第26話 託宣の声
塔の根元に、祭壇はあった。
石を積んだだけの、いたって簡素なものだ。けど、まわりには花や水皿が供えられて、人がひっきりなしに祈りに来ている。これだけ水に困ってる街で、貴重な一杯をわざわざ供えるんだ。それだけ、すがる気持ちが切実なんだろう。見てると、なんだか胸が痛くなる。
その祭壇の中央に、地面へぽっかりと口を開けた、黒い穴があった。
その奥から、声が、昇ってきていた。
「七、二、三。八、八、一。零、零、零。九、四」
低い、抑揚のない声。男でも女でもない。人の喉から出る声じゃない。数を、ひたすら唱えている。区切りもなく、間違いもなく、永遠に。
俺は、穴の縁にしゃがんで、耳を澄ました。
神さまの声、か。なるほど、こいつをそう思いたくなる気持ちも、わからんでもない。けど、俺には、聞き覚えがあった。アガートラの心臓が立てていた、あの鼓動。機械が、何かを淡々と処理し続けるときの、あの音だ。間違いない。
「機械、ですね」
隣にしゃがんだノアが、そっと言った。眉を、わずかに寄せている。
「ええ。それも、ずいぶん大きな。これは、ただの寝言なんかじゃありません。何かを、必死に計算しているような――そんな声です」
ノアの横顔が、いつになく硬かった。旧文明の機械を前にすると、こいつはたまに、こういう顔をする。何か、思い出しそうで思い出せないものを、探してるみたいな顔だ。
「――そこの余所者!」
いきなり、鋭い声が飛んできた。
祭壇の脇から、白い装束の老人が、こっちをきつく睨んでいる。痩せて、背が曲がって、けど、目だけはぎらついていた。
「神聖な祭壇に、土足で近づくな!この不届き者が!」
「おっと、悪い悪い。べつに荒らすつもりはないんだ。落ち着いてくれ」
俺は両手を上げて、穴からじりじり離れた。
「あんた、ここの神官か」
「神官長のザムドだ。どうせお前たちも、底の宝を漁りに来た口だろう。最近、そういう薄汚い手合いばかりで、嫌になる」
ザムドは、吐き捨てるように言った。
「言っておくが、この穴は神の御口だ。降りることは、断じて許さん。水が涸れたのは、お前たちのような不信心な余所者が、神を怒らせたからだ。これ以上、街に罰を重ねさせるな」
その後ろで、人だかりが、ざわざわと騒がしくなっていた。
たまりかねたみたいに、若い男が、ずいと前に出る。
「神官長!そんなこと言ってる場合じゃないだろ!水がもうないんだ!このままじゃ、子どもらが干上がっちまう!」
「黙れ!祈りが、足りんのだ!」
「祈って水が出るなら、誰も苦労しねえよ!底に古い街があるってのは、あんたが一番よく知ってるはずだ!そこに水があるってんなら、掘るしかねえじゃないか!」
「この、罰当たりがっ!」
怒鳴り合いが、始まっちまった。
神さまにすがるしかない年寄りと、目の前の水が欲しい若い連中。どっちが正しいって話じゃないんだ。みんな、この街を守りたいだけ。なのに、いや、だからこそ、こじれてる。剣を振り回せば片づく、なんて単純な話じゃない。こういう、誰も悪者にできない揉め事が、俺は、正直、一等苦手なんだ。
うんざりしかけたところで、ふいに、袖を引かれた。
振り向くと、小柄な娘が立っていた。十六、七ってとこか。砂色の髪を布で覆って、大きな目で、おずおずと俺を見上げている。神官の装束の、簡素なやつを着ていた。
「……あなたたちは、底に、降りられる人ですか」
「降りようと思えば、たぶんな。きみは?」
「サラ、です。神官長の、お世話をしてる」
サラは、ちらりとザムドを気にして、声をぐっと落とした。
「あの。さっき、機械だって、言ってましたよね。あの声を」
「ああ。聞こえてたか」
「わたし、昔から、あの声が聴けるんです。みんなより、ずっと、はっきりと」
サラは、自分の胸に、そっと手を当てた。
「だから、わかるんです。あれは、神さまなんかじゃない。怒ってるんでもない。あれはきっと、ずっと……苦しんでる。すごく、痛そうな声なんです。何かを、やめたくても、やめられなくて。ずっと、たったひとりで」
俺は、サラの顔を、思わずまじまじと見返した。
苦しんでる、ひとりで。アガートラの心臓と、まるで同じだ。あの数を数える声を、ただの寝言じゃなく、痛みとして聴き取った。この、小さな娘は。
ノアが、サラの隣に、そっと膝をついた。
「あなたには、聞こえるのね」
「……はい」
メイドと、聞き手の娘。ふたりは、しばらく黙って、見つめ合っていた。何か、言葉にならないものが、通じ合ったらしい。妙な縁もあったもんだ。
「サラ!また余所者と、何を話している!」
ザムドの怒鳴り声で、サラはびくっと肩をすくめた。
ちょうど、そのときだ。
「やれやれ。信仰というのは、つくづく、不便なものですねえ」
涼しい声が、すっと割って入った。
人だかりの向こうから、男が一人、歩いてくる。黒っぽい、仕立てのいい外套。手には、革の手袋。後ろに、揃いの装束の連れを、数人ばかり従えている。ひと目で、わかった。あの、灰色の連中だ。
「あんた、何者だ」
「申し遅れました。オルダーグレイ財団、主任回収官のクレイスと申します」
男は、薄く笑って、丁寧に一礼した。物腰だけは、やけに上品だ。けど、目が、これっぽっちも笑ってない。馬の歯でも検分するみたいに、こっちを値踏みしている。
「黒衣の。あなたの噂は、いくつか耳にしておりますよ。こんな辺鄙な砂漠で、お会いできるとは」
俺の名を、知ってやがるのか。財団ってのは、ずいぶん耳が早いらしい。背筋が、うっすら寒くなる。
「その財団さんが、こんな砂の果てに、何の用だ」
「我々の仕事は、ただひとつ。眠っている旧文明の資産を、目覚めさせ、有効に活用すること。それだけです」
クレイスは、祭壇の黒い穴を、ちらと見やった。
「あの声の主は、実に見事な装置です。一万年も稼働を続けるなど、奇跡に近い。ただ、いささか調子を崩しているようだ。ですから、我々が、きちんと再起動させて差し上げる。本来の力を、取り戻させてやるのですよ」
再起動。本来の力。
その言い方に、背中が、ぞわりとした。
「待てよ。あれを、わざわざ叩き起こすってのか。今だって、街の水が涸れかけてんだぞ。下手に弄ったら、どうなるか」
「水?」
クレイスは、心底どうでもよさそうに、首を傾げた。
「ああ。この街の井戸の件ですか。それは生憎、我々の契約には、含まれておりませんので」
含まれていない、ときたか。
干上がりかけた街を目の前にして、こいつは、眉ひとつ動かさず、そう言ってのけた。
俺は、こういう手合いが、この世で一等、嫌いだ。
「で、その大事な契約とやらのために。この街の若いのに、水と引き換えで、底への道を案内させてる、ってわけか」
「賢明な取引でしょう。彼らは水が欲しい。我々は道が欲しい。利害は、きれいに一致しております」
クレイスは、悪びれもしなかった。
「我々が再起動させれば、装置は正しく動き、いずれ水も戻るかもしれない。彼らにとっても、決して悪い話ではないのですよ。……まあ、戻らなかったとしても、それは、我々の関知するところではありませんがね」
穏やかな声で、とんでもないことを、さらりと言う。
あれを起こせば、本当に水が戻るのか。それとも、もっと取り返しのつかないことになるのか。たぶん、クレイスにも、わかっちゃいない。わかった上で、どっちでもいいと思ってるんだ。ただ、目覚めた機械の力さえ手に入れば、それで満足。後のことなんざ、知ったこっちゃない。
ノアが、すっと俺の前に出た。穏やかな顔は崩さないまま、声だけが、ひやりと冷たい。
「ご主人様。わたし、この方々のやり方には、賛成しかねます」
「奇遇だな。俺もだよ」
「クロウ」
リルが、俺の隣に、すっと並んだ。
いつもの、にこにこ顔じゃない。財団の連中を、まっすぐ睨み据えている。さっき街の連中を心配そうに眺めていた女と、同じやつとは、とても思えない。戦いの匂いを嗅ぎつけたときの、こいつの、あの顔だ。
「あの人たち、あの声を、無理やり叩き起こす気だよ。サラちゃんが、あんなに痛そうって言ってるのに。ひどいよ」
「ああ。まったくだ」
俺は、サラを見た。聞き手の娘は、不安そうに、祭壇の穴を見つめている。
苦しんで、ひとりで、やめたくてもやめられない。そんな機械を、力ずくでこじ開けて、もっと働かせる。冗談じゃない。アガートラの心臓を看取った手前、見過ごせるわけがない。
決めた。
「サラ。底に降りる道、お前ならわかるか」
サラの目が、丸くなった。
「……たぶん。声をたどっていけば。でも、神官長が」
「おまえ!」
ザムドが、血相を変えて割り込んできた。
「貴様、本気で、神の御口に降りる気か!この罰当たりめ!街が、どうなっても知らんぞ!」
「じいさん。あんたが、心の底から街を心配してるのは、よおく、わかったよ」
俺は、できるだけ穏やかに言った。怒鳴り返したって、何も始まらないからな。
「けどな。祈ってるだけじゃ、水は戻らない。かといって、あの財団の連中に好き勝手やらせたら、もっとまずいことになる。だったら、その前に、俺たちが下を見てくる。地の底で、本当は何が起きてるのか。それを確かめないことには、神さまを宥める手立ても、見つかりゃしないだろ?」
ザムドは、唇をわなわな震わせて、何か言い返そうとした。
けど、結局、言葉は出てこなかった。痩せた肩が、力なく、すとんと落ちる。この頑固な老人だって、本当は、とっくにわかってるんだ。祈りだけじゃ、もう、どうにもならないってことを。
「……勝手に、しろ」
絞り出すような、声だった。
「だが、何が起ころうと、儂は知らんからな。覚悟しておけ」
クレイスが、つまらなそうに、片眉を上げた。
「先を越されては、かないませんねえ。まあ、いい。我々には、我々の道がありますので。底で、また会うことになるでしょう。せいぜい、こちらの邪魔だけは、しないでいただきたいものです」
そう言い残して、灰色の連中は、ぞろぞろと引き上げていった。
ずいぶん余裕の口ぶりだ。あいつらはあいつらで、もう底へ降りる手立てを、ちゃんと握ってるらしい。先回りされてるってのは、どうにも、気分が悪い。
サラに案内されて、俺たちは祭壇の裏手へ回った。
崩れた石の隙間に、人ひとり、やっと通れるだけの、暗い裂け目があった。下へ、下へと続いている。
「ここを、ずっと降りた先です。声が、いちばん大きく聞こえる場所」
サラが、ランプを掲げて、先に立った。俺、ノア、リルが続く。
長い、長い下り坂だった。
石段が、途中から、見たこともない素材に変わった。なめらかで、つるりとした、黒い床。間違いなく、旧文明のものだ。壁には、細い溝が、無数に走っている。その溝が、薄く、青白く光っていた。
「うわ……なにこれ。きれい」
リルが、壁にそっと手をかざす。
光は、まるで血管みたいに、壁じゅうを這っていた。床にも、天井にも。複雑な模様を描きながら、どこまでも続いている。きれい、ってのは、確かにそうだ。けど、なんだか、生き物の腹の中に潜り込んでいくみたいで、落ち着かない。
そして、坂を下りきった、その先で。
俺たちは、揃って、足を止めた。
目の前に、街が、広がっていた。
砂に埋もれた、地の底の街。
四角い建物が、見渡すかぎり、びっしりと立ち並んでいる。その間を縫う通りも、建物と建物をつなぐ管も、何もかもが、あの青白い光の溝で繋がっていた。街全体が、ひとつの、巨大な――なんと言えばいいんだろうな。模様。回路。そんなものに見えた。
声は、ここでは、もう声じゃなかった。
建物のひとつひとつが、低く唸って、明滅している。街そのものが、数を数えていた。
言葉が、出なかった。これが、まるごと埋まった旧文明の街。誰も見たことのない景色だ。ハンター冥利に尽きる、と言いたいところだが、どうにも、喜びより、薄ら寒さが先に立つ。
そのときだった。
先頭のサラが、ぴたり、と足を止めた。
ランプを持つ手が、ぶるぶると震えている。
「どうした」
「声が」
サラの顔から、すうっと血の気が引いていた。
「声が、変わった。数を、数えるのを……やめた」
俺は、はっとして、街を見渡した。
さっきまで規則正しく明滅していた光が、さざ波みたいに、いっせいに揺らいだ。街じゅうの溝が、ふっと、こっちを向いた――そんな気がした。気のせいだと思いたかったが。
次の瞬間、足元の床に、青白い光が、つうっと走った。
その光が、俺たち四人の立つ場所を、ぐるりと、なぞるみたいに囲っていく。
「これ、あたしたちのこと、見て、る?」
リルが、ぽつりと呟いた。
地の底の街が、一万年ぶりに、客が来たことに、たった今、気づいた。
俺には、もう、そうとしか思えなかった




