第32話 鋼の蠍を断つ
リルの胸へ、青白い針が落ちてくる。
間に合わない。距離がありすぎる。頭ではそうわかっていた。
だが、体のほうが勝手に動いていた。
気づいたら俺は、黒鴉の片割れを思いきり投げつけていた。回転しながら飛んだ刃が針の横っ面に食い込む。ほんのわずかだが軌道がずれた。針はリルの肩をかすめて、すぐ脇の床に突き刺さる。血が散った。だが心臓は外れた。
「リル!」
「へ、平気……!かすっただけ!」
間に合った。いや、間に合わせたんだ。
地を蹴ってリルとサラたちの前に割り込む。残った一刀を構え直して蠍を睨みつけた。
もう、あの化け物の好きにはさせない。仲間を殺させてたまるか。腹の底がかっと熱くなった。俺のどこかの箍が、完全に外れる音がする。得物を片方投げちまったから、今は一刀だけだ。それでも構うもんか。この一本であの鋼の化け物を、砂の底に還してやる。
腰だめに力を溜めた。強化服の駆動部が限界まで唸りを上げる。星滴で底上げされた黒鴉が、これ以上ないほど青白く燃えた。
次の瞬間、俺は駆けた。
蠍の懐へ一息で潜り込む。尾が振り下ろされた。だがそのときにはもう、反対側へ抜けている。すれ違いざま脚の一本を根元から斬り飛ばした。鋼の脚が火花を散らして宙を舞う。
だが――足りなかった。
斬り飛ばした断面から、青白い光が滲み出す。みるみるうちに失われた脚がまた生えてきた。関節が組み上がり、鋭い先端が形を成す。ものの数秒で元通りだ。街がこいつを、いくらでも直しちまう。何本斬ったところで、いたちごっこにしかならない。
もう一度、斬りかかった。今度は頭の上から。蠍はそれを尾で難なく払う。俺の動きを、また読み切っている。街との繋がりが生きてる限り、こいつはいくらでも俺の先を読み、いくらでも自分を修復する。力任せに叩っ斬るだけでは、絶対に倒せない。頭ではとっくにわかっていた。だがこうして改めて突きつけられると、いっそ笑えるくらい絶望的だった。
じり貧だ。このまま長引けば、街はますます賢くなり、上の水はどんどん干上がっていく。時間は、俺たちの味方じゃない。
「クロウ!」
サラの声が飛んできた。壁際で耳を押さえながら、それでも必死に叫んでいる。
「あの蠍の、お腹の下です!そこから街の力が、どんどん流れ込んでます!あれが、あいつの命綱なんです!」
聞き手の娘の声に、俺は蠍の足元へ目をやった。
言われてみりゃ、そうだ。街じゅうを這う青白い光の管。そのうちの何本もが太い束になって、蠍の腹の下の地面へと潜り込んでいる。あそこから街が、こいつに力を送ってるんだ。読みも、再生も、あの俊敏さも。何もかもの大元が、あの束にある。
あれを断つ。街との繋がりさえ断ち切っちまえば、この化け物はただの、でかい鉄屑に成り下がる。
活路が見えた。
だが、話はそう簡単じゃない。
蠍は低く地面に張りついている。腹の下なんぞ、そう易々とは覗かせちゃくれない。おまけに砂の中を潜っては、いつでもどこからでも突き上げてくる。あの太い束に刃を届かせる隙が、どこにも見当たらなかった。
あのでかい図体を、どうやってひっくり返す。それとも死ぬ気で、腹の下に潜り込むか。どっちにしろ、一歩間違えればあの世行きの綱渡りだ。
「ノア、リル!聞いてくれ!」
俺は蠍を牽制しながら、声を張り上げた。
「あいつの、腹の下の管を断つ!それだけが唯一の勝ち筋だ!だが、そのためには腹を晒させなきゃならん。リル、お前のがあいつを思いきり煽ってくれ!頭に来たあいつが、でかい一撃をこの俺めがけて振り下ろす。その一瞬に、腹ががら空きになる」
「わかった!つまり、あいつを本気でキレさせりゃいいんだね!」
「そういうことだ!お前の得意技だろ。ノアは、サラを守りながら、あいつの狙いをサラの声で俺に伝えてくれ! 頼んだ!」
「かしこまりました。ご武運を」
作戦はいたって単純だ。リルが出鱈目な砲撃で蠍を挑発する。かっとなった蠍が、俺を叩き潰そうと大きく上体を持ち上げる。その、腹が晒された一瞬に、俺が真下へ飛び込んで命綱を断つ。
賭けだった。タイミングを一つでも読み違えれば、あの毒針か、でかい鋏で串刺しにされる。仕損じは許されない。一発勝負だ。
だがやるしかない。ほかに手はなかった。
「行くよ、クロウ!そこ、どいてて!」
リルが杖を振り上げた。
狙いもへったくれもない、滅茶苦茶な弾幕が蠍めがけて降り注ぐ。あっちへ。こっちへ。てんでばらばらの方向から、読めない一撃が続けざまに装甲を叩いた。加速した街の頭脳でも、この完全な出鱈目だけは、どうにも計算しきれないらしい。蠍の動きが、また、ぎくしゃくと乱れ始めた。
「効いてる!いいぞ、もっとだ!」
「言われなくても!」
リルがなりふり構わず撃ちまくる。壁が抉れ、床が爆ぜ、砂埃が舞い上がった。蠍の苛立ちが、手に取るように伝わってくる。細い脚がいらだたしげに地面を掻いた。背中の尾が大きく鎌首をもたげる。青白い針の先が、憎々しげに俺のほうを向いた。
来る。とびきりでかいのが。
「ご主人様、右です!尾が、真上から来ます!」
ノアの声が鋭く飛んだ。
その瞬間、蠍が大きく上体を持ち上げた。俺を真上から、一息に叩き潰そうと。青白い針が天井近くまで振りかぶられる。八本の脚が地面を踏みしめ、体をぐんと反らせた。
腹が、晒された。
今だ。ここしかない。
俺は地を蹴った。振り下ろされてくる尾の、その内側へ。頭から飛び込む。蠍の、でかい体の真下へと。
頭上で、風を切る鋭い音がした。針が、俺のさっきまでいた場所を深々と抉る。間一髪だった。心臓が、口から飛び出しそうになる。だが止まらない。ここで止まれば、串刺しだ。
視界の隅で、砂がぱらぱらと降ってくる。頭上では、蠍の巨体が、ぎしぎしと不気味に軋んだ。汗が、目に染みる。心臓の音が、耳のなかで、うるさいくらいに響いた。それでも、俺の目は、たった一点だけを睨みつけていた。あの、命綱の束を。
目の前にあった。腹の下。太く束ねられた、青白い光の管。街とこの化け物とを繋ぐ、たった一本の命綱。
黒鴉を両手で握り直す。ありったけの力を、この一刀に込めた。星滴の光が、刃の上で、これ以上ないほど激しく燃え上がる。
「――断ち切れ!」
腹の底からの咆哮とともに、渾身の一撃を光の管の束へ叩き込んだ。
確かな手応えがあった。
ぶつり、と。太い束がまとめて断ち切られる、重い感触。
その、瞬間だった。
蠍の巨体から、光がいっせいに抜け落ちていった。
青白く脈打っていた装甲が、みるみる色を失う。ぎらついていた、あの油を差したみたいな滑らかさが、嘘みたいに消えた。持ち上げていた上体が支えを失って、がくんと大きく傾ぐ。
街からの、力の供給が断たれたんだ。読みも、再生も、もうない。
こいつは今、ただの、動くだけの鉄屑に成り下がった。
俺は蠍の下から、砂を蹴って転がり出た。
「リル、今だ!こいつ、もう何も読めやしない。ただの、でかい的だ!」
「やっと、あたしの本気の出番だね!」
リルの顔がぱっと輝いた。
今度こそ、狙いをじっくり澄ませる。杖の穂先に、これまでで一番でかい光の塊が膨らんでいった。
力を失った蠍が、鈍い動きでのろのろとこっちへ向き直ろうとする。だが遅い。もう、俺たちを散々翻弄した、あの俊敏さは、どこにも残っちゃいなかった。
「これで――終わりだよ!」
リルの渾身の一撃が放たれた。
巨大な光の砲弾が、まっすぐ蠍の胴のど真ん中を撃ち抜く。分厚い装甲が耐えきれず、内側から爆ぜた。
俺も駆けた。爆風をくぐり抜けて、砕けた蠍の懐へ躍り込む。剥き出しになった、心臓みたいな部分へ、黒鴉の刃を根元まで深々と突き立てた。
鋼の蠍が、断末魔の駆動音を、たった一つ絞り出す。
それきり、二度と動かなくなった。
八本の脚が力なく、砂の上に投げ出される。あれだけ俺たちを死ぬほど苦しめた化け物が、今はもう、ただの、砂まみれの残骸だ。
つい今しがたまで、俺たちの命を、何度も刈り取ろうとしていた化け物が、だ。旧文明の作った番人ってのは、つくづく、しぶとくて、おっかない。あんなのが本気で襲ってくるんだから、墓荒らし稼業も、命がいくつあっても足りやしない。
やった。とうとう倒したんだ。あの、街の番人を。
俺は荒い息をつきながら、その場にどっかと膝をついた。
さすがに、今のは応えた。強化服はあちこち裂けて、体じゅう擦り傷と打ち身だらけだ。腕も、まだじんじん痺れている。心臓は、まだ暴れたままだ。あんな無茶な賭けは、当分ごめんこうむりたいな。だが、生きてる。仲間もみんな、無事だ。今はもう、それだけで十分だった。
「クロウ、やったね!すごい、すごいよ!」
リルが駆け寄ってきて、勢いよく飛びついてくる。ノアとサラも、心底ほっとした顔で近づいてきた。
「ご主人様。お見事な太刀筋でした。お怪我は、ありませんか」
「かすり傷だ。まあ、かすっちゃいないけどな」
軽口を叩きながら、俺は膝に手をついて立ち上がった。
だがリルは、俺の裂けた強化服を見て、心配そうに眉を寄せた。
「もう、無茶ばっかり。あの蠍の下に、頭から突っ込むなんて。あたし、本気で、心
臓が止まるかと思ったんだから」
「悪い悪い。けど、ああするしか、なかったんだよ。あいつを倒すには、あの命綱を断つしか、手がなかった」
ノアが、俺の腕の傷に、手早く布を巻いてくれる。その手つきは、いつも通り、優しくて、手際がいい。
「本当に。ご主人様は、いつもわたしたちを、はらはらさせる名人でいらっしゃいますね」
「面目ない。けど、これでも、勝算はあったんだぜ。」
サラが、はっと、街の中心にそびえる、あの高い塔を見上げる。
「クロウ……街の唸りが、まだ止まりません!ううん、むしろ、さっきより速くなってる! 蠍を倒しても、街そのものは、計算をやめてないんです」
その通りだった。番人は、確かに倒した。だが、こいつを操っていた本当の大元。あの塔の奥にある街の心臓は、まだ動き続けている。上の水を、今この瞬間も飲み干しながら、ひたすら計算を進めているんだ。本当の敵は、まだこの先にいる。
そして。
塔の方角から、あの聞き覚えのある嫌な音が、地の底に轟いた。何か、とてつもなくでかい機構が起動する音だ。
サラの顔が、さっと青ざめる。
「あの財団の人たちが、塔のいちばん奥。街の心臓の、すぐそばまでたどり着いてます!今、まさにそれを無理やり動かそうと……!」
クレイス。
あの男が、とうとう核までたどり着いたのか。俺たちが蠍相手に、死にものぐるいで暴れてる、ちょうどその隙にだ。
番人は砕いた。今度は、心臓の番だ。
あの男の薄汚い企みごと、まとめて止めてやる。




