第15話 次の風
アステライアに腰を据えて数日が過ぎた。
傷は癒え、装備も整った。リルは、すっかり鯨号の暮らしに馴染んでいる。穏やかな、いい日々だった。
けど。
そろそろ潮時だな。
甲板で朝の茶を飲みながら、俺はぼんやりそう思った。
ここで足を止めていても、ノアの記憶も、リルの鍵の謎も、答えは出ない。あの紋章の正体も、〈白〉の招集の信号とやらも、ぜんぶ、まだ霧の向こうだ。だったら、動くしかない。遺跡をめぐり、世界を見て、その中で少しずつ手繰っていく。それが、俺たちのやり方だ。
次はどこへ行くか。
大陸は広い。まだ見ぬ遺跡は星の数ほどある。
茶を飲み干したところで、ノアがハッチから顔を出した。
「ご主人様。そろそろ、次の行き先をお考えですか?」
顔に出てたか。
「ああ。お前は、なんか希望あるか?」
「わたしは、ご主人様の行かれるところへ。どこへでも」
にこり、とノア。相変わらず、こういうことを、さらりと言う。
行き先の当てを探しに、街へ出た。
こういうとき頼りになるのは、やっぱりあの爺さんだ。
ボズの店を訪ねると、爺さんは相変わらず薄暗い店の奥で、遺物を磨いていた。
「次の獲物を探してる?お前さんがたなら、選り好みもできるだろうが」
拡大鏡の奥の目が、にやり、と細くなる。
「一つ、面白い話がある。ただし――まともなハンターは、近寄らん場所だ」
「というと?」
「〈パラゴン〉。聞いたことは、あるか」
俺は、首を振った。リルが横で、「あたし、ある!」と手を挙げる。
「旧文明の、でっかい遊技場の跡でしょ?なんか、めちゃくちゃ豪華な遺跡だって」
「そうだ。旧文明が、自分たちの栄華を見せびらかすために造った、馬鹿でかい娯楽
施設さ。中にゃ、当時の贅を尽くしたお宝がごっそり眠ってる。手つかずで、な」
「どんなところなの?」
リルが、身を乗り出す。
「話に聞くだけだがな。広さはちょっとした街くらい。きらびやかな建物がいくつも並んで、夜になると、ひとりでに光り輝くんだそうだ。旧文明のからくり仕掛けの見世物が、今も動いてる、なんて噂もある。一万年経った今でも、なお、だ。まったく、化け物じみた技術さ」
リルの目がきらきらと輝いた。完全に好奇心をくすぐられてる。
手つかず。
その言葉に、つい反応してしまう。アガートラで学んだはずだ。手つかずってのは、それだけ誰も手を出せない、わけがある。
「なんで、手つかずなんだ」
「……ここから先が、面白いところだ」
爺さんは声をひそめた。
「あのあたりじゃ、人が消える。遺跡に近づいた連中が、ふっつり戻ってこなくなる。何十年も前からずっとだ。だから地元じゃ呪われた場所だと恐れられてる。生きて帰った者は、ほとんどいない」
リルの顔から笑みが引いた。
「消える、って……死んでるってこと?」
「さあな。死体すら見つからん。ただ、消える。それだけだ。だから、誰も確かめに行かん。お宝がごっそり残ってるのも、そういうわけさ」
「化け物が、出るとか?」
「だったら、まだわかりやすい。剣でも振るえばいい」
爺さんは、首を振った。
「だが、あそこから命からがら逃げ帰った、数少ない生き残りが、口を揃えて、こう言うのさ。――誰も、襲ってこなかった。むしろ、丁重にもてなされた、とな。なのに、どういうわけか、出口にたどり着けなかった。仲間が一人、また一人と消えていって、気づいたら、自分だけになっていた、と」
背筋が、ひやりとした。なんだ、それは。襲われもしないのに、消える。もてなされて、出られない。さっぱり、わけがわからない。
人が消える、遺跡。
いかにも、きな臭い。けど、胸の奥でハンターの血が騒ぐのを感じた。豪華な、手つかずの遺跡。誰も解いたことのない、謎。
「面白そうだろ?」
爺さんが、見透かしたように笑った。
「だが、忠告はしておく。生半可な覚悟じゃ、行くな。あそこは、何かがおかしい」
「忠告、ありがたく受け取っとくよ」
俺がそう返すと、爺さんはふん、と鼻を鳴らした。
「どうせ聞きゃしないんだろう。お前さんの目は、もう完全に行く気の目だ」
図星だった。
「ただな。もし何かおかしなものを見つけたら、無理はするな。生きて帰ることだけ考えろ。お宝なんざ、命があってこそだ」
ぶっきらぼうな口ぶりの奥に、確かな心配が滲んでいた。口は悪いが、根は優しい。リルが慕うわけだ。
「わかってる。ちゃんと三人とも、生きて帰るさ。土産話を楽しみにしててくれ」
店を出て、俺たちはしばらく無言で歩いた。
「どうする?」
リルが、上目遣いに俺を見た。
危険なのは間違いない。人が消えるなんて、ただ事じゃない。けど――もし、まだ生きて囚われてる連中がいるなら。何十年も、誰も助けに行かなかった、その場所に。
アガートラの心臓を、思い出した。一万年、独りで戦い続けた、あの孤独な機械を。あいつだって、誰かが止めに行くまで、ずっと、命令に縛られたままだった。
もしパラゴンに、同じような“何か”がいるなら。そして、その“何か”に囚われた人たちが、まだ生きているなら。
見て見ぬふりは、できない。性分だ。
「行くしかないだろ」
俺は笑った。
「手つかずの遺跡が、目の前にぶら下がってるんだ。見逃す手はない。それに、消えた連中の理由も、気になる」
「だよね!」
リルの顔がぱっと輝いた。さっきまでの不安はもうどこにもない。
「あたしも、そう言うと思った!危ないとこほど、燃えるもんね!」
「お前は、燃えすぎだ」
ノアも、くすくす笑いながら頷いた。
「では、わたしは長旅の支度を整えますね。保存の利く食材を買い込んで、鯨号の点検も」
頼りになる。こういうとき、ノアの手回しの良さは、本当にありがたい。
三人で顔を見合わせる。
ついこの前まで、俺は一人だった。ノアと二人になって。リルが加わって、三人になった。
いつのまにか、こんなに賑やかな一行に、なっていた。
次の遺跡が、どんなに危なくても。こいつらと一緒なら、きっと、なんとかなる。
そんな不思議な確信があった。
昔の俺なら、考えられなかったことだ。一人のほうが、気楽でいい。誰かを背負うのは、面倒だ。ずっと、そう思って生きてきた。
なのに今は、こいつらの顔を見ているだけで、なんだか力が湧いてくる。守りたいものができると、人はこんなにも強くなれるらしい。
そういうのも案外いいもんだ。
出発は翌朝早くと決まった。
その夜。リルは一人で、街を見に行った。
名残を惜しんでるのかもしれない。一年、暮らした街だ。倒れていた自分を拾ってくれた、最初の場所。慕ってくれる仲間も、いる。
ここを離れるのは、こいつにとって、ただの引っ越しじゃないんだろう。やっと手に入れた自分の居場所を、もう一度手放す。それでも前を向こうとするのは、新しい居場所を、もう見つけたからだ。
戻ってきたリルに、俺は何も訊かなかった。ただ、その目が少し赤かったのには気づいたけど。
「……行こっか」
リルは、そう言ってにっと笑った。
「あたしの家は、もうこっちだから。街は、いつでも帰ってこられるしね」
その顔に、湿っぽさはなかった。ちゃんと、前を向いている。
ああ、そうだな。帰る場所があるってのは、いいもんだ。
翌朝。
鯨号が、ゆっくりとアステライアの城門をくぐった。
朝靄の向こうへ。まだ見ぬ、遺跡へ。
甲板に出ると、頬を風が撫でていった。乾いた荒野の風だ。新しい土地の匂いがする。
「次は、どんなとこかなあ」
手すりにもたれて、リルが伸びをする。
「お宝、いっぱいあるといいなあ。あ、でも、消えるってのは、ちょっと怖いけど」
「今さら、びびるなよ」
「びびってないし!」
ノアが淹れたての茶を運んでくる。三人でそれをすすりながら、流れていく景色を眺めた。
遠ざかっていくアステライアの街並みが、朝日を浴びて、きらきらと光っていた。やがてそれも、地平の彼方に小さくなって、消えていく。
けど、寂しくはなかった。帰る場所は、ちゃんとここにある。この、走る我が家の中に。仲間と、温かい茶と、行く先のわくわくと、一緒に。
鯨号は、ひた走る。
次の風に乗って。まだ見ぬ、遺跡〈パラゴン〉へ。
そこで何が待っているのか。お宝か、謎か、それとも、消えた人々の答えか。今はまだ、わからない。
わからないからこそ、胸が高鳴る。怖さよりも、わくわくが勝つ。どうしようもなく、それが、ハンターってもんだ。
行ってやろうじゃないか、〈パラゴン〉。お前の謎、まるごと解き明かしてやる。




