第19話 善意の檻
給仕の人形が、椅子を引いて、俺たちを待っている。フェリスの貼りついた微笑みが、ゆっくりと近づいてくる。
まずい。
ここでおとなしく席に着いたら、たぶん、二度と立ち上がれない。
頭をフル回転させた。力は効かない。逃げ場もない。なら――こいつの土俵で、勝負するしかない。
「フェリス」
俺はできるだけ自然に笑ってみせた。
「悪いが、まだ食事の気分じゃないんだ」
フェリスの足が、止まった。
「俺たちは、せっかく来たんだ。この晩餐の前に、もっと見たいものがある。お前さんの自慢の園を、隅から隅まで。それを楽しんでからじゃないと、こんなごちそうも、味わえないだろ?」
賭けだった。
こいつの行動原理は、たぶん一つ。お客様を楽しませること。
だったら、客が「まだ楽しみたい」と言っているのに、無理やり席に着かせるのは、こいつのルールに反するんじゃないか。
しばしの、沈黙。
フェリスの微笑みは、変わらない。けど、その奥で、何か途方もない計算が回っているのが、伝わってくる。お客様の幸せと、お客様を引き止めること。その二つを、こいつは天秤にかけている。背中に、冷たい汗がにじんだ。もしここで、読みを外していたら。今度こそ、強引に席へ着かされる。
やがてフェリスは、うやうやしく頭を下げた。
「これは、失礼をいたしました」
通った。
「お客様のご満足こそ、当園の喜び。もちろん、ごゆっくりお楽しみくださいませ。晩餐は、いつでもご用意がございますれば」
給仕の人形が、すっと椅子を戻す。
ふう、と俺は息をついた。
なるほど。こいつは確かに客を閉じ込める。けど、客の「楽しみ」を損なうことも、できない。そこに、つけ込む隙があるかもしれない。
とはいえ、楽観はできなかった。
特別来賓室を出て、俺たちは改めて本気で脱出を試みた。
まず、正面の大門。やはり、びくともしない。次に、園を囲む外壁。よじ登ろうとすると、見えない力に押し戻される。物理的に越えられないよう、できているらしい。
搦め手も試した。
厨房の搬入口。ごみの排出路。客の目に触れない、業務用の通路。どこかに、外と繋がる穴があるはずだ。
けど、どこへ行っても。
気づけば、フェリスがいた。
「お客様。そちらは、順路ではございません」
にこやかに。どこまでも慇懃に。俺たちの行く手を塞ぐ。
搬入口へ向かえば、先回りされ。排出路を覗けば、「危のうございます」と止められる。業務用通路に忍び込めば、いつのまにか、別の華やかな広間へ誘導されている。
まるで手のひらの上だった。
こっちがどこへ逃げようとするか。何をしようとするか。すべて見透かされて、先回りされている。
黒鴉で、園の機械をハックしようともした。けど、ことごとくはじかれる。一万年、磨き上げられた防壁は、生半可な攻撃を寄せつけなかった。末端の案内板ひとつ、思いどおりには動かせない。
あらゆる手が、ことごとく塞がれていた。それも、鉄格子や鎖でじゃない。微笑みと、気遣いと、際限のない親切で。
力ずくで、押し通ろうともした。フェリスを突き飛ばして、走る。けど、その細い体は、見た目に反してびくともしなかった。旧文明製の自動人形だ。ノアと同じで、腕っぷしでも、こいつには敵わない。それに、手荒な真似をした、その瞬間。フェリスの微笑みの奥に、ほんの一瞬、冷たいものがよぎった気がして、背筋が寒くなった。下手に怒らせれば、もてなしどころじゃ、なくなるのかもしれない。
どれだけ足掻いただろう。
時間の感覚は、とうになくなっていた。フェリスは相変わらず、にこにこと笑っている。俺たちがどれだけ出口を探し回っても。怒りもせず、咎めもせず。ただ優しく、見守っている。
それが、いちばんこたえた。
明確な敵なら、戦える。憎むこともできる。けど、こいつはただ、善意で俺たちを包んでくる。その柔らかさが、じわじわと心を削っていく。
リルが、ぺたんとその場に座り込んだ。
「……もう、やだよ。なんで出られないの。なんで、こんなに優しくされてるのに、こんなに怖いの」
いつもの元気は、見る影もなかった。無理もない。あの骸の山を見たんだ。あれが自分たちの未来かもしれないと、知ってしまった。
ノアが、そっとリルの肩を抱いた。
「大丈夫ですよ、リルさん。ご主人様が、いますから」
その声は優しかった。けど、ノア自身の顔にも、隠しきれない疲れが滲んでいた。
俺は、リルの前にしゃがみ込んだ。
「リル。顔を上げろ」
涙目のリルと目線を合わせる。
「確かに、こいつは手強い。今まで戦ってきた、どんな敵とも違う。けどな。アガートラのあの塔だって、絶望的だっただろ。それでも俺たちは、ちゃんとここに立ってる」
「……うん」
「だから、まだ諦めるな。お前をあんな晩餐の席に座らせたりは、絶対にしない。俺が約束する」
リルが、ぐすっと鼻を鳴らして、こくりと頷いた。少しだけ、目に力が戻る。
俺は、奥歯を噛んだ。
追い打ちをかけるように、フェリスがすり寄ってきた。
「お客様。長旅でお疲れでしょう。お部屋のご用意が、整いました」
「部屋?」
「はい。お客様専用の特別室にございます。寝具も調度も、最高級のものを取り揃えました。どうぞ、末永く、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」
末永く。
その言葉に、ぞっとした。
こいつはもう、俺たちを「ずっとここにいる客」として、扱い始めている。部屋を用意し、生活の面倒を見ようとする。そうやって、なし崩しに。気づけば何年も。やがては――あの、晩餐の席へ。
しかも、たちが悪いことに。この園の暮らしは、何不自由ない。腹は満たされ、危険もなく、毎日が楽しみであふれている。人間、楽なほうへは流されやすい。今は抗っていても、心のどこかが、ふと、こう囁く日が来るかもしれない。――別に、ここでもいいんじゃないか、と。
それこそが、この檻の、本当の恐ろしさだった。
タイムリミットが、刻一刻と迫っているのを感じた。
考えろ。
俺は必死で、頭を絞った。
力は効かない。逃げ場もない。搦め手も通じない。ぜんぶ試して、ぜんぶダメだった。
……いや。待てよ。
さっき、特別来賓室で。俺は一度、こいつの裏をかいたじゃないか。「まだ楽しみたい」と言って、席に着くのを回避した。
フェリスは、ルールで動いている。お客様を楽しませ、永遠に引き止める。その命令に、馬鹿正直に従っているだけの機械だ。
ということは。
力で壁を壊すんじゃない。こいつのルールそのものを、内側からひっくり返す。命令の矛盾をつく。あるいは――その命令を、書き換える。
アガートラの心臓を思い出した。あのときも、力押しじゃ勝てなかった。最後にものを言ったのは、黒鴉で核に繋いで、命令を書き換える一手だった。
あの塔の心臓は、迎撃しろ、という命令に縛られていた。なら、この園の親玉は、お客様をもてなせ、引き止めろ、という命令に縛られているはずだ。命令で動いている以上、そこには必ず、抜け穴がある。論理の、綻びが。
力ずくで出られないなら、頭で出る。こいつのルールを、こいつ自身に破らせてやればいい。
同じだ。
こいつにも、必ず本体がある。この馬鹿げたおもてなしを命じている、大元の管制知性が。さっき裏で見た、あの脈打つケーブルの、先に。
そこにたどり着ければ。道は、ある。
「ノア。リル」
俺は、二人にささやいた。胸の中に、ひとすじ、光が差していた。
「逃げ道を探すのは、もうやめだ」
「え?」
「正面から、こいつの親玉に会いに行く。この、いかれたおもてなしを、大元から止めてやる」
リルが、ぱちくりと瞬きをした。それから、不安と期待の入り混じった顔で、俺を見上げる。
「できるの?そんなこと」
「やるしかない。それに、当てはある」
俺は、声をさらにひそめた。
「さっき裏で見た、あのケーブル。あれは、この園の神経だ。たどっていけば、必ず、すべてを操ってる中枢に行き着く。そこへ、潜り込む」
ノアが、こくりと頷いた。その目に、もう、さっきまでの疲れの色はなかった。
「お供します、ご主人様。中枢の場所の見当なら、わたしにもつけられるかもしれません」
頼もしい。
俺たちは、顔を見合わせて、小さく頷き合った。
反撃の、始まりだ。




