閉まると、外の音が消えた。当て布に包まれた鯨号は、この海の底では、ただの黒い岩だ。喰らい魚の群れが幾度か窓の外をよぎったが、どれも興味を失って離れていった。タルガの知恵が、今夜も効いている。
旗艦の腹に取りついて、俺たちは魚雷管の前に立った。
管の中は、思ったとおり最悪だった。
肘と膝で這って進む。灯りは手首の小さな光だけで、一メートル先までしか届かない。前を行くノアの足が、ときどき俺の頭を蹴った。後ろではリルが、押し殺した悲鳴を五秒おきに漏らしている。
鉄の内壁に、貝がびっしり張りついていた。手をつくたびに、ぱりぱり割れて掌に食い込む。
十メートル進んだところで、行き止まった。珊瑚だ。管の途中に岩みたいな塊が生えて、道を塞いでいる。
「クロウ、どうすんの」
「静かにしろ。音を出すな」
黒鴉を抜いて、刃をそっと当てる。斬るんじゃない。溶かすように、少しずつ削る。青白い光が珊瑚を焼いて、細かい泡が顔のまわりに立ちのぼった。
息が詰まる。汗が目に入る。狭い筒の中で、俺の心臓の音だけが、やたらでかく響いていた。
ようやく、こぶし二つぶんの穴が開いた。あとは体で押し広げる。
筒の口から転がり出ると、そこは水のない区画だった。旗艦の腹の中だ。立ち上がった足元で、砕けた貝が、じゃり、と鳴った。
ほかの艦とは、空気が違った。
珊瑚が艦の内側まで入り込んでいる。壁を割り、天井を突き破り、通路のまん中に赤と紫の枝を茂らせている。旧文明の鉄と生き物の枝が、もう区別のつかない塊になっていた。
鉄の中に、森がある。
そして、その森の中に人が座っていた。
骨だ。制服の残骸をまとった骨が、椅子に腰かけている。背筋を伸ばしたまま、両手を計器盤の上に置いていた。
その隣にも座っている。奥にも。通路の先の、扉の前にも。
誰ひとり、出口へ向かっていなかった。全員が持ち場で死んでいた。
「逃げなかったのか」
言葉が勝手に口から出た。
「逃げれば、封鎖が破れます」
ノアが静かに答える。
「燃料の切れた艦の中で、この人たちは砲が撃てるうちは撃ち続けていたのだと思います」
いちばん奥の、艦長席らしい椅子の骨が、膝の上に金属の板を抱えていた。俺はそっとそれを抜き取った。刃を触れさせると、掠れた文字が浮かぶ。
――全艦へ。持ち場を離れるな。
――我々が沈黙すれば、あれが出る。
それだけだった。命令と、理由。一万年前の男が最後に残したのは、その二行きりだ。
リルが、骨の前でそっと足を止めた。頭を下げていた。
俺は何も言わなかった。言うべきことが、何もなかった。
通路の突き当たりが、洞窟みたいに広い区画になっていた。天井が高い。艦を内側から直すための場所だ、とノアが言う。床のあちこちに弁が並んでいて、そこから水を出し入れできるらしい。区画の隅には、ぬるい海水がくるぶしまで溜まっていた。
その区画のまん中に、それが立っていた。
円柱。旧文明の、青白い光の柱。
管制コアだ。あそこに、あの兵器の統制権がある。ほかの艦の分も、ぜんぶ。
あれを止めれば、光は消える。沖が開く。村の漁場が戻る。
簡単な話だ。
俺は黒鴉を抜いて、その光の柱に刃を差し込んだ。
言葉が流れ込んでくる。魚雷管のハッチを開けたときと同じやり方だ。命令を掴んで、書き換える。封鎖継続を、封鎖解除へ――
撥ね返された。
刃が根元から押し戻される。柱の光が、赤く濁った。
――照会。指揮権限を提示せよ。
――権限なし。命令を拒否する。
もう一度、押し込む。今度は力ずくだ。青白い光が柱の中でぶつかって、散った。
――旗艦統制系は、乗員指揮権限によってのみ、更新される。
――権限のない更新を、侵入と判断する。
なるほどな。
この柱は、ハッチとは格が違う。魚雷管の錠は、鍵をこじ開ければ済んだ。だが、この核は違う。命令を書き換えようとすると、「お前は乗員か」と訊いてくる。乗員じゃなければ、聞く耳を持たない。
当たり前だ。そうでなきゃ、困る。
この艦隊は、海の底の“何か”を外へ出さないために沈んでいる。もし敵に――あるいは、その“何か”に――核を書き換えられたら、封鎖は一瞬で破れる。だから旧文明の連中は、核を、身内の声にしか反応しないように造った。
賢い。賢すぎて、腹が立つ。
試しに、角度を変えて刃を当ててみた。裏から、横から、隙間から。柱の中の光は、そのたびに同じ言葉を繰り返す。指揮権限を提示せよ。指揮権限を提示せよ。まるで、決まった呪文を唱えないと開かない、古い扉だ。
「ノア。これ、乗員の“何か”があれば、開くのか」
「おそらく。声か、印か、体そのものか。旧文明の艦は、乗員を、そういうもので見分けていました」
乗員。
俺は、通路のほうを振り返った。持ち場に座ったまま干からびた、あの骨たちを。
こいつらの“何か”を借りれば、この柱は開くのか。
思いつきに指が伸びかけた、そのとき。
「侵入と、判断されました」
ノアの声が硬くなった。
その瞬間、区画の四方で、重い音が鳴った。
隔壁だ。分厚い鉄の板が、通路という通路に、次々と落ちてくる。俺たちが入ってきた道も、その先も、全部だ。ごしゃん、ごしゃん、と、区画が箱になっていく。
核と一緒に、閉じ込められた。
「クロウ!壁が!」
床の弁が、いっせいに開いた。
海水がぶわりと噴き上がる。くるぶしだった水が、脛を越え、膝を越えていく。
同時に、壁の珊瑚がぼこりと膨らんで、内側から割れた。脚の生えた機械が、いくつも這い出してくる。伸ばした腕の先で、切断用の火が、青白く灯った。
第三話で見た、あの補修機だ。侵入者を、剥がすべき異物と見なして寄ってくる。
「散れ!」
黒鴉で、手近な一つを両断する。だが、狭い箱の中で、補修機はどんどん湧いてくる。斬っても、水の中から次が這い上がってくる。
一体が、リルの背後の壁を、音もなく這い上がっていた。腕の火が、リルのうなじへ伸びる。
「リル、伏せろ!」
ノアが割り込んだ。右腕で、その機械を払いのける。だが、火の刃が、義肢の腕を斜めに舐めた。白い外装がえぐれて、中の骨組みから、ちりちりと火花が散る。ノアの右腕が、だらりと垂れた。
「ノア!」
「――問題ありません」
問題は、ある。水は、もう腰まできている。
リルが杖を構えたが、すぐに顔を歪めた。
「あたしの光、水に当たると跳ねる!近くで撃ったら、みんな巻き込む!」
まずい。
だが、水の上なら、話は別だ。
「リル、壁と天井のやつだけ狙え!水から離れてるのだけだ!」
「わ、分かった!」
リルの光弾が、壁を這う機械を、次々と撃ち落としていく。水面より上でなら、跳ね返りは来ない。這い上がってくる数が減った。それでも、水の中に降りたやつは、俺が斬るしかない。
斬る。避ける。脚を折って沈める。
水位は上がる。補修機は湧く。核は、俺の鍵を撥ねつける。出口は、全部塞がった。
柱の光が、ふいに脈打った。
――砲、充電、開始。
充電。
こいつら、こんなときに、次の一発を溜めはじめやがった。あの光が満ちきったとき、この区画がどうなるのか。
考えたくもない。
黒い水が、持ち場の骨たちの足元まで届いていた。
乗員は、すぐそこにいる。何十人も。ただ、一人残らず死んでいる。
この核を開ける鍵は、たぶん、この部屋のどこかにある。だが、その鍵の持ち主は、みんな、口をきかない。
膝を越えた黒い水の底から、あの声が、また昇ってきた。
歌だ。
降りてこい。ここは静かで、痛いことは何もない。
ノアが、水の中で、じっと動きを止めていた。
黒い髪が海草みたいに広がっている。その目が、水の底を見ている。
「ノア!」
俺は、その肩を掴んだ。
この人形は、痛みという感覚はない、と言い張る。だが、この歌には、痛みとは別のところで、引かれている。
水は、もう胸だ。
閉じ込められた鉄の箱の中で、俺たちは、じわじわと海に飲まれていく。
核は、開かない。




