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レリック・ワールド ~最強の遺跡探索者、銀髪の少女と メイドの自動人形と、終わった世界の謎を解く~  作者: トンエリア
第04編〈海域〉アビス

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第39話 凪の来ない海

 海ってのは、思っていたよりずっと、うるさい。

 波が船腹を叩く音。風が耳のわきを通り抜ける音。陸に慣れた耳には、その全部が四六時中こびりついて離れない。

 鯨号の甲板に座り込んで、俺は三日ぶんの塩を頬に貼りつけたまま、水平線をにらんでいた。船酔いはしない。したら格好がつかないから、しないことにしている。


「クロウー!見て見て、海!海だよ!」


 舳先のほうで、リルがはしゃいでいる。銀色の髪が風でめちゃくちゃになるのも構わず、手すりから身を乗り出して、下の波をのぞき込んでいた。


「落ちるぞ」


「落ちないってー。あ、でも、あたし泳げないんだった」


「なら乗り出すな、ばか」


 初めて海を見た、と言ってはしゃぎだしたのが二日前だ。まだ飽きないらしい。


「ご主人様。お茶をお持ちしました」


 ノアが、いつのまにか隣に立っていた。湯気の立つ椀を差し出してくる。揺れる甲板で、この人形は一度もよろけない。エプロンの裾ひとつ乱れていないのが、なんだか腹立たしい。


「助かる。あと、どれくらいだ」


「半日ほどかと。水の上では、どうしても速度が落ちますので」


 鯨号は水に浮く。旧文明のご先祖様は、陸だの海だのという区別に、よほど無頓着だったらしい。尻から吐く泡で、のろのろと海面を進んでいく。

 浮くし、走る。ただし、潜れない。


「潜航のほうは、やっぱり無理か」


「船殻が潰れてしまいます。あれがしっかりしていないと、水圧で潰れます」


 潰れます、を、味噌汁が薄いです、くらいの調子で言うのはやめてほしい。


 膝に置いた依頼書は、もう塩でよれよれになっていた。

 大陸の南の、そのまた南。船で何日もかかる絶海の孤島〈カイア〉。島に村は一つきりだから、島の名が、そのまま村の名だ。

 依頼の中身は、三行で足りる。海が狂った。魚が獲れない。かわりに、化け物が湧く。

 報酬は、笑っちまうくらい安い。貧乏な漁村が、なけなしの銭をかき集めた額だ。腕利きほど見向きもしない。

 それでも受けたのは、灰色の連中から少し離れたかったのと、依頼書の最後の一行のせいだ。


 〈ひと月ほど前から、沖の海が、夜ごと光る〉


 最近になって、目を覚ました。またそれだ。砂の底の演算都市も、あの塔の心臓も、みんな同じ理由で起きた。空の上から降ってくるという、招集の信号とやらで。

 だとしたら、この海の底にも、一万年寝てた誰かがいる。


 昼を過ぎたころ、海の色が変わった。

 青が濁って、白い膜みたいなものが波間に浮きはじめる。舷側から見下ろすと、それが泡だとわかった。魚の腹が、そこかしこに白く裏返って漂っている。一匹二匹じゃない。帯みたいに、ずっと沖まで続いている。

 においが、ひどい。潮の匂いに、腐った肉の匂いが混じっている。


「これ、ぜんぶ死んでるの?」


 リルが鼻をつまんだ。


「ああ。獲られたわけでもなく、勝手に死んで浮いてる」


 海鳥が一羽もいない。それが、いちばん気持ち悪かった。鳥が寄りつかないってことは、食えば腹を壊すか、あるいは、もっと食い意地の張ったやつが水の下にいるかだ。

 ノアが海面をのぞき込んで、目を細めた。


「ご主人様。海水に、旧文明の培養液に近い成分が混じっています」


「培養液?」


「生き物を育てるための水です。ずいぶん薄まっていますが、どこか遠くから流れてきています」


 育てるための水。この、腐った海の、どこかで。


 その先で、悲鳴が聞こえた。


 小舟だ。

 右手、二百メートルばかり先。一艘の小舟が、水面を跳ねるように逃げている。艫で若い男が必死に櫂を漕いでいて、その後ろの海が、沸いていた。

 黒い背びれ。いや、ひれじゃない。骨みたいな、ぎざぎざの板だ。それが五つ、六つ。舟を追って、水を裂いてくる。


「リル!」


「わかってる!」


 言い終わる前に、リルは舳先へ跳んでいた。杖型のレリックが、ぼう、と光を溜める。

 水面が破れた。

 飛び出してきたのは魚だった。魚だと言い張るしかない何かだった。体長は、人の背丈ほど。頭の半分が顎で、その顎に、鋸みたいな歯が三列。目玉がない。かわりに、鼻先から肉の触角がゆらゆら生えている。

 それが宙で身をよじって、舟の男めがけて落ちてきた。

 光が走った。

 リルの光弾が化け物の胴を貫き、そのまま海面へ叩き落とす。爆ぜた水柱が、小舟をひっくり返しかけた。


「近い!舟ごと吹っ飛ばす気か!」


「だって、当たっちゃうんだもん!」


 俺は甲板を蹴った。

 海の上ってのは、つくづく俺たち向きじゃない。足場がない。跳んだ先に、地面がない。

 それでも、跳んだ。

 〈黒鴉〉を抜く。青白い光刃が、二本。

 落ちながら、水から飛び出してきた一匹を、すれ違いざまに両断した。断面から、血と一緒に、金属みたいな粒がぱらぱらこぼれる。

 着地は、小舟の縁だ。ぐらつく舟を膝で押さえ込み、若い男の襟をつかんで引き倒す。頭の上を、二匹目の顎が通り過ぎた。歯が、髪をかすっていった。


「伏せてろ!」


 男が、声にならない声でうなずく。

 三匹目が横っ腹から来る。斬る。四匹目が下から、舟板ごと食い破ろうと突き上げてくる。斬る。

 斬っても斬っても、水の中から次が来た。こっちの間合いを、向こうは海の底から好き放題に選べる。これが厄介だ。


「ご主人様、後方」


 ノアの声。振り向くより早く、銀の刃が俺の頭上をかすめて、背後の一匹の顎を、下から縦に割った。

 いつのまにか、ノアが舟に乗り移っている。メイド服の裾ひとつ濡らさずに。どうやって来た。


「ふふ。急ぎましたので」


 答えになっていない。


 残りが散った。散ったと思ったら、海が盛り上がった。

 小舟の、左。水面がこんもりと丘みたいに膨らんで、そこから出てきたのは、さっきまでのやつの四倍はある巨体だった。背中に、船の残骸みたいな板がびっしり生えている。生えてるんじゃない。食って、身に取り込んだんだ。

 そいつが、口を開けた。小舟なんか丸ごと入る口だ。


「リル、頼む!」


「――全力で、いくよ」


 声の温度が、変わった。

 舳先のリルの周りで、空気がびりびり軋む。杖の先に集まった光が、真っ白に潰れた。

 撃った。

 太い光の柱が、海と巨体を、まとめて撃ち抜いた。

 衝撃で、小舟が跳ね上がる。若い男を抱え込んで、俺は舟板にしがみついた。落ちてきた海水を、頭からかぶる。塩っ辛い。目にしみる。

 視界が戻ると、化け物は、うつぶせに浮いていた。動かない。背中の板の隙間から、赤黒いものが水に広がっていく。

 やった、と言いかけて、やめた。

 その向こう。もっと沖のほうで、白い骨板が、いくつも水を切っている。近づいては、こない。ただ、こっちを見ているみたいに、ぐるぐる回っていた。

 様子を見てやがる。魚が。


 小舟の男は、ナジと名乗った。二十歳にはまだ届かない、日に灼けた海の民の若者だ。引き上げてやったあとも、しばらく口をきけずにいた。

 カイアの村は、島の南の入り江に、貝殻みたいにへばりついていた。

 石を積んだ低い家。魚を吊るす棚。棚には、何も吊るされていない。舟が何艘も浜に引き上げられて、底を上に向けたまま干からびている。

 鯨号を入り江に寄せると、村じゅうの人間が浜へ出てきた。歓迎じゃない。半分は恐る恐る、半分は腹を空かせた目で、俺たちを見ている。

 子どもの腕が、細かった。

 その中から、女が一人、進み出た。

 四十くらい。灼けた肌に、短く刈った髪。左腕に、肩から肘まで引きつれた古傷がある。目つきは、遺跡帰りのハンターと同じだ。


「マレナだ。この村の網元をやってる」


「クロウだ。ギルドから来た」


「ナジを助けてくれたと聞いた」


 マレナは、俺の後ろで濡れねずみになっている若造をちらりと見て、それから深く頭を下げた。


「すまない。うちの馬鹿が、勝手に沖へ出た」


「馬鹿とはなんだよ、姉貴!みんな腹減らしてるから、おれが――」


「黙ってろ」


 ぴしゃりと言われて、ナジが口をつぐんだ。


 村の集会所で、干し草みたいに薄い茶を出された。それが、この村の精一杯のもてなしだった。


「海が変わりはじめたのは、半年前だ」


 マレナは、椀を両手で包んだまま話しはじめた。


「最初は、魚が減った。次に、獲れる魚の形がおかしくなった。目が四つあるやつだの、鱗の下に骨板が生えたやつだの。売り物にならん。食えば、あたる」


 半年かけて、じわじわ狂ってきた。


「それが、ひと月前から一気にひどくなった。喰らい魚――さっき、あんたが斬ってたやつだ。あれが群れで湧くようになった。漁に出れば、舟ごと食われる」


「さっきの、でかいやつも同じか」


「あれは」


 マレナは、こともなげに言った。


「あれでも、まだ小せえほうだ」


 俺は、茶を吹きそうになった。


 夜が来た。

 村の灯りは、数えるほどしかない。油も惜しいんだろう。俺は鯨号の甲板に上がって、黒い海を眺めていた。

 隣に、ノアが立つ。

 海に出てから、ずっとこの人形の様子がおかしい。何をするわけでもない。ただ、ふとした拍子に、水平線を見ている。長く。


「ノア」


「はい」


「なにか、思い出したか」


 ノアは、少し黙った。


「わかりません。ただ、この匂いを、わたしは知っている気がします。潮の匂いではなくて、もっと下の、冷たい水の匂いを」


 冷たい水。深いところの、水だ。

 こいつの記憶の底には、海がある。それだけは、たぶん間違いない。

 頭に手をのせようとして、やめた。かわりに隣へ並んで、同じ海を見た。しばらく、二人とも黙っていた。


 海が、光った。


 沖の、ずっと先。水平線の手前あたり。

 海の中から青白い光がすうっと立ちのぼって、まっすぐな筋になって、夜空を薙いだ。二本、三本。音は、遅れて届いた。腹の底に響く、低い唸り。

 甲板の手すりが、びりびり震える。


「なに、あれ」


 上がってきたリルが、ぽかんと口を開けている。

 浜のほうでは、村の連中がさっさと家へ引っ込んでいく気配がした。慣れてるんだ。毎晩なんだろう。


「あれが、あんたらの言う沖か」


 浜から上がってきたマレナに、俺は聞いた。

 彼女は、光の筋を見上げたままうなずいた。


「〈墓場〉さ。沈んだ船の墓場だ。じいさんの、そのまたじいさんの代からある。ずっと、死んだみたいに静かだった」


「ひと月前までは?」


「そうだ。ひと月前の夜、いきなり海が光った。それから毎晩、撃ってくる。何を撃ってるのかも、わからん」


 マレナの声が、低くなる。


「わかってるのは、もう沖へ出られないってことだけだ。船を出せば、あの光に沈められる。漁場は、あの向こうだ。だから、うちの村は、もう終わりなんだよ」


 終わりなんだ、とこの女は言った。

 海に食われて、海に撃たれて、それでもこの村は、海しか持っていない。

 俺は、沖で明滅する青白い光を見ていた。

 規則正しい。生き物の光じゃない。あれは、機械の光だ。誰かの命令を、律儀に、一万年、実行し続けている光だ。

 また、お前か。

 塔の心臓も。砂の底の頭脳も。呼ばれて起きて、それしか知らないまま、馬鹿正直に仕事を続けていた。


「ノア。海の底の“死んだ船”ってのは、どのくらい深く沈んでるもんだ」


「あの光の規模でしたら、百から二百メートルほどかと」


「船殻を強化すれば、潜れるか?」


 ノアが、ぴくりと動きを止めて、それから静かに微笑んだ。この人形は、俺がろくでもないことを言い出すときの顔を、先回りして知っている。


「〈星滴〉を使えば。あとは、この村の船大工の手を、少しお借りできれば」


「よし」


 俺は立ち上がって、伸びをした。塩でごわごわになった髪を、がりがり掻く。

 化け物魚がうじゃうじゃいる海。夜ごと光を撃ってくる、沈没船の墓場。その向こうに、村の生き死にがかかった漁場がある。そして、たぶん、そのもっと底に、この海を狂わせている本当の元凶が沈んでいる。


「潜るぞ、二人とも」


「え、鯨号で!?」

 リルの声が、ひっくり返った。


「沈むよ!? っていうか、あたし泳げないんだけど!」


「安心しろ。潜るんだから、泳がなくていい」


「なにその理屈!」


 ノアが、口元に手を当てて笑っている。

 沖では、まだ青白い光が、規則正しく夜を裂いていた。

 一万年、ご苦労なこった。

 その仕事、そろそろ終いにしてやる。


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