第38話 潮の匂い
クレイスの背後の暗がりで、何かがぎらりと光った。
刃物か。俺はとっさに腰の黒鴉へ手をかけた。仲間を、守らなきゃならない。全身に、緊張が走る。
だが、次の瞬間、その正体を見て、俺は拍子抜けした。
光ったのは、刃なんかじゃなかった。ボズ爺さんの店で見たのと、そっくり同じ。遺物の目利きに使う、丸い拡大鏡だ。それを目に当てているのは、ずんぐりした男だった。人が好さそうな顔をしている。財団の連中とは、まるで毛色が違う。祭りの見物人に紛れて、こっちの様子を窺っている。興味深そうにじろじろと。
いや、よく見りゃ、見物人は、そいつだけじゃなかった。
いつの間にか、俺たちの周りに人が集まってきていた。街のハンターたちだ。ぽつり、ぽつりと。顔なじみの顔も、何人か混じっている。みんな、財団の連中を剣呑な目で睨みつけていた。
「よう、黒衣の。何やら、揉めてるみたいじゃねえか」
人混みを割って一人のでかい男がのっそりと前に出てきた。この街のギルドで幅を
利かせている、古株のハンターだ。太い腕を組んでクレイスを、上から見下ろす。
「この街で、余所者が、堂々と脅しとはな。ずいぶんと、俺たちも、舐められたもんだ」
「そうだそうだ!」
「祭りの夜に、無粋な真似してんじゃねえよ!」
あちこちから、威勢のいい野次が飛んだ。
なるほどそういうことか。俺は内心でにやりと笑った。
こいつらは、俺に多少の恩義を感じてる連中だ。いつだったか、この街を騒がせた厄介事を、片づけてやったことがある。それを、義理堅く覚えていてくれたらしい。それに、この街のハンターは身内意識が強い。余所者が、常連を脅してるとなりゃ、黙って見ちゃいない。ありがたい話だ。
クレイスの、あの余裕たっぷりの笑みが、初めて強張った。
男は周りを、ぐるりと見回す。財団の連れは、たったの数人。対して、こっちに集まってくるハンターは、みるみるうちに、膨れ上がっていく。しかも、ここは祭りで賑わう街のど真ん中だ。見物人の目がありすぎる。ここで下手に手荒な真似をすれば、財団のほうが袋叩きにされる。数で勝る、地元の連中にだ。それくらいの計算は、この抜け目のない男にも、当然できるはずだった。
「……どうやら、旗色が悪いようだ」
クレイスは小さく肩をすくめた。差し出していた手袋の手を、すっと下ろす。
「今夜のところは、大人しく引かせていただきましょう。無粋な諍いで祭りに水を差すのは、私の本意でもありませんのでね」
「二度とその澄まし面、この街で見せんなよ」
俺が凄んでみせると、クレイスはそれでも、薄い笑みを崩さなかった。
「そう、つれないことを。ですが、これだけは覚えておいてください、黒衣の。今夜は、たまたまあなたに味方が多かった。ただ、それだけの話です。次にお会いするときも、そう都合よく助けが現れるとは限りませんよ」
そう言い残して。
クレイスは連れの男たちを引き連れ、祭りの人波の中へと、溶けるように消えていった。
俺は詰めていた息を、ふうっと長く吐き出した。危ないところだった。あのハンターたちが集まってくれなけりゃ、厄介な立ち回りを強いられるところだった。持つべきものは、やっぱり街での義理と人情だな。しみじみそう思う。
「大丈夫だったか、黒衣の」
古株のハンターが、俺の肩を、ぽんと叩いてきた。
「あいつら、噂の財団の連中だろ。近ごろこの街の裏でもやたらきな臭い動きをしてやがる。せいぜい、気をつけな」
「ああ助かったよ。この恩は、忘れない」
「なあに、困ったときは、お互い様さ。ま、せっかくの祭りだ。難しい顔は、そのへんで、しまいにしとけや」
そう言ってハンターたちは、がはは、と豪快に笑いながら、また祭りの雑踏へと戻っていった。
いい連中だ。俺がこの賑やかな街を、なんだかんだで根城にしてる理由が、今夜、少しだけわかった気がした。
「ねえクロウ、あの人たち、なんだったの?なんだか、すっごく怖い感じだったけど」
人混みから戻ってきたリルが心配そうに、俺の顔を下から覗き込んでくる。事情を、よくは飲み込めていないらしい。
「なに、大したことじゃない。ちょいと、しつこいセールスに、絡まれただけさ」
「セールス?」
「ああ。……どうも、この街は俺たちには、居心地が良すぎるみたいでな。あんまり長居すると、ろくなことがない。そろそろ、潮時かもしれん」
俺は灯籠の光の向こうに広がる夜空を見上げた。星がちらちらと瞬いている。
財団にはっきりと居場所を嗅ぎつけられた。この街に、これ以上のんびりとどまるのは、危ない。それに、俺の頭には、あいつの去り際の言葉が、妙に、こびりついて離れなかった。世界は、動いている、と。招集の信号。白い影。じっと足を止めていたって、その謎の答えは向こうからは、やってこない。ならば、こっちから動くしかない。動いて、一本ずつ、糸を手繰るしかないんだ。
その翌朝。
俺は次の行き先を決めるため、一人でギルドへ顔を出した。
依頼の貼られた掲示板をぼんやり眺めていると、受付にいた支部長の獣人の姉さんが一枚の依頼書を、すっと差し出してきた。ぴんと立った獣の耳がこっちを見ている。
「あんたら、腕は立つんだろう。これ、受けてみる気はないかい。ちょいと、厄介そうな依頼でね。誰も、手を挙げたがらないのさ」
受け取った依頼書には遠い、名も知らぬ海辺の漁村の名が、記されていた。ざっと内容に目を通す。
――海が狂っている。
冒頭にそう、殴り書きされていた。
近ごろその村の沖で、化け物じみた魚が大量に湧くのだという。見たこともないような、恐ろしい魚が。牙を剥き船を襲う。おかげでまともな漁が、まるでできなくなった。海の恵みで暮らしてきた村は今や飢えかけている。原因は誰にも、わからない。ただ、村の年寄りの漁師たちは、口を揃えて、こう囁くのだそうだ。
沖の深い海の底に、旧文明の遺跡が丸ごと一つ沈んでいる。それがつい最近、長い眠りから目を覚ました。そのせいで海がすっかりおかしくなったのだ、と。
旧文明の遺跡。目を、覚ました。
その一文に俺は思わず目を留めた。
招集の信号。各地でいっせいに目を覚ましつつある、古い機械たち。この海の異変も間違いなく、その一つなんだろう。カルナフと同じだ。
「海、ねえ」
俺は依頼書の端を、指でぱちんと弾いた。砂漠を出たと思ったら、今度は、海か。まったく、忙しないこった。腰を落ち着ける暇も、ありゃしない。
だが、放ってはおけない話だった。困り果ててる村人がいて、その苦しみの大元に狂った旧文明の機械がいる。だったら、答えは決まってる。行って、その化け物を、看取ってやるまでだ。それがどうやら、俺という男の性分らしい。
鯨号に戻って、俺は二人に、依頼書を見せた。
「なあ、二人とも。次の行き先、決まったぞ。海だ」
「海!?」
とたんにリルの顔がぱあっと花みたいに輝いた。
「あたし、海、行ってみたい!ずっと憧れてたんだ! あ、でも、あたし、泳げないや」
「おい、泳げないのかよ。海に憧れといて、そりゃどういう了見だ」
「う、うるさーい!これから、練習するもん」
リルが、ぷうっと頬を膨らませた。その様子が、なんとも可笑しい。
「だ、大丈夫。ノアさんが、いてくれるもん!ね、ノアさん」
「ふふ。仕方のない方ですね。では、大きな浮き輪を、一つ、用意しておきましょうか」
ノアが口元に手を当てて楽しそうに笑った。
だがその笑顔がふと、途中で、和らいだ。遠い、どこか懐かしいものでも、思い浮かべるみたいに。
「海、ですか。……なんだか、少しだけ懐かしい気がします。わたし、海になんて、行った覚えは、ないはずなのに。おかしいですね」
その何気ない一言が、俺の胸に、小さく引っかかった。
ノアもまたリルと同じで、思い出せない過去を、静かに抱えている。もしかしたら、その狂った海の底に。こいつの、失われた記憶に繋がる、何かが、眠っているのかもしれない。
だが、そんなことは、行ってみなけりゃ、何一つ、わからない。
俺は鯨号の、あたたかい炉に、そっと手を当てた。パラゴンで手に入れた星滴の力があれば、こいつはどこへだって走れる。砂漠だろうが、海の上だろうが、関係ない。頼もしい、我が家だ。
「よし。なら、決まりだ。次の行き先は、海。狂った海を、鎮めに行くぞ」
窓の外では、アステライアの朝日が街並みを、眩しい金色に染め上げていた。
鯨号がゆっくりと、街の外へ動き出す。窓の外を、見慣れた街並みが後ろへ流れていった。しばらくはこの街ともお別れだ。だが、また、ふらりと戻ってくればいい。俺たちの旅に、終わりの地図はないのだから。
砂の匂いの、次は、潮の匂い。
いったい、どんな謎と出会いが、その先で待っているのか。柄にもなく、俺は少しだけ胸が高鳴るのを感じていた。
新しい風は、いつだって俺たちを、まだ見ぬ次の場所へと連れていく。今度の風は、どうやら潮の匂いがするらしい。さて、腹ごしらえでもして、のんびり海へ繰り出すとするか。




