第25話 砂の底の街
パラゴンから生きて帰って、しばらくはアステライアで羽を伸ばした。
あれだけの目に遭ったんだ。少しはだらけても、バチは当たらないだろう。屋台を食い歩いて、昼間から湯に浸かって、甲板で寝転がって雲を眺めた。我ながら、ろくでもない過ごし方だと思う。
その横で、ノアはずっと鯨号にかかりきりだった。パラゴンの最奥で拾った、青く透き通る結晶。星滴。あれをほんのひとかけら、鯨号の炉に組み込んだという。
「これで、だいぶ楽に走れますよ」
油で汚れた手を、ノアはエプロンの裾で拭った。試しに荒れ地へ出してみて、俺は目を丸くした。前は唸りながら越えていた砂丘を、鯨号は鼻歌まじりに駆け上がる。腰の黒鴉も、心なしか刃の伸びが鋭い。ひとかけらで、これだ。星滴ってのは、つくづく出来が違う。
「ねえねえ、次どこ行くの?」
飯の席で、リルが身を乗り出してきた。テーブルに肘までついて、目をきらきらさせている。アステライアの暮らしにも、もうすっかり飽きたらしい。じっとしているのが、こいつは何より苦手だ。
「そう急かすな。行き先くらい、選ばせろよ」
とはいえ、俺もそろそろだな、とは思っていた。寝床は快適、飯は反則みたいにうまい。それでも同じ街に長くいると、どうにも尻が落ち着かなくなる。根っからの貧乏性なんだろう。
行き先を決めたのは、街に流れ着いた一団の隊商だった。
市場の隅に、人だかりができていた。
砂にまみれた幌馬車が、数台。引いていた獣は、あばらが浮くほど痩せている。御者も荷運びも、唇が割れて、目だけがぎらついていた。何日も水にありつけなかった顔だ。
「南のハザルから来たんだとよ」
隣で串を齧っていた男が、勝手に教えてくれた。
「ハザル?」
「砂漠のど真ん中の、でかいオアシスさ。隊商の中継地でな。こんこんと水が湧くもんだから、何百年も栄えてきた。……はずなんだが」
男は、声を落とした。
「その水が、近ごろ涸れかけてるらしい」
俺は串を片手に、人だかりへ寄っていった。
商人の一人が、しゃがれた声で語っている。井戸の水位が、ひと月でみるみる下がった。古い泉が、底を見せ始めた。理由は誰にもわからない。ただ街の連中は、口を揃えてこう言うのだという。
託宣が、おかしくなった、と。
「託宣?」
いつのまにか、リルが俺の横にいた。商人が、じろりとこっちを見る。
「ハザルにゃ昔から、地の底の声があるんだ。いつ嵐が来る、どこを掘れば水が出る。そういうのを、ときどき告げてくれる。街の連中は、それを神さまの声だと思ってる」
「神さまの声、ねえ」
「その声が、ここ最近わけのわからんことを言い始めた。意味の通らない数を延々と唱えるんだとさ。それと同じころから、水が引き出した。だから街は、神さまが怒ったって大騒ぎよ」
商人は、割れた唇を舐めた。
「水のねえオアシスなんざ、ただの墓場だ。だから俺たちゃ、逃げ出してきた」
地の底の声、か。
神さまだのなんだの言ってるが、俺には嫌な心当たりがあった。アガートラの心臓。パラゴンの、あのにこやかな案内役。一万年前の連中が遺した機械は、たいてい、まだ動いている。地面の下で何かが寝言みたいに数を数えてるなら、それはきっと、神さまなんかじゃない。
そして、こういう話には、たいてい続きがある。
「あんた。その地の底の声ってのは、どこから響いてくるんだ」
商人が、訝しげに俺を見た。
「さあな。けど、ハザルにゃこんな言い伝えがある。あの街は、もっと古い街の上に建ってるってな」
「古い街?」
「砂の底に、旧文明の街がまるごと埋まってるんだとさ。声は、そこから昇ってくるんだ、と。だが見た者はいねえ。底まで掘り当てた者も、いねえ。なにせ何百年、誰も届いちゃいねえからな」
まるごと埋まった、旧文明の街。
誰も底まで届いていない。
手つかず。
その言葉に、つい背筋がぞくりとした。
わかってる。アガートラでも、パラゴンでも、嫌というほど思い知った。手つかずってのは、ありがたい話じゃない。誰も手を出せない、それだけのわけがあるってことだ。
それでも、胸の奥でハンターの血がうずくのを止められない。誰も見たことのない街。誰も解いたことのない謎。そんなものを目の前にぶら下げられて、平気な顔でいられるほど、俺は枯れちゃいなかった。
「ねえ、クロウ」
リルが、俺の袖を引いた。声をひそめている。
「あのね。あんまり大きな声じゃ言えないんだけど。あたし、その話、ちょっと前にも聞いたことあるんだ」
「砂漠の、埋もれた街のことか」
「うん。金払いのいい余所者が、その地図をやたら探し回ってる、って。すごく大きな商会だか、財団だかが、案内人を高い金で雇って、先に砂漠へ入っていったみたい。何を掘りに行ったのかは、誰も知らないって」
財団。
その一語で、頭の隅がちりっと痛んだ。
黒匣の底に眠らせた、片方きりの黒い手袋。甲に刻まれた、灰色の円と、鍵と歯車の意匠。パラゴンの宝物庫で拾った、あの紋章。旧文明の力を、底なしの金で買い漁る連中の印だ。
あいつらが砂の底の街を嗅ぎつけてるなら。話は、ちょっとばかり面白くなってくる。
「行き先、決めたぞ」
俺は、串の最後のひと切れを口に放り込んだ。
「南だ。ハザル。砂の底の街を、見に行く」
リルの顔が、ぱっと輝いた。
「やった!やっぱり、そう言うと思った!」
「あら。では、お弁当をたくさん作らないといけませんね」
いつのまにか後ろに立っていたノアが、楽しそうに微笑んだ。
鯨号で、砂の海へ漕ぎ出した。
砂漠は、想像していた以上に、何もなかった。
見渡すかぎり、橙色の砂丘がうねっている。風が吹くたび、稜線がさらさらと形を変えていく。空は嫌になるほど青い。日差しは、刺すというより殴ってくる感じだ。鯨号の窓の外で、陽炎がゆらゆら踊っていた。
「あー、あつい」
俺は操縦席で、襟をぱたぱたやった。中は涼しいんだが、窓越しの景色だけで、もう汗が出てくる気がする。
「ご主人様。冷たいものを、どうぞ」
ノアが、汗をかいたグラスを運んできた。中で、果実水の氷がからりと鳴る。一口飲むと、喉から染み渡った。この走る我が家には、ちゃんと冷えた水まである。外の連中が知ったら、泣くだろうな。
「うわー、なんにもないね!」
リルは、リルで、助手席で大はしゃぎだった。窓に張りついて、流れていく砂丘を眺めている。退屈とは無縁の女だ。
ときどき、砂の中から、何かが顔を出していた。錆びた鉄骨。半分埋もれた、塔のなれの果て。旧文明の、墓標みたいなものだ。一万年前は、ここにも街があったのかもしれない。今は、ぜんぶ砂の下だ。
二日かけて、砂の海を渡った。
オアシスは、三日目の昼に見えてきた。
「うわ。でかい」
砂丘の向こうに、街があった。
茶色い土の壁が、ぐるりと街を囲っている。その内側に、四角い屋根がびっしりと折り重なっていた。中央には、ひときわ高い塔。そして街の真ん中に、青い水面が――あるはずだった。
「おい。水、少なくないか」
近づくにつれ、それが見えてきた。街の中心の池。たぶん、あれがオアシスだ。けど、水際からずいぶん引いている。乾いてひび割れた泥が、池をぐるりと縁取っていた。昔はもっと、なみなみと湛えていたんだろう。今は、底の浅い水たまりだ。
鯨号を黒匣にしまって、俺たちは歩いて街に入った。
門をくぐった瞬間、空気が違った。
市場は開いている。人も、それなりにいる。けど、誰の顔もどこか強張っていた。井戸の前には、水瓶を抱えた人の列。番をしている男が、柄杓で配る量をきっちり量っている。怒鳴り合う声も、あちこちで上がっていた。たぶん、水の取り合いだ。
乾いた街ってのは、こういう匂いがするのか。砂と、汗と、苛立ち。
水売りの婆さんから、なけなしの一杯を買って、話を聞いた。
「あんたら、余所者かい。今ごろ、よくこんな街に来たね」
婆さんは、しわがれた声で笑った。笑うと、目尻のしわが深くなる。
「水が、涸れかけてるって聞いてな」
「ああ。神さまが、お怒りなんだよ」
婆さんは、街の真ん中の高い塔を、顎でしゃくった。
「あの塔の下にね、祭壇があるんだ。昔っから、地の底の神さまが、あたしらに告げてくれた。嵐の日も、水の在処も。ありがたい声さ。それが、ぷっつり変わっちまった」
「変わった?」
「意味のわからない数を、ずうっと唱えてる。昼も夜もね。神官さまが、いくら宥めても止まらない。そんで、水が引き出した。罰が当たったんだって、みんな怖がってる」
婆さんは、声をひそめた。
「年寄りはね、知ってるよ。あの声は、神さまなんかじゃない。この街の、ずうっと下に、もうひとつ街が埋まってる。死んだ、古い街がね。声は、そこから昇ってくるんだ」
やっぱり、か。
「もっとも、誰も底までは行けやしない。底なしの縦穴さ。落ちたら、二度と上がってこられない」
婆さんは、ふと眉をひそめた。
「……なのに、こないだから、妙な連中がうろついててね」
「妙な連中?」
「見ない顔の余所者だよ。揃いの、黒っぽいなりをしてた。やたら金回りがよくてね。底まで降りる道を知らないか、って、街じゅうで聞いて回ってた。気味が悪いったらありゃしない」
黒っぽい、揃いのなり。
頭の隅が、また、ちりっとした。
婆さんに礼を言って、俺たちは塔のほうへ歩き出した。
乾いた街。狂った神さまの声。その底に眠る、まるごとひとつの旧文明の街。手つかずの宝。
おまけに、灰色の連中が、もう先に嗅ぎつけてる。
役者は、揃いすぎなくらい揃ってた。
「ねえ、クロウ。あたし、なんか、わくわくしてきちゃった」
リルが、隣でにっと笑う。さっきまで街の連中を心配そうに見ていたくせに、もう完全に、こっちの顔だ。
「奇遇だな。俺もだよ」
塔の影が、足元に長く伸びていた。
その、ずっと下。砂と石の奥で、何かがぶつぶつと数を数え続けている。一万年、たった独りで。
いったい、何を勘定してるんだか。
「行こう。地の底の神さまに、ご挨拶といくか」




