第36話 叡核と目利きの爺さん
翌日。俺はあの拳ほどの結晶を懐に、街の裏通りへ向かった。
リルとノアも一緒だ。カルナフで拾ってきた、あのとんでもない宝。ノアが〈叡核〉と呼ぶ代物の正体を、はっきりさせておきたかった。値打ちも、危なさも、ぜんぶだ。
こういうときに頼れる相手は、この街に一人しかいない。
表通りの喧騒を抜けて路地へ入ると、急に人気がなくなった。日の当たらない、湿った石畳。こういう場所にこそ、この街の裏の顔がある。細い道を何本も折れた先に、埃っぽい看板を掲げた古ぼけた骨董屋があった。ボズ爺さんの店だ。この街いちばんの目利きで、遺物の値打ちならこいつに聞けば間違いない。おまけに、街の裏の裏まで知り尽くした生き字引でもある。
軋む扉を押し開けると、黴と古い金属の匂いがした。
薄暗い店の奥。痩せた老人が片目に拡大鏡をはめて、小さな部品を覗き込んでいる。ボズだ。
「よう、爺さん。生きてたか」
「なんだ、黒衣の坊主か。生きとるに決まっとろうが。縁起でもない」
ボズが拡大鏡越しに、じろりと俺を見た。それから俺の後ろのリルに気づいて、皺だらけの顔をふっと緩める。
「おや、リルの嬢ちゃんも一緒か。久しぶりだねえ。ちゃんと飯は食っとるのか」
「ボズ爺、久しぶり!元気そうじゃん!」
リルが気安く手を振った。この二人は、リルがこの街で駆け出しだった頃からの馴染みらしい。爺さんがリルを見る目は、孫でも見るみたいに甘い。
「で。今日は何の用だ。またぞろ、辺鄙な穴で拾った半端物でも掴ませに来たか」
「まあ、そう言うなって。今日のは、ちょっと毛色が違うぜ」
俺は店の奥の作業台に、懐から取り出したものをそっと置いた。
拳ほどの、透き通った結晶。その中で、わずかに残った光の粒がちらちらと瞬いている。
それを見た瞬間だった。
ボズの、拡大鏡をはめた目がかっと見開かれた。
部品を持つ手が止まる。ゆっくりと椅子から腰を浮かせて、爺さんは食い入るように結晶を見つめた。しばらく、声も出ないみたいだった。
「――坊主。これを、どこで拾った」
声が掠れている。
「砂漠の底さ。埋もれたでかい遺跡の、いちばん奥だ」
ボズは震える指で、そっと結晶に触れた。それから棚を漁って、古びた道具をいくつか引っ張り出してくる。細い針みたいなものを近づけて、目盛りを読む。指で表面をそっと弾いて、その音にじっと耳を澄ませた。長年の勘と道具の両方で、こいつの正体を確かめようとしている。
「馬鹿な。こいつは」
やがて爺さんは、椅子にどさりと座り込んだ。額にうっすら汗が浮いていた。
「前に見せてもらった、あの青い結晶。星滴。あれもたまげたが、こいつは桁が違うぞ」
「どういうことだ」
「星滴は、ただの力の塊だった。とんでもない量のな。だが、こいつは違う」
ボズは結晶を指さして、声を落とした。
「見ろ。中で、光が“考えとる”。これはな、旧文明が“ものを考えさせる”ために作った機械の、心臓だ。ただの石ころじゃない。生きた知性の、かけらなんだよ」
俺は思わず、その光の粒を覗き込んだ。言われてみりゃ、ただ光ってるんじゃない。何か規則正しく、脈打っている。眠っている生き物の、寝息みたいに。
「一万年前、連中はこういう機械に、街を丸ごと動かさせた。世界の謎も、解かせた。こいつはその、頭脳の欠片だ。……そんな代物が、まだ息をしとるとはな」
カルナフの、あの水晶の柱を思い出した。一万年、たった独りで問いを解き続けた孤独な機械。あれのなれの果てが、この手のひらの上にある。
その間、リルは退屈したのか、店の棚をあちこち覗いて回っていた。錆びた歯車や、用途のわからない金属の箱。旧文明のがらくたが、埃をかぶって並んでいる。
「ねえボズ爺、これ何?」
「触るな、嬢ちゃん。それは、下手に弄ると爆ぜるやつだ」
「わっ」
慌てて手を引っ込めるリルに、俺は思わず吹き出した。相変わらず、危なっかしいやつだ。
「で。値打ちは、どのくらいなんだ」
俺が軽い調子で聞くと、ボズはじろりと睨んできた。
「馬鹿を言え。こんなもん、値なんぞ付けられるか。いや、違うな。付けられんのは、高すぎるからじゃない。危なすぎるからだ」
爺さんは身を乗り出してきた。皺の奥の目が、真剣だった。
「いいか、坊主。これだけは本気で言っとく。――こいつを持っとることは、絶対に、誰にも知られるな」
「そんなに、やばいのか」
「ああ。前に言ったろう。旧文明の力を血眼で買い漁る連中がいる、と。あの、たちの悪い手合いだ。奴らがこの世でいちばん欲しがってるのが、まさにこれよ。生きた、旧文明の知性。喉から手が出るほど、な」
灰色の紋章が頭をよぎった。鍵と、歯車。オルダーグレイ財団。カルナフで、クレイスとかいう男が必死に奪おうとした代物だ。ボズの言う“連中”は、間違いなくあいつらのことだ。
「奴らは、金も人手も際限がない。こいつを持っとると知れたら、地の果てまで追っ
てくるぞ。手荒な真似も平気でやる連中だ。……坊主。嬢ちゃんや、そこのお嬢さんを危ない目に遭わせたくなけりゃ。深く深く、しまい込んでおけ」
物騒な、話だ。こんな厄介の種は、いっそ手放しちまいたくもなる。けど、こいつを買える相手なんて、それこそ財団くらいのものだろう。ならいっそ、誰にも渡さず、俺たちで抱え込んでおくほうが、まだましかもしれない。とんでもない宝を、拾っちまったもんだよ、まったく。
俺はノアと顔を見合わせた。ノアが静かに頷く。
「ご心配なく、ボズさん。この核は、厳重に封じてあります。ただ、少しだけ拝借しました」
「拝借?」
「ええ。ほんのひとかけらを、鯨号の解析装置に。おかげで、旧文明の言葉を少しずつ読み解けるようになったんです」
ノアが懐から、小さな手帳を取り出した。この数日で解読した、旧文明の文字の断片が書き留められている。
「気になることが一つ。この核に残っていた記録の中に、何度も繰り返される言葉があったんです」
ノアが手帳を開いて、俺に見せた。ある一語を、指でさす。
「“招集”。そう読めます」
「招集?」
「はい。誰か、あるいは何かを呼び集めるという意味の言葉です。この核が眠りにつく直前に。どこからか、この“招集”の信号を受け取った記録が残っていました」
背筋が、ぞくりとした。
招集。呼び集める。カルナフの地の底で俺が感じた、あの信号。街で聞いた、各地の遺跡が目覚める噂。ぜんぶ繋がった。誰かが大陸中の眠った機械に向かって、「集まれ」と号令をかけてるんだ。
「もう一つ。その信号が、どこから来たのか。方向だけ、たどってみたんです」
ノアが、少し声を落とした。
「はっきりとは、読めません。ただ――“上”から、としか」
「上?」
「空の、ずっと上。地上のどこでもない場所から。この信号は届いていたようです」
空の、ずっと上。俺はなんとなく、昼間の青い空を見上げる気分になった。あんな
高いところに、いったい何があるっていうんだ。
「“招集”、か」
ボズが難しい顔で、顎を撫でた。
「妙な話と符合するな。ここ最近、方々で、死んだはずの遺跡がいっせいにざわつき出しとる。長いことこの商売をやっとるが、こんなのは初めてだ。ハンター連中も、気味悪がっとる。まさか、その“招集”とやらのせいだってのか」
「かもな。まだ、なんとも言えないけど」
俺がそう答えたとき。
ふと、リルが小さく声を上げた。
「あれ?」
見ると、リルの胸元の鍵が、ほんの一瞬、淡く光って消えた。ノアの手帳の、あの“招集”の文字に応えるみたいに。リル自身、きょとんとして自分の胸元を見下ろしている。
「なんだろ。今、鍵がちょっとだけ、あったかくなった気が……気のせい、かな」
俺とノアは、目を見合わせた。
リルの鍵。旧文明の紋章。それが、この“招集”という言葉に反応した。偶然とは思えない。けど、それが何を意味するのかは、まだまるで見えなかった。糸の端は、確かに掴んだ。その先は、深い霧の中だ。
店を出ると、外はもう昼下がりの光だった。
頭の中では、いくつもの謎が、渦を巻いていた。地の底から届いた、“招集”の信号。それに呼応するように、各地の遺跡がいっせいに目を覚ました。そして、その言葉に、リルの鍵まで熱を持った。掴んだばかりの糸は、どれもまだ、どこにも繋がっちゃいない。考えるほどに、こんがらがってくる。
「なあ、クロウ。あたしの鍵、やっぱり何か変なのかな」
リルが不安げに、胸元を押さえた。
俺はその頭に、ぽんと手を置いた。
「変っちゃ変だな。けど、心配すんな。糸は少しずつ手繰ってやる。急ぐ旅でもない。まずは腹ごしらえだ。ボズ爺さんに、旨い店でも聞いていこうぜ」
リルの顔が、ふっとほころんだ。
「もう。クロウって、すぐ食べ物の話にするよね」
「腹が減っちゃ、謎解きもできないだろ」
軽口を叩き合いながら、俺たちは賑やかな表通りへと歩き出した。
それにしても、厄介な土産を、持ち帰ったもんだ。空の上の“何か”が信号を送り、大陸中の機械が目を覚まし、リルの鍵までが、それに応える。考えるほどに、話がどんどん、大きくなっていく。けど、まあいい。今はまだ、糸の端を掴んだばかりだ。腹の減った頭で焦ったって、ろくな答えは出やしない。謎解きは、旨いものを腹に入れてからだ。




