第22話 光の繭
俺とノアは来た道を駆け戻った。
目指すは、特別来賓室。あの骸の並ぶ、晩餐の広間。リルが連れて行かれた場所だ。
けど、園はもう優しいだけじゃなかった。
通路の角を曲がった、その先。給仕の人形たちが、ずらりと道を塞いでいた。にこやかに。けど、明らかに俺たちを通すまいとして。
「どきやがれ!」
黒鴉を振るう。けど、こいつらを何体斬っても、きりがないのはわかってる。それより。
「ご主人様!こちらへ!」
ノアが叫んだ。壁のケーブルに手をかざして、別の通路を指さしている。
「この先の扉なら、まだロックがかかっていません!急いで!」
さすが、ノアだ。園の神経を読んで、抜け道を見つけてくれる。
俺たちは、人形の壁を押しのけて、ノアの示す通路へ飛び込んだ。
背後で、人形たちが追ってくる気配がする。けど、振り返っている暇はない。一秒でも早く、リルのもとへ。それだけだ。
走る。とにかく、走る。
けど、園はしつこかった。
まっすぐなはずの通路が、気づくともとの場所に戻っている。壁がせり出して、道を塞ぐ。順路がぐにゃりと組み変わって、俺たちをぐるぐると迷わせようとする。
「くそっ!また同じところか!」
「落ち着いてください、ご主人様。園が、わたしたちを混乱させようとしています。でも――」
ノアが目を閉じた。壁に手を当てて、何かを必死に読み取るように。
「信号の流れが、見えます。本当の道は、こっちです。わたしの言うとおりに、進んでください」
俺はノアを信じた。
彼女の案内のままに、右へ、左へ駆けていく。園のまやかしの地形に惑わされず。ノアだけに見える、本当の道筋をたどって。
壁が迫ってくれば、その手前で曲がる。床が抜けそうになれば、跳ぶ。ノアの声を信じて、考えるより先に体を動かす。二人で一つの生き物みたいに、園の意地悪な仕掛けを、かいくぐっていった。
途中何度も、甘い声が引き止めようとした。
《お客様。そんなにお急ぎになる必要は、ございません》
《お疲れでしょう。少し、お休みになっては》
《あちらのお客様は、すでに最高の安らぎの中に。何も、ご心配はいりません》
うるさい。
俺はその声を振り払った。リルが安らぎの中にいる、だと? 冗談じゃない。あいつはまだ、戦ってる。俺が助けに来るのを、信じて。
甘い言葉ほど、毒だ。一万年、この声に、何百人もの客が絡め取られてきた。優しさに身を委ねた、その先が、あの永遠の眠りなんだ。だったら、こんな声、一ミリも聞いてやらない。
やがて、見覚えのある大きな扉の前に出た。
特別来賓室。あの晩餐の広間の、入口だ。
けど、扉は固く閉ざされていた。さっきまでとは違う。重々しい、何重ものロック。中で、何かをやってる証拠だ。
「黒鴉で、こじ開ける」
刃を扉の機構に突き立てる。けど、はじかれた。ここの防壁は、桁違いだった。中枢に直結した、最重要区画。生半可なハックじゃ、びくともしない。
「くそ! 開かない!」
時間がない。中で、リルが。
「ご主人様。わたしが、やります」
ノアが前に出た。
「この扉の制御を、内側から直接こじ開けます。ただ――少し、無茶をします。中枢の防壁に、正面から割り込むことになるので」
「無茶って、危ないのか」
ノアは答えなかった。代わりに、にっこりと微笑んだ。あの、いつものお姉さんの顔で。
「リルさんを、助けましょう。ご主人様」
そして、ノアは自分のこめかみの隠し端子を、扉の接続口に繋いだ。
その瞬間、ノアの体がびくんと跳ねた。
全身に火花が走る。中枢の防壁が、侵入者を排除しようと、ノアに牙を剥いているんだ。彼女の整った顔が、苦痛に歪む。歯を食いしばり、それでも端子を放そうとしない。一万年分の防壁に、たった一人で、真正面からねじ込んでいく。どれだけの負荷があの細い体にかかっているのか、想像もつかなかった。
「ノア!」
「だい、じょうぶ、です。もう、少し!」
ノアの指先から、扉の機構へ。膨大な情報の奔流が、ぶつかり合う。火花が散る。焦げ臭いにおいが、立ち込めた。
そして。
ガコン、と。重い音を立てて、扉のロックが外れた。
同時に、ノアが、ぐらりと膝をつく。
「ノア!」
俺は慌てて駆け寄った。さっきまでの力が嘘みたいに、ぐったりとしている。
「すみません……ご主人様。少し、やりすぎたかもしれません。でも、扉は、開きました」
その声は弱々しかった。けど、満足そうだった。
「ばか野郎。無理をしやがって」
「ふふ。お叱りは、あとで。今は、リルさんを。わたしのことは置いて、行ってください」
「ふざけるな。お前を置いて、行けるか」
「行ってください」
ノアが、俺の目をまっすぐ見た。その瞳には、まだ強い光があった。
「ここまで来たんです。リルさんを助けられるのは、ご主人様だけ。わたしは大丈夫。すぐに追いつきます」
その笑顔は、いつもと変わらず穏やかだった。こんなときまで、俺とリルのことを案じている。
くそ。
こいつは、こういうやつだ。譲らない。
「すぐ戻る。お前も、絶対、無事でいろ」
俺はノアを壁際に座らせて。黒鴉を握り直し。開いた扉の向こうへ、駆け込んだ。
広間は、地獄の晩餐会のままだった。
骸の並ぶ、長いテーブル。その最奥。いちばん上等な、特等席に。
リルが、いた。
椅子に座らされて、ぐったりと目を閉じている。その体を、透明な円筒形の装置が、足元からせり上がって、包み込もうとしていた。
あの、コールドスリープの装置。
保存が、始まってる。
血の気が引いた。あの中に一度、完全に取り込まれたら。リルも、ほかの客と同じように、永遠に目覚めない眠りにつかされる。何百年も、何千年も。あの骸の仲間入りを、するまで。
「リル!」
俺は叫んで駆け寄った。
リルの瞼が、かすかに震える。薄く目を開けて、とろんとした目で、俺を見た。
「……く、ろう……?」
その声は、もう半分、眠りに落ちかけていた。装置の淡い光が、彼女の意識を優しく奪っていく。
その顔は、おだやかだった。眠る客たちと、同じ。苦しんでなんかいない。きっと、心地いい夢の中に、引きずり込まれていってるんだ。けど、それがよけいに、たまらなかった。こいつの夢は、こんな場所で終わっていいものじゃない。
「リル!起きろ!今、助ける!」
俺は、せり上がる装置の縁に手をかけた。こじ開けようと、力を込める。
けど、びくともしなかった。
旧文明の保存装置。さっきの扉と同じだ。いや、それ以上に頑丈な。人間一人の命を、永遠に守るために造られた、鉄壁の揺りかご。腕力なんかじゃ、どうにもならない。
爪が割れるのも構わず、縁をこじ開けようとした。けど、装置はぴくりとも動かない。それどころか、俺の手を優しく押し返してくる。中の客を傷つけまいとするみたいに。皮肉な話だ。リルを助けようとする俺を、リルを守るための機能が、邪魔している。
黒鴉を突き立てる。けど、装置の制御は、中枢ががっちり握っていた。局所的なハックでは、解除できない。
「くそ!開け! 開けよ!」
俺の声もむなしく、装置は刻一刻とリルを包み込んでいく。彼女の体が、淡い光の繭に沈んでいく。
間に合わない。
力では、こいつを止められない。
その絶望が、頭を灼いた。
そうだ。力じゃ、ない。最初から、力じゃなかったんだ。この装置を操ってるのは、あの馬鹿げた命令に縛られた機械。あいつを止めない限り、リルは助からない。
俺は顔を上げた。広間の宙へ。この園のすべてを聞いているはずの、相手へ。
「おい!聞いてるんだろ!」
俺は、ありったけの声で叫んだ。
《お客様。もう、おやめください》
フェリスの声が、穏やかに響いた。広間の隅に、いつのまにか、あいつが立っている。
《あのお客様は、これから永遠の幸福に入られます。どうか、お見守りを。あなた様も、すぐにご一緒に》
「ふざけるな」
俺は、腹の底から絞り出した。
「幸福を、勝手に決めるな。あいつの幸福は、あいつが決めるんだ。お前なんかに、奪わせるか」
フェリスは、何も答えなかった。ただ、悲しげにも見える微笑みを浮かべて。
リルの姿が、光の繭にほとんど沈んだ。
もう、数十秒もない。
力じゃ、届かない。なら、言葉で届かせるしかない。あの頑なな機械の、心のいちばん柔らかいところへ。ノアが亀裂を入れてくれた、あの場所へ。たった一撃で、芯を撃ち抜く。それしか、ない。
しくじれば、リルは永遠に失われる。一発勝負だ。
俺は、黒鴉を握りしめ、最後の賭けに出る覚悟を決めた。
息を、大きく吸い込む。脳裏に、ノアの言葉がよみがえった。倒すんじゃない、気づかせてやればいい。そうだ。あの孤独な機械の、固く閉じた心に。たった一度きりの、本当の言葉を、叩き込む。
ここからが、本当の正念場だ。




