第31話 出鱈目の砲手
広間を出ると、蠍はまだそこにいた。
俺たちが逃げ込んだ脇道の出口、その正面。八本の脚を畳んで、低く身を伏せている。逃げた獲物が巣穴から這い出してくるのを、じっと待ち構えてやがったのだ。気の長い番犬だよ、まったく。腹の下からは相変わらず青白い光の管が何本も伸びて、街の血を吸い上げている。こっちが顔を出した瞬間、節だらけの尾がぴくりと持ち上がった。
「来たぞ。打ち合わせ通りだ」
俺は黒鴉を構えた。
作戦は単純だ。リルが鍵で街の計算に負荷をかけ、蠍の“読み”を鈍らせる。鈍ったところを出鱈目な砲撃と俺の連携で押さえ込んで、その隙に中央の塔の核まで突っ走る。単純だが、賭けの要素が多すぎる。鍵がどう作用するかも、負荷が足りるかも、やってみなけりゃわからない。
けど、ぐだぐだ言ってる暇はなかった。上の水はこうしてる今も、滝みたいに飲まれ続けてるんだ。サラの街が、一刻ごとに干上がっていく。
「ノア、サラを頼む。何があっても、その子から離れるな」
「かしこまりました」
ノアがサラの前に、すっと立つ。メイド服の袖から、いつもの細い刃をのぞかせて。これで後ろは、ひとまず心配ない。
「リル、頼む」
「うん!」
リルが胸元の鍵を両手で握り込んだ。
目をぎゅっとつぶる。その小さな手の中で、古い鍵がじわりと青白い光を強めていった。街じゅうを這う溝と、寸分たがわぬ色だ。
「街さん。ちょっとだけ、お邪魔するよ」
リルが囁いた。
次の瞬間、光がはじけた。
鍵から放たれた光が、足元の溝へとざあっと流れ込んでいく。波紋みたいに通りを伝い、建物を渡り、街じゅうへ広がった。とたんに街の唸りが跳ね上がる。明滅がめちゃくちゃに乱れだした。規則正しかった光の流れが、急にあっちへこっちへと暴れ出す。でかい水たまりに、いきなり石を投げ込んだみたいに。
「サラ、どうだ!」
「効いてます!」
俺のすぐ後ろで、サラが叫んだ。胸を押さえ、顔をしかめながら、それでもはっきりと。
「街が混乱してます!いろんな計算がいちどに押し寄せて、処理が追いついてない!今です!」
効いた。
見ると、蠍の動きが目に見えてぎこちなくなっていた。さっきまでの、油を差したみたいになめらかな殺意が、嘘みたいに消えている。脚の運びがばらばらだ。尾の構えも、どこか頼りない。街がこいつを操る余裕を、なくしたのだ。
「リル!撃て!いつもの出鱈目でな!」
「言われなくても!」
リルが杖を振り上げた。
狙いなんざ、つけやしない。穂先に膨らんだ光を、ただめちゃくちゃにぶっ放す。一発、二発、三発。あっちへ、こっちへ、てんでばらばらの方向へ。壁が抉れ、床が爆ぜ、天井から砂がこぼれ落ちる。我ながら、味方の砲撃が一番怖いなんてのは、なかなかできる経験じゃない。けど、今はそれでいい。出鱈目こそが、こいつの天敵なんだ。
その滅茶苦茶な弾幕が、ぎこちなくなった蠍をまともに捉えた。
今までなら楽々避けていたはずの一撃が、装甲を続けざまに抉る。蠍がよろめいた。砂の中へ潜ろうとして、タイミングをしくじり、無様にたたらを踏む。読みが利いてない。どこへ飛んでくるかわからない弾を、計算しきれずにまともに食らってやがる。
「いいぞ、その調子だ!考えるな、感じろってやつだ!」
「なにそれ!でも、わかる気がする!」
俺は駆け出した。
蠍が弾幕に気を取られてる隙に、懐へ潜り込む。いつもなら踏み込む寸前に尾で潰されてた間合いだ。けど、今の蠍は俺の動きを読みきれない。尾の反応がワンテンポ遅れた。その一拍を、逃さず突く。
黒鴉の二刀が、蠍の脚の付け根を深々と斬り裂いた。星滴で研ぎ澄まされた刃が、ぶ厚い装甲を豆腐みたいに断つ。脚が一本、火花を散らしてもげ落ちた。残った脚で体を支えようとして、蠍が大きく傾く。
蠍が初めて、悲鳴みたいな駆動音を上げる。
「やった!ねえクロウ、あたしたち、けっこうやれてるんじゃない?」
「調子に乗るな。けど、まあ――悪くは、ない流れだ」
塔のほうへ、ちらと目をやった。今なら、蠍が傾いてる隙に、核まで突っ走れるかもしれない。そう思って一歩踏み出した瞬間、行く手の床がぐぐっとせり上がった。つるりとした壁が、塔への道を塞いでいく。蠍が手こずってる間も、街そのものはちゃんと俺たちを核から遠ざけてやがるのだ。抜け目がない。
なら、もう一押しだ。脚をあと何本か削いで、蠍ごと動きを止めてから、力ずくで壁をぶち抜く。そう、頭の隅で算盤を弾いた。
けど、その算盤が嫌な音を立てた。
嫌な予感が、ちりっと背中を走る。
うまくいきすぎてる。こういうときが、決まって一番危ない。長年の墓荒らし稼業で、嫌ってほど身に染みた勘だ。
その予感は、ものの数秒で当たった。
「ご主人様!」
ノアの、鋭い声が飛んだ。
俺ははっとして、リルのほうを振り向いた。
リルの様子がおかしい。鍵を握ったまま、その場に膝をついている。顔から血の気が引いて、歯を食いしばっていた。
「リル!」
「だ、大丈夫っ。でも、変なんだ。鍵が、勝手に。あたしの中の、何かを、ぐいぐい引っ張ってくる!」
リルの胸元で、鍵がもはや彼女の手に余る勢いで光り輝いていた。リルが流し込もうとしてる力を、はるかに超えて。まるで堰を切ったみたいに、際限なく。
そして、リルの瞳が、ふっと焦点を失った。
「……あれ。なに、これ。だれかの、声がする」
うわごとみたいに、リルが呟いた。
「やわらかいベッド。白い天井。だれかが、あたしの手を、ぎゅって握って、ごめんね、って、泣いてる。なんで。なんで、泣いてるの」
鍵が引っ張り出したのは、力だけじゃなかった。こいつの奥底に沈んでた何かまで、無理やり浚い上げてる。失くしたはずの、記憶のかけらを。
「リル!戻ってこい!こっちを見ろ!」
俺が怒鳴ると、リルははっと目を見開いた。焦点が戻る。けど、その顔は、見たことがないくらい心細げに歪んでいた。
「クロウ。あたし、今、なにか――」
「あとだ!今は、目の前に集中しろ!」
「サラ、街は!」
「まずいです」
サラが耳を押さえて、悲鳴を上げた。
「混乱が、収まってきてます。うん、違う!街がリルさんの鍵を、逆に利用し始めたんです!押し寄せた計算を力ずくで片付けるために、処理の速度をどんどん上げてる!」
最悪の、誤算だった。
負荷をかけて街を溢れさせるつもりが、街は、その溢れた計算を力ずくで処理しきるために、ギアを上げやがった。リルの鍵から流れ込む力を、計算を加速させる燃料に変えている。叩いたつもりが、餌をくれてやったわけだ。
「上の水を飲む速度が、跳ね上がってます!」
サラの顔が絶望に歪んだ。
「このままじゃ、計算が終わるまで保たない!オアシスが、あっという間に干上がっちゃう!」
くそ。
俺たちが計算を止めようとしたことが、まるごと裏目に出た。街を揺さぶったせいで、かえって終わりを早めちまった。よかれと思って井戸の底を蹴り壊した、間抜けな鼠みたいなもんだ。
しかも、面倒はそれだけじゃ済まなかった。
加速した街の演算が、再び蠍へと流れ込んでいく。
ぎこちなかった蠍の動きが、みるみる滑らかさを取り戻していった。もげた脚の傷口から青白い光が滲み出して、失われた脚がじわじわと再生されていく。傾いていた巨体が、ゆっくりと、また低く構え直す。街が計算を取り戻すと同時に、こいつへの“読み”も操作も、何もかもが元に戻っていくのだ。
リルの出鱈目が、もう効かない。
加速した街は、リルの滅茶苦茶な砲撃すら片端から計算し尽くして、つるりといなし始めた。さっきまで面白いように当たっていた弾が、また空を切っていく。しかも肝心のリルは、鍵に力を吸われて、まともに狙いもつけられない有様だ。
「嘘でしょ。なんで、なんでなの!」
リルが青ざめた顔で、それでも杖を構え直す。けど、もう、彼女自身が鍵に力を吸われて、ふらついていた。立っているのが、やっとだ。
形勢が、きれいにひっくり返った。
ほんの一瞬の優勢から、一気に最悪へと。
そして、間の悪いことに。
塔の方角から、別の音が轟いた。
地鳴りとは違う。何か、でかい機構が起動する、嫌な音だ。
サラがはっとして、塔のほうを見上げた。
「中央の核に、あの財団の人たちがたどり着いた!無理やり、接続してます!」
クレイス。
あの男がとうとう、いちばん奥にたどり着いたのだ。俺たちが蠍に手こずってる、ちょうどその隙に。
核に直接ケーブルを繋いで、起動をもっと加速させようとしている。街の演算を限界まで引き上げて、答えを力ずくで吐き出させるために。仲間の死体を踏み越えてまで欲しがった“資産”だ。何が何でも手に入れる気らしい。たいした執念だよ。
「街が、すごく喜んでるみたいに聞こえます」
サラが、震える声で言った。
「やっと答えが出せる、やっと役目が終わるって。だから、もう止まってくれない。あの人たちと、あたしたちが、二人がかりで、終わりへ背中を押しちゃってるんです」
皮肉な話だった。止めようとした俺たちと、起こそうとした財団。狙いは正反対なのに、二人して、この街を終わりへと走らせてる。
二重の加速だった。リルの鍵で乱れた街が、自分で立て直そうとして速まり、そこへ財団が、核から鞭を入れる。
街が軋みを上げて、暴走を始めた。
壁が不規則にせり上がっては崩れ、床が波打つ。溝を流れる光がもはや制御を失って、あちこちで火花みたいに弾けていた。地の底の街が、まるごと悲鳴を上げているみたいだった。
「クロウ、どうするの!?」
リルがふらつきながら、叫んだ。
蠍は再び、完全な狩り手に戻っていた。再生したばかりの脚で地を蹴って、こっちへ迫ってくる。背後の塔では財団が核を煽り、街は暴走し、上の水は滝みたいに飲み込まれていく。リルは鍵に力を吸われて、満足に動けない。
ノアは崩れかけたリルを片腕で抱え、もう片方の手で迫る瓦礫を斬り払っていた。いつもの穏やかな顔は、もうどこにもない。サラはその足元で耳を押さえ、唇を噛んで震えている。誰も、余裕なんざありゃしない。頭上では、せり上がった壁が、また別の形に崩れ落ちていく。足場が、一秒ごとに変わっていく。
四方、八方、ふさがってる。
考えろ。
俺は奥歯を噛んだ。退路はない。時間もない。仲間は消耗しきってる。じゃあ、どうする。逃げるか。いや、逃げ場なんざ、どこにもありゃしない。
道はひとつだけだ。蠍を抜けて、塔へ、核へ突っ込む。クレイスを止めて、街の暴走を、根元からぶった斬る。それしか、ない。
けど、そのためには、まず目の前の蠍を突破しなきゃならない。読みを取り戻した、あの分からず屋の化け物を。一人で囮になって、こいつの気を引きつけて。その隙に、誰かが核へ。いや、駄目だ。リルは動けない。ノアはサラを抱えてる。結局、全部、俺がやるしかない。一人で、だ。
腹をくくった。久しぶりだな、この感覚は。誰も連れてない、ソロのときの覚悟ってやつだ。
「ノア!リルを頼む。俺が蠍の気を引く!その隙に――」
言い終える、その前だった。
迫っていた蠍の尾が、ぐん、と伸びた。
俺へ、じゃない。
膝をついて、無防備に光り輝いている、リルへ。
街がはじき出した“答え”は、明白だった。今いちばんの脅威は、鍵で街を引っ掻き回す、リル。ならば、まっさきにそれを潰せ。冷たい計算が、そう結論を出していた。
「リル――!」
俺は地を蹴った。けど、間に合わない。距離が、ありすぎる。ノアがリルへ飛びつこうとする。それも、わずかに遠い。サラの悲鳴が、やけに遠くで響いた。
青白い針が、光の尾を引いて、まっすぐリルの胸へと振り下ろされた。




