第10話 眠れ
俺の頭の上で、巨大な刃が落ちてくる。
避けられない。
前にはノアがいて、斬れない。後ろは雑魚で塞がってる。上からは、デカブツの大剣。
ああ、これは詰みだ。
そう思った、まさにその瞬間だった。
「――ご主人さまっ!!」
声がした。
ノアの声だ。けど、さっきまでの切れ切れの声じゃない。お腹の底から振り絞った、彼女の本物の声だった。
次の瞬間、ノアの体が動いた。
操られていたはずの体が、心臓の命令を根こそぎ引きちぎって。彼女は銀の刃を放り捨て、両腕で俺の胸を思いきり突き飛ばした。
俺の体が、後ろへ吹っ飛ぶ。
同時だった。
守護者の大剣が、轟音とともに振り下ろされた。俺がたった今まで立っていた場所へ。そして――ノアが立っていた場所へ。
間に合え。
俺は空中で身をひねり、ノアの腕をつかんだ。力任せに引き寄せる。
大剣が、床を叩き割った。すぐ脇を、刃風が舐めていく。
俺たちはもつれ合って、床を転がった。
生きてる。二人とも。
腕の中で、ノアがぐったりしていた。けど、息はある。こいつは今、自分の意志で、命令に逆らって、俺を突き飛ばしたんだ。
「ノア、しっかりしろ!ノア!」
ノアの目が、うっすら開く。その瞳は、まだ青白い光と黒のあいだで揺れていた。
「ご、しゅじん、さま。にげて、ください。わたし、また――」
言い終わる前に、ノアの体がびくんと跳ねた。心臓がまた、彼女を掴みにくる。俺の腕を握っていた指が、ぎゅっと力を込めて、それから、力なくほどけていった。
くそ。
でも――今、はっきりわかった。
ノアの意志は、心臓の命令より強い。少なくとも、肝心なところでは。さっきこいつは自分が大剣の下敷きになると分かってて、それでも俺を突き飛ばした。命令を、ぶち破って。
なら俺のやることは、ひとつだ。
こいつを自由にする。一刻も早く。
俺はノアを、そっと壁際へ座らせた。
立ち上がる。脇腹の傷がずきずきと痛む。腕の痺れも、まだ抜けてない。満身創痍だ。
それでも、〈黒鴉〉を握り直した。
ここまで俺は、手を抜いてたわけじゃない。けど、どこかで守りに入ってた。ノアを庇いながら、傷つかない相手に決め手を欠きながらずっと及び腰だった。
もう、やめだ。
守るのも迷うのも、ぜんぶ終わってからやればいい。今はただ、目の前のこいつを――この塔まるごとを、力ずくで黙らせる。
深く、息を吸った。
体の奥で眠っていた何かが、ぐわりと目を覚ます。〈黒鴉〉の二本の刃が、青白い光をいちだんと強く噴き上げた。ぴりっと、空気が張りつめる。
守護者の頭が、わずかにこっちを向いた気がした。
警戒してやがる。機械のくせに。
「リル!」
俺は空洞の向こうのリルに叫んだ。
「もう一回、砲塔を撃たせる!今度はしくじらない、雑魚は任せた!」
「うん!いつでもいいよ!」
疲れてるはずなのに、その声にはまだ芯が通っていた。
行くぞ。
俺は地を蹴った。
今度は、回り込んだりしない。真正面から、守護者へ突っ込む。
大剣が薙ぎ払われる。俺はそれを躱さなかった。〈黒鴉〉の一本で、刃の側面を跳ね上げる。火花が散った。腕が軋む。けど、止まらない。そのまま巨人の懐へ飛び込む。
膝の関節。装甲の継ぎ目。さっき目をつけた急所。そこへ〈黒鴉〉を、立て続けに叩き込んだ。
一撃。二撃。三撃。
硬い装甲がめくれ、火花を噴く。守護者の巨体が、ぐらりと傾いだ。
すぐに心臓から光が流れて、傷を塞ぎにかかる。けど、塞ぐそばから俺がまた斬る。修復が、追いつかない。
体が、軽い。
不思議なくらい、よく動いた。守りを忘れて攻めだけに意識を振り切った途端、世界がゆっくりに見える。守護者のぶ厚い装甲の、どこに刃を入れればいちばん効くか。次にどこから反撃が来るか。ぜんぶ手に取るようにわかった。
これが俺の、本当の戦い方だ。誰かを庇うことも手加減することも考えず、ただ目の前のものを斬り伏せる。
「……うそ。なにあれ」
遠くでリルが、ぽつりと漏らすのが聞こえた。雑魚を撃ち抜く手を一瞬止めて、こっちを見てる。
悪いな。これが、俺だ。
守護者が苛立ちをぶつけるみたいに、両腕をめちゃくちゃに振り回しはじめた。大剣が空を裂く。けど、もう当たらない。俺はその一撃一撃の、わずかな隙間を、踊るみたいに抜けていく。抜けざまに装甲を斬り、継ぎ目を抉り、関節を断つ。
守護者の巨体に、いくつもの青白い線が走った。
守護者がたまらず、大剣を振り下ろしてくる。俺は横へ跳んで、躱しざまに、その腕の付け根を斬った。
巨人の動きが、わずかに鈍る。
効いてる。完全には壊せなくても、確実に嫌がらせにはなってる。こいつを本気で焦らせれば――
守護者の背中の砲塔が、ぐん、と持ち上がった。
来た。
近すぎる相手に業を煮やして、とうとう大砲を抜きやがった。それでいい。それを待ってたんだ。
砲口が俺を捉える。先端で、青白い光が収束していく。
あれを撃たせれば、守りが緩む。でも今度は、撃たれる前に離脱しなきゃ消し炭だ。タイミングは、紙一重。
砲塔の光が、限界まで膨らんだ。
今だ。
俺は地を蹴って、横っ飛びに守護者の射線から外れた。
刹那。
砲塔が火を噴く。極太の光が、さっきまで俺のいた場所を薙ぎ払った。熱風が、背中を押す。
そして、その瞬間。
心臓の膜が――消えた。
俺はもう、走り出していた。
心臓まで一直線。
けど、また、あいつが――ノアが、ふらりと心臓の前に。心臓が、最後の盾をまた引きずり出そうと。
させるか。
でも今度は、違った。
ノアが、自分の足で踏みとどまったんだ。心臓に引かれる体を、渾身の力でねじ伏せて。
「行って、ください!ここは、わたしが、抑えますからっ!」
ノアが両手を広げる。今度は、俺を庇うんじゃない。心臓へ向かう俺の道を、空けるように。自分の体を引き寄せようとするケーブルの力に、必死で抗いながら。
彼女が命がけでこじ開けた、一瞬の隙間。
俺はその横を、駆け抜けた。
すれ違いざま、聞こえた。
「おねがい、します。あれを、とめて、あげて」
ああ。
任せろ。
心臓は、もう目の前だった。
青白い光の塊。何百本ものケーブルが束になって突き刺さる、巨大な多面体。一万年、止まらなかった塔の鼓動。
俺は〈黒鴉〉を振りかぶった。
膜は、ない。今なら届く。
刃を、心臓のいちばん光の濃い中心へ。
突き立てた。
手応えがあった。〈黒鴉〉の、旧時代の鍵が、心臓のいちばん深いところへ潜り込んでいく。
その瞬間。
俺の頭の中に、どっと、何かが流れ込んできた。
声、だった。いや、声じゃない。膨大な情報の奔流。古い、塔の記憶。
俺は、見た。
一万年前。この塔がまだ生きていた頃。無数の人々が行き交い、機械が働き、世界中の物流を、この塔が束ねていた。
そして、ある日。
すべてが、終わった。
大崩壊。一夜にして、外の世界が死んだ。人々が消えた。塔に命令を与える者も、いなくなった。
ただ、最後の命令だけが、残った。
〈ネットワークを防衛せよ。迎撃を継続せよ〉
心臓は、それを守り続けた。
一万年。
誰も来ない地の底で。守るべきネットワークは、とうに滅んでるのに。迎え撃つべき敵も、いないのに。それでも命令だからと、ずっと、ずっと戦い続けてきた。たった独りで。
律儀なやつだ。馬鹿みたいに、忠実な。
流れ込んでくる記憶の中で、俺は見ていた。何百年も、何千年も変わらない暗闇。たまに地上から迷い込んでくる、小さな影。ハンターだ。心臓はそのたびに、命令どおり迎撃機を放った。侵入者を排除した。それが正しいことだと信じて。世界がもう、とっくに変わってしまったことも知らないまま。
ずっと待っていたんだ。誰かが来て「もういいよ」と言ってくれるのを。「任務は終わりだ」と肩を叩いてくれるのを。
でも、誰も来なかった。一万年、誰も。
胸の奥が、ちりっと熱くなった。
こいつは、敵じゃなかった。ただ、置き去りにされた機械だ。とっくにいなくなった主の最後の言葉を、後生大事に抱えたまま、目を覚ます日を待ち続けてた。そして三月前。遠い空から届いた誰かの呼び声に、応えて、目を開けた。
〈白〉。招集の信号。
その意味は、まだわからない。けど、今はいい。
俺は〈黒鴉〉の鍵に、命令を込めた。古い命令を、書き換える。たった一行を。
〈――任務、完了。もういいんだ〉
〈ご苦労さん。ゆっくり眠れ〉
心臓の青白い光が、ふっと和らいだ気がした。
長いあいだ張りつめていた何かが、ほどけるみたいに。
どくん。
心臓の鼓動が、ひとつ大きく脈打って。
それから、ゆっくりと、弱くなっていく。
どく、ん――どく――ん。
青白い光が、すうっと引いていく。多面体の表面を駆け巡っていた光の脈が、一本、また一本と消えていった。
そして。
塔の心臓が――止まった。
一万年、刻み続けた鼓動が、ふつりと途絶える。
その瞬間、空洞じゅうで変化が起きた。
あれだけ湧き続けていた雑魚のオートマタたちが、糸の切れた人形みたいに、いっせいに崩れ落ちた。赤く光っていた目が、闇に沈んでいく。
そして、守護者。
あの傷つかない巨人。背中のケーブルから、光が消える。給電が、断たれたんだ。
守護者は、大剣を持ち上げかけた、その姿勢のまま、ぴたりと止まった。
関節の隙間の光が、ふっと消える。巨体から、ぜんぶの力が抜けていく。やがてその場に、がくんと膝をついて――二度と、動かなくなった。
静寂が、降りてきた。
耳が痛いくらいの、静けさだった。
あれだけ腹の底に響いていた鼓動が、もう、ない。塔がほんとうに、眠りについたんだ。一万年ぶりに。
膝をついたまま動かない守護者の影が、長い任務を終えてようやく頭を垂れた、老いた兵士みたいに見えた。心臓と守護者。一万年、たった二人きりでこの地の底を守り続けた、二つの機械。今ようやく、その役目から解き放たれたんだ。
「――っ」
背後で、小さく息を呑む音。
振り返ると、ノアがその場に崩れ落ちるところだった。
俺は〈黒鴉〉を放り出して、駆け寄る。倒れるその体を、ぎりぎりで抱きとめた。
「ノア!」
腕の中のノアの瞳から、あの青白い光は、もうすっかり消えていた。
元の、優しい黒い瞳。
彼女はぼんやりと俺を見上げて、それから、ふにゃりと笑った。いつもの、あのお姉さんの笑い方で。
「ご主人、さま。わたし、ちゃんと、お役に立てましたか?」
「ああ。上出来だ。お前のおかげだよ、ノア」
そう言うと、ノアは安心したみたいに、目を閉じた。気を失ったんだ。けど、その顔はもう、苦しそうじゃなかった。穏やかな寝顔だった。
よかった。本当に。
こいつをこんなふうに苦しませたまま終わらせずに済んだ。それだけで、ここまでの無茶のぜんぶに、意味があった気がした。
俺は、ほっと息をついた。全身から、どっと力が抜けていく。
遠くで雑魚を片づけ終えたリルが、こっちへ駆けてくるのが見えた。
「クロウ!ノアさん!」
その声を聞きながら、俺は腕の中の穏やかな寝顔を見下ろした。
終わった。長い長い戦いが、ようやく。
塔は眠った。ノアも、ちゃんと連れて帰れる。
肩の力が、すっと抜けていく。一万年ぶりの静けさの底で、俺はもう一度、深く息を吐いた。




