第29話 砂を這うもの
壁が、内側から砕けた。
つるりとした表面に走っていた亀裂が、いっせいに弾ける。白い破片が、雨みたいに降ってきた。
その向こうから現れたものを見て、俺は、思わず身構えた。
でかい。けど、背は高くない。
ヘヴィ・センチネルみたいに、のっそり立ち上がる気配はなかった。そいつは、低く、横に広かった。地面に張りつくように、砕けた壁の隙間から、ぬるりと這い出してくる。
脚が、八本。
節くれだった鋭い脚先が、つるりとした床を、かりかりと掻いている。前には、人をまるごと挟み込めそうな、でかい二本の鋏。そして背中の上で、長い、節だらけの尾が、ゆらりと持ち上がっていた。その先端で、青白い針が光っている。
蠍だ。鋼鉄でできた、馬鹿みたいにでかい、砂の蠍。
胴の真ん中に、赤い光はなかった。代わりに、街じゅうを這うあの青白い溝が、何本も束になって、こいつの腹の下へと潜り込んでいる。光の管が、地面から、この体に流れ込んでいた。
「……繋がってる」
ノアが、低く言った。
「あれは、この街そのものに、直結しています。街が考えて、街が見て、街が、あの体を動かしているんです。単体の機械じゃありません。あれは、街の――狩り手です」
街の、狩り手、ときたか。
砂漠の底に埋もれた街が、よりにもよって蠍の形をした番人を、後生大事に寝かせてやがった。なるほど、この砂の下なら、こいつの巣としちゃ、お誂え向きだ。趣味が悪いったらない。守城機、とでも呼んどくか。城を守る、鋼の蠍。名前なんざ、どうでもいいけどな。
「サラ、後ろだ。ノア、頼む。リル!」
「わかってる!」
リルが、杖を構えて前に出た。
穂先に光が膨らんで、砲弾になって、蠍の胴めがけてまっすぐ飛ぶ。あのヘヴィ・センチネルなら、装甲ごと吹き飛ぶ一撃だ。
けど、蠍は、受けなかった。
砲弾が届くより、ほんのわずか前。八本の脚がぱっと開いたかと思うと、その巨体が、つるりとした床の中へ、ずぶりと沈んだ。砂みたいに、だ。床が、ぐにゃりと飲み込んだ。
砲弾は、もぬけの殻になった床を撃ち抜いて、奥の建物を吹き飛ばす。
次の瞬間。俺たちのすぐ右手で、床がぼこりと盛り上がって、蠍が砂を撒き散らしながら躍り出た。
潜って、避けやがった。撃たれてから、じゃない。撃たれる前に、どこに撃ってくるかわかってたみたいに、だ。
「……嘘でしょ」
リルが、目を見開いた。
「今の、地面に潜った!?」
「ああ、潜りやがった。砂の中を泳ぐ蠍なんざ、聞いたこともないぞ」
俺は黒鴉を抜いて、横から斬りかかった。
脚と脚の継ぎ目を狙う。ヘヴィ・センチネルをさんざん斬ってきた、いつもの間合い、いつもの角度だ。
刃が届く――寸前。
背中の尾が、鞭みたいにしなって、降りてきた。俺の刃の軌道を、ぴたりと塞ぐ位置に、だ。青白い針が火花を散らして、二刀を弾く。腕が、痺れた。重い。そして何より、読まれてた。俺が、どこをどう斬るか。踏み込む寸前には、もう答えを出してやがる。
舌打ちして、飛び退いた。
すぐに、別の角度から斬り込む。今度は、頭の上から。蠍は、また尾でそれを払った。さっきより、わずかに速い。
三度目。フェイントを入れてやった。胴を狙うと見せかけて、左の前脚を払う。これで、たいていの相手は崩れる。
崩れなかった。
フェイントに、乗ってこない。最初から、本命が脚だと見抜いてやがる。狙った脚が、すっと退いた。代わりに、がら空きになった懐から、もう一本の鋏がぬっと突き出される。俺の脇腹めがけて、だ。
咄嗟に身をひねった。鋏の先が、強化服の装甲を、がりっと削っていく。あと半歩遅けりゃ、肉ごと挟まれて、ぱきりと折られてた。
「ご主人様!」
「平気だ。けどな――こいつ、相当いやな相手だぞ」
距離を取りながら、俺は息を整えた。
手応えでわかる。こいつは、ただ硬いとか、ただ速いとか、そういう単純な敵じゃない。考えてやがるんだ。俺が次に何をするか。リルが、いつ撃つか。ぜんぶ先回りして、計算してる。同じ手は、二度と通じない。一度見せた攻撃は、その場で覚えて、次から潰してくる。
街が、こいつを動かしてるからだ。馬鹿でかい計算機が、まるごと一個。俺たち四人の動きを、寄ってたかって読み解いて、いちばん都合のいい“答え”を、この蠍の体に流し込んでやがる。
力押しは、無理だ。いくら俺が斬っても、リルが撃っても、ぜんぶ読まれて、いなされて、その隙にちくちく削られる。じり貧もいいとこだ。
しかも、面倒は、それだけじゃなかった。
ごう、と床が鳴る。
俺たちのまわりで、壁がせり上がってきた。逃げ道を、ひとつ、またひとつと塞いでいく。同時に、別の方向の壁が開いて、蠍の正面へ俺たちを追い込むように、道ができる。街が、戦場ごと、こいつに都合よく組み替えてやがるのだ。
おまけに、この蠍は、床を泳ぐ。壁で囲まれようが、知ったことか、だ。砂の下を潜って、どこからでも突き上げてくる。壁も床も、こいつの逃げ道を塞ぐ役には、これっぽっちも立たない。逆に、俺たちのほうが、じわじわ四方を塞がれていく。まったく、街を丸ごと敵に回すってのは、こういうことか。割に合わない仕事だよ。
「クロウ、壁が!」
「わかってる! くそ、世話の焼ける番犬だな!」
リルが、追い込まれながら、めちゃくちゃに撃ちまくった。箱に詰められた獣みたいに、だ。さっきまでの、狙い澄ました砲撃じゃない。怒りと焦りで、ただ滅茶苦茶に。
その、一発が。
ちょうど砂から躍り出たばかりの蠍の、鼻先で炸裂した。
やつが、びくりと脚をもつれさせる。さっきまで、あれだけ正確に俺たちを読んでいたのに、だ。ほんの一瞬だけ、はっきりと、動きが狂った。
俺は、その光景を、目の端で捉えた。
……なんだ、今のは。
考えてる暇は、なかった。蠍はすぐに体勢を立て直して、また、あのなめらかな動きを取り戻していた。引っかかりだけが、頭の隅に残る。
「サラ!どうなってる、声は!」
壁際で、耳を押さえてしゃがみ込んだサラが、震える声で答えた。
「速く……なってます!さっきより、ずっと!あいつが、わたしたちと戦うほど……街が、どんどん、賢く……!」
やっぱり、か。
戦えば戦うほど、こいつは強くなる。俺たちの動きを学んで、計算を進めて、その分だけ、上の水を飲み干していく。戦うことすら、敵に塩を送ってる。なんて性悪な仕掛けを考えたもんだ、旧文明の連中は。
そのときだった。
広場の、向こう側。崩れた建物の陰から、人影がいくつか飛び出してきた。
黒い外套。揃いの装束。財団だ。生き残りが、まだいやがった。
その先頭に、あの男がいる。クレイス。手袋をはめた手に、何か小さな端末を握りながら、こっち――いや、戦況を、ずいぶん冷静に眺めている。
「クレイス!あんたも、そいつから逃げてんのか!」
俺は、蠍を牽制しながら叫んだ。一瞬でも、共通の敵だ。手を貸せとは言わない。けど、こいつの気を、少しでも引いてくれりゃ、御の字だ。
クレイスは、薄く笑った。
「いや。逃げてはおりませんよ。ちょうど、よかった」
端末を確かめながら、男は言う。
「あの守城機は、いちばん大きな“脅威”に向かうよう、街が制御しています。今この瞬間、街にとっての最大の脅威は――黒衣の。あなた方だ」
言うが早いか。クレイスは連れを引き連れて、蠍に背を向け、奥の通路へと駆け出した。蠍の注意が、こっちに釘付けになってる隙に、だ。ど真ん中の塔へ、まっすぐ。
「て、てめえ!」
「ご武運を。せいぜい、長く保たせてくださいね。あなた方が暴れているあいだは、我々が安全に進めますので」
囮にしやがった。
俺たちを盾にして、自分は核へ抜ける気だ。仲間の死体も、目の前の化け物も、ぜんぶ、あの男にとっちゃ、ただの“都合”でしかないらしい。たいした玉だよ、ほんとに。追いたい。けど、今は、それどころじゃなかった。
蠍が、潜った。
床がぐにゃりと飲み込んで、巨体が砂の下へ消える。まずい。位置が、わからなくなった。
壁際の砂が、さわさわと震えている。床の下を、こいつが泳いでるのだ。どこから出てくる。どこを狙ってる。
息を、殺した。耳を澄ます。
次の瞬間、リルの足元の床が、ぼこりと盛り上がった。
「リル!」
俺は、横っ飛びにリルを突き飛ばした。
二人で、床を転がる。さっきまでリルが立っていた場所で、青白い針が砂を突き破って、突き上がった。床に、ぶすりと深々と突き刺さる。あれが、もし刺さってたらと思うと、ぞっとしない。
強化服の、肩の駆動部が、嫌な音を立てた。受け身を、しくじったらしい。背中が、じんと痺れる。
じわじわ、追い込まれてる。
こっちの手は、全部読まれる。街は形を変えて、やつに味方する。こいつは砂の中から、いつでも、どこからでも突き上げてくる。代わりに、俺たちは、ただ傷を増やしていくばかりだ。このままじゃ、削り殺される。いったん、退くしかない。
「ノア!サラを連れて、いったん――」
俺は、退路を探した。
壁の開いてる方向が、ひとつだけあった。あそこなら、抜けられる。咄嗟に、そっちを指さして、叫ぼうとした。
その、瞬間だ。
指さした、その壁の手前で。
床が、爆ぜた。
砂を撒き散らして、蠍が、そこから躍り出る。俺たちの、たった一つの逃げ道を、塞ぐみたいに、だ。
ぞっと、した。
まだ、何も言っちゃいない。指さしただけだ。逃げ場を、口に出してすらいない。なのに、こいつは、もうそこで待ち構えてやがった。俺が、どこへ逃げるか。考えるより先に、潜って、先回りして、待ち伏せてた、ってわけだ。
そして。
逃げ道を塞いだ蠍の、長い尾が。
逃げ場をなくした俺の頭上で、青白い光を引きながら、鋭く、振りかぶられた。




