第02話 離宮と、走る我が家
翌朝、ノアの言う座標を頼りに、おんぼろの四駆で荒野へ出た。
舗装なんてとっくに切れて、ひび割れた荒れ地をガタガタ揺られること、二時間。ノアの案内で、馬鹿でかい岩肌の崖の前に、たどり着いた。
けど、何もない。
ただの、切り立った崖だ。岩と、砂と、生えかけの灌木。遺跡らしきものなんて、影も形もない。
「おい、ノア。ほんとに、ここか?」
「ええ。間違いありません。少し、お待ちを」
ノアが車を降りて、崖に向かって、すっと歩いていく。岩肌の、何もない一点に、手のひらをかざした。指先が、淡く光る。
次の瞬間。
空間が、ぐにゃりと歪んだ。
崖の前の景色が、水面みたいに揺れて――剥がれた。陽炎の向こうから、それが、にじみ出てくる。
白い豪邸だ。
崖の中腹に半分めり込んだ、傾いた屋敷。さっきまで何もなかった場所に、まるで、ずっとそこにあったみたいに、建っている。
「うわ。マジかよ」
俺は、思わず声を漏らした。一万年、誰の目にも触れずに隠れてたわけだ。そりゃ、見つかるはずがない。
傾いた屋根。割れた窓。蔦に覆われた白い壁。それでも、もとは相当な金がかかった屋敷だってのは、ひと目でわかる。
「ここ……」
ノアが、ぽつりと言った。屋敷を見上げて、やけに静かだ。
「どうした?」
「いえ。なんだか、知っている気がして。この建物」
俺が訊き返す前に、ノアは、もう屋敷のほうへ歩き出していた。
正面の門は瓦礫で塞がってた。回り込むと、通用口らしき小さな扉がある。鍵穴に〈黒鴉〉の刃を当てて解錠術式を流すと、ごとり、と古い錠が落ちた。
中は薄暗かった。埃の積もった廊下。傾いた床。割れたシャンデリアが、天井からぶら下がってる。
廊下の壁に、でかい肖像画が傾いて掛かってた。立派な額縁。なのに、肝心の顔のところだけ絵の具が剥げ落ちて、のっぺりと白い。誰を描いたものか、もう分からない。なんだか薄気味が悪くて、俺は目をそらした。ノアは、その絵の前で一瞬だけ足を止めて、それから、迷う様子もなく、すたすた歩いていった。
「ご主人様。この角を曲がると、硝子の温室があるはずです」
「は?なんで分かるんだよ」
角を曲がった。
あった。硝子張りの、大きな温室。割れた天窓から光が差して、中の植物は、とっくに枯れ果ててる。けど、たしかに温室だった。
「まいったな。ほんとにあった」
ノアは、枯れた温室をじっと見てた。その横顔が、なんとも言えない顔をしてる。懐かしいような、寂しいような。
「思い出したのか?」
「いいえ。場所だけが、勝手に。ここに、わたしの《《なにか》》があるのかもしれません」
深くは訊かなかった。訊いても、たぶん本人にも分からない。
温室の脇に、小さな扉があった。開けた先は、不思議な部屋だった。
壁一面に並ぶ謎の機械。その隅に、見覚えのあるものが、立っていた。
縦長の、透明なカプセル。台座に載った、人ひとり入るくらいの装置。
コールドスリープ装置だ。ノアが入ってた、あれと似てるやつ。
ただ、こっちは空っぽだった。蓋が、内側から開いてる。
妙だな、と思った。
部屋じゅう分厚く埃が積もってるのに、その装置の周りだけ、なんだか埃が薄いんだ。まるで、そんなに昔じゃない時期に、誰かがここから出て、歩いていったみたいに。
一万年も、誰も来てないはずの場所で。
「ノア。これ」
「空っぽ、ですね」
ノアも、首をかしげた。ここで誰かが眠っていたなんて、覚えはないらしい。それ以上のことは、分からなかった。
誰が入ってた?いつ出た?どこへ行った?
なんとなく、胸に引っかかった。けど、答えはどこにもない。
その部屋を出て、奥へ進もうとした、そのときだ。 がんっ、と嫌な音がした。
左手の壁が、内側からぼこっと膨らむ。ひびが走って――崩れた。瓦礫を撒き散らして、そこから、でかい影がのっそり出てくる。
牛くらいの図体。でも、牛じゃない。口が、耳まで裂けてる。目が四つ。背中には、錆びた金属板が皮膚と一体になってめり込んでる。肉と機械が、ぐちゃぐちゃに混ざった、なにか。
「うわ、なんだそりゃ。気持ち悪っ!」
獣が、四つの目で俺を捉えて、地を蹴った。速い。咄嗟に〈黒鴉〉へ手をかける――より、早かった。
ノアが、すっと俺の前に出た。
次の瞬間には、もう終わってた。
ノアの右手の甲から、しゅっと銀色の刃が伸びる。メイド服の、どこに隠してたんだ。獣の突進を半身でかわして、すれ違いざまに首を刎ねた。一閃。血の代わりに、黒い油みたいなのが噴く。
どさり、と、でかい図体が床に崩れた。
ノアは刃をしまって、何事もなかったみたいに、エプロンの裾を直した。
「お怪我は、ありませんか?」
「……いや。ないけど」
俺は、ぽかんとしてた。
「お前、めちゃくちゃ強いな!?」
「ふふ。メイドですから」
メイドって、そういうもんだっけ。
倒れた獣を、つま先でつついてみる。やっぱり、生き物と機械が無理やり一つになったみたいな、嫌な造形だ。こんなのが、壁の中に潜んでたのか。
「たまに見るけど、どうやって生まれるんだろうな?」
「生き物が、壊れた旧文明の機械を取り込んで、こうなるそうです。可哀想に、とも思いますけれど」
ノアは、黒い油を流す獣を、少しだけ悲しそうに見ていた。
獣が出てきた壁の、その奥。
崩れた穴を抜けると、だだっ広い空間に出た。地下の、格納庫みたいな場所だ。天井が、やたら高い。
で、その真ん中に、それは鎮座してた。
……鯨だ。
いや、鉄の塊だ。だけど、形が、鯨なんだ。全長は、ちょっとした家くらい。なめらかな、つるりとした金属の装甲。ずんぐりした、でかい船体。荒れ地を“泳ぐ”ために作られた、装甲移動拠点ってやつだろう。
「うわ、すげえ!なんだこれ、かっこいいな!」
俺は思わず駆け寄ってた。こういうのには、弱い。男はいくつになっても、でかくて強そうな乗り物には、ぐっとくるもんだ。
「旧文明の、移動式の拠点ですね」
ノアが、後ろからくすくす笑ってる。
「気に入りました?」
「気に入ったも何も。これ、動くのか?」
「整備すれば、たぶん。中も、見てみますか」
船体の横腹のハッチが、ノアの手で、ぷしゅう、と開いた。
乗り込んで、目を疑った。
外から見たら、せいぜい家一軒分。なのに中は、馬鹿みたいに広いんだ。ゆったりした居間。奥には台所。廊下の先に、寝室がいくつか。風呂まである。便所まで。
「は?おかしいだろ。外より中が広いぞ」
「拡張空間、というそうです。旧文明の技術ですね。私にも備わっていますよ」
俺は、子どもみたいに部屋から部屋へ歩き回った。寝室には、ちゃんとベッドがある。固いけど、地面で寝るよりはるかにマシだ。風呂は、でかい。一人じゃ持て余すくらいだ。窓の外には、なぜか星空の景色が映ってる。作り物の窓らしい。芸が細かいな。
「こちらの広いお部屋を、ご主人様のお部屋にしましょうか。わたしは台所の隣でいいです。すぐ朝ごはんを作れますから」
「いや、寝室いくつもあるんだから、お前もちゃんと一つ使えよ」
「あら。では、お言葉に甘えて」
なんだか、新居に越してきた家族みたいだ。相手は、一万年前のメイドだけど。
ノアは台所の戸棚を開けたり蛇口をひねったりしながら、だんだん声が弾んでくる。
「まあ。お水も入れれば使えそうですね。キッチンも生きています。汚れた水も、生ゴミも、ここで分解して、また使える仕組みです。これなら、どこへ行っても、ちゃんとしたごはんが作れます」
ノアが、振り返ってにっこり笑った。
「ご主人様。これ、走るおうちですよ」
走る、家。
なるほど。言われてみりゃ、そのとおりだ。寝床も、飯も、風呂も、ぜんぶ積んで動く。野宿とも、安宿とも、おさらばってわけだ。
正直、ちょっとわくわくしてきた。
その日は、まる一日かけて鯨号を起こした。
といっても、整備の大半はノアがやった。俺は、言われるまま部品を運んだり、押さえたり、せいぜいそれくらい。ノアは油で手を汚しながら、配線を繋ぎ、止まってた炉を温め直していく。手際が、まるで職人だ。っていうか、ガロより上手いんじゃないか、これ。
日が暮れるころ。船体の奥で、低い、唸るような駆動音が灯った。鯨が、息を吹き返したみたいに。
「動きました。これで、どこへでも行けます」
ノアが、油で汚れた頬を手の甲で拭って、得意げに笑う。
「では、ご主人様。帰りましょうか」
「そうだな」
俺は運転席の窓から外を見た。崖の割れ目から、夜空が覗いてる。青白い月が、きらっと光ってた。
「せっかく車も手に入ったことだし、思い切って旅に出るのもいいかもな」
「ふふ。それもいいかもしれませんね」
鯨号が、ゆっくり地面を踏みしめて、動き出す。崩れた格納庫の壁を押し割って、荒れ地へ。
窓を開けると、夜風が入ってきた。砂の匂いがする。
動く家に、世話焼きのメイド。妙な旅になったもんだ。
鯨号は青白い月の下を、荒野の彼方へとゆっくり泳いでいく。窓の外を、知らない星座が流れていった。




