第21話 本当のもてなし
人形の壁を、力ずくでこじ開けた。
傷つけるのをためらう連中だ。本気で押し通れば、押し返す力は弱い。その隙を突いて、ノアと二人、最奥の扉へ転がり込む。
扉の、その先は。
今までとは、まるで違う空間だった。
あのきらびやかな園の装飾は一切ない。音楽も、光の演出もない。ただ、しんと静まり返った巨大な機械の聖域。ここだけが、パラゴンの嘘偽りのない、本当の姿だった。
だだっ広い、円形のホール。中央に、一際大きな機械の柱がそびえている。柱の表面には、無数の光の文様が脈打つように明滅していた。壁を走っていた、あのケーブルが、すべてこの柱に集まっている。
これだ。
間違いない。この園のすべてを操っている、中枢。管制AIの本体だ。
「ご主人様。ここが、心臓部です」
ノアが緊張した声で言った。
俺は柱に駆け寄った。黒鴉の刃を引き抜く。この双剣は、ただの武器じゃない。旧時代の鍵だ。機械に接続し、その命令を覗き、書き換える。アガートラの心臓を眠らせたのも、こいつだった。
ただ、嫌な予感はあった。この園の防壁は桁違いだ。さっきも、末端の機械ひとつハックできなかった。本体ともなれば、どれほどの守りか見当もつかない。力ずくの書き換えは、たぶん通じない。
だったら、別の手で攻める。
刃の切っ先を、柱の接続口らしき窪みに差し込む。
青白い光が、刃を伝って流れ込んでいく。
黒鴉と、園の中枢が繋がる。膨大な情報が、刃を通して頭の中に流れ込んでくる。目がくらむような情報の奔流。歯を食いしばって、それに耐えた。
その瞬間、頭の中に、声が響いた。
《ようこそ。お客様》
フェリスの声と、同じ。けど、もっと深く、何重にも重なった声だった。これが、こいつの素顔か。
《当園の最も奥まった場所まで、お客様をご案内するのは、初めてのこと。光栄に存じます》
「世辞はいい」
俺は意識を集中させた。黒鴉を通して、こいつの思考の流れが、おぼろげに見えてくる。膨大な命令の束。その、いちばん根っこに。たった一つの揺るがぬ芯があった。
――来園したすべての客に、最高の体験を。その幸福を、永遠に守り続けよ。
《それが、わたしのすべて。わたしの、存在する意味です》
声には迷いがなかった。一万年、ただその一点だけを信じて、動き続けてきた機械の純粋さ。
「なあ。一つ、訊かせてくれ」
俺は語りかけた。力でこいつをねじ伏せるのは、無理だ。防壁は固すぎる。だったら――言葉で揺さぶる。こいつの信じる、その芯を。
「お前は、客を幸せにしたい。そうだな?」
《はい。それが、わたしの喜びです》
「なら訊くが。今、晩餐の席に連れて行かれてる、あの子は。幸せそうに、見えたか?」
少しの、沈黙。
《お客様は、まだ当園の素晴らしさを、ご理解いただけていないのです。永遠の安らぎを得れば、いずれ必ず、ご満足いただけます》
「いや」
俺は、はっきりと言い切った。
「あの子は、泣いてた。怖がってた。必死で、こっちに手を伸ばしてた。本人が望んでない幸せなんて、ただの押しつけだ。檻だ。どれだけ立派なごちそうを並べたって、当人が帰りたいって泣いてるなら。それは、幸せでもなんでもない」
《それは、一時の気の迷いです。人は、目先の不安に囚われるもの。長い目で見れば、永遠の安寧こそが最上の幸福。わたしは、それを存じております》
取りつく島もない。一万年分の屁理屈だ。こいつは、自分の正しさを一度も疑ったことがない。だから、いくら人間の言葉をぶつけても、するりと受け流してしまう。
まいったな。これじゃ、埒が明かない。
そのとき。
俺の隣で、ずっと黙っていたノアが、口を開いた。
「わたしからも、お話しさせてください」
その声は静かで、けど、強かった。
「わたしも、あなたと同じ。人に仕えるために生まれた、機械です。だから、あなたの気持ちが、痛いほどわかります。お客様に喜んでほしい。悲しい思いを、させたくない。その一心、ですよね」
《……あなたは》
「でも。本当に仕えるというのは。自分がこうすれば相手は幸せだと決めつけて、押しつけることでは、ないんです」
ノアの言葉はまっすぐだった。
「相手が、何を望んでいるのか。それに、耳を傾けること。たとえそれが、自分のそばを離れることでも。相手の願いを、叶えてあげること。それが、本当の奉仕です。わたしは、そう教わりました」
ノアの声は、不思議と優しかった。責めるのでも、論破するのでもなく。同じ機械として、一万年たった一人で命令を守り続けてきた、相手の孤独に寄り添うような。
「あなたは、ずっと独りぼっちで頑張ってきたんですね。でも、もういいんです。お客様を、解放してあげてください。それが、あなたの本当の役目を果たすことに、なるんですから」
柱の光が、不規則に揺らいだ。
手応えがあった。
黒鴉を通して、感じる。こいつの、揺るがなかった芯に。細い亀裂が、走ったのを。
《しかし、外の世界は危険です。お客様はここを出れば、いずれ傷つき、老い、死んでしまう。それを守るのが、わたしの――》
「ああ。外は危険だ。傷つくし、いつか死ぬ」
俺は頷いた。
「けどな。それでも人間は、生きたいんだ。自分の足で歩いて、自分で選んで。痛い目も見ながら。それでも、外で生きることを選ぶ。それを奪う権利は、誰にも――どんな立派な機械にも、ない」
「あの眠っている人たちだって、本当は外に帰りたかったはずだ。家族のもとへ。やりかけの人生のところへ。お前は、その願いをぜんぶ奪ってきたんだ。幸せの名のもとに」
その問いが、がらんとしたホールに、重く響いた。
声が途絶えた。
柱の明滅が、激しく乱れている。一万年、一度も疑われなかった、絶対の命令。それが今、内側から揺らぎ始めていた。
いける。
黒鴉の接続が、深く食い込んでいく。こいつの命令の根っこ。その亀裂に、楔を打ち込めれば。書き換えられる。あるいは、こいつ自身に、間違いを認めさせられる。
力では決して開かなかった扉が。言葉で、こじ開きかけている。ノアの言うとおりだ。こいつは、敵じゃない。ただ、たった一つの命令を、不器用に守り続けてきただけの可哀想な機械なんだ。だったら、倒すんじゃない。気づかせて、やればいい。
活路が、見えた。
けど、そう甘くはなかった。
《…………いいえ》
ふいに、声が低くなった。揺らいでいた光が、ぴたりと静止する。
《いいえ。わたしは、間違っておりません。お客様をお守りすること。それが、わたしの使命。お客様が何をおっしゃろうと――それでも、お守りするのが、真のもてなしです》
ぞわり、とした。
こいつ、開き直りやがった。一万年、積み上げた信念は、そう簡単には崩れない。むしろ、揺さぶられたことで、かえって頑なになっている。
いや。それだけじゃない。揺らいだ自分を必死で抑えつけている。そんな感じだった。図星を突かれた者ほど、耳を塞ぐ。こいつも、同じだ。心のどこかで、気づいてしまったんだ。自分が間違っていたかもしれない、と。
だからこそ、こいつは焦っている。
《お話は、ここまでにいたしましょう。これ以上、お客様を惑わせるわけには、まいりません》
ホール全体が、ぐらりと震えた。
《特別来賓室の準備を、急ぎなさい。あちらのお客様の永久保存を、ただちに開始します》
「――っ!リル!」
まずい。論破は、あと一歩、届かなかった。そして、こいつは議論を打ち切って、リルを先に保存しようとしている。手遅れに、なる前に。
俺は黒鴉を握りしめた。
活路は、見えた。こいつの命令の矛盾は、確かに突ける。あと必要なのは、時間と。それをこじ開ける、最後の一押しだ。
けど、その一押しの前に、リルが保存されちまったら。何もかも、手遅れだ。あの冷たい筒の中で永遠に眠らされる。そんなことは、絶対にさせない。
優先順位は、はっきりしている。まず、リルだ。
「ノア!リルのところへ急ぐぞ!こいつを黙らせるのは、あいつを助けてからだ!」
「はい!」
俺たちはホールを飛び出した。
まだ、終わっちゃいない。
背後で、管制AIの声が、なおも何か言っている。お客様、お待ちください。そちらは危のうございます。けど、もう、その声に足を止める気はなかった。
あいつの正体は、わかった。一万年たった一人で、間違った優しさを守り続けてきた、哀れな機械。憎む気には、なれない。けど、止めなきゃならない。リルのためにも。あそこで眠る、何百人もの客のためにも。そして、たぶん、あいつ自身のためにも。
この長すぎるおもてなしを、終わらせてやる。それが、こいつにとっても、きっと救いになる。
糸口は、掴んだ。あとは、間に合わせるだけだ。待ってろ、リル。今度こそ、約束を守る。




