第三章 火の使い方、あるいは走り始めた理由
帰り道、馬車の中でエリィはずっと考えていた。
業を返す。願いを聞いて、返す。返されたものを受け取った人間は背負う。
——あの人も、何かを背負っているんだろうか。
「……エリィ、また眉が寄ってる」
半分眠りかけていたはずのマリアが、目を閉じたまま言った。
「起きてたの」
「半分ね。エリィが考えてると伝わってくる気がする。空気が変わる。静かになる。水が深くなった感じ」
エリィは自分の手を見た。普通の手だった。
「マリアは」とエリィは言った。「何かを本当にやりたいと思ったことある? 理由を考えるより先に体が動く感じ」
「ある。猫が雨に濡れてるとき。傘を持ってても持ってなくても、気づいたら走ってた」
「それだ」エリィは静かに言った。
「何が?」
「私がわからなかったこと。理由じゃなくて、走ること」
マリアは片目を開けてエリィを見た。「なんか難しいこと言ってる」
「そうかな」
「そうだよ。おやすみ」
マリアは本格的に眠った。エリィはまた窓の外の山を見た。まだそこにあった。
村に差し掛かったのは夕方前だった。御者が馬に水を飲ませる間、見習いたちは少し外に出た。
エリィは少し村の方へ歩いた。石塀の角を曲がったところに、子供がいた。七歳か八歳くらいの男の子が石塀にもたれて座っていた。外套もなく、薄い上着一枚で、両手を膝に挟んでいた。鼻が赤い。唇が少し白い。
「寒くない?」
男の子は顔を上げた。目が赤かった。何も言わなかった。
エリィは男の子の前にしゃがんだ。荷物の中を確認した。金林檎が一本。乾いたパンが半分。スープの瓶はもう空だった。
手袋を外した。冷たい空気がすぐに手の甲に来た。右手の平を上に向けて、息を整えた。
《ファイア》。
小さな火が、指先の上で揺れた。戦えない。物を燃やすには弱すぎる。でも手を温めるには十分だった。
「触らないで。でも、近くに手を出してみて」
男の子はためらいながら、かじかんだ両手を炎の近くに出した。温かい、とでも言いたそうな顔が少しほぐれた。
エリィは荷物から金林檎を取り出した。磨かれたように艶のある、腐らない金林檎。
「食べる?」
男の子は小さく頷いた。エリィは金林檎を渡した。炎をもう少し大きくした。使いすぎると腹が減るのはわかっていたが、もう少しだけ、と思った。
男の子が金林檎を食べ始めた。甘い匂いがした。エリィの腹が、静かに鳴った。
「お父さんかお母さんは?」
少し間があった。「父さんが、具合悪い」
エリィは頷いた。それ以上は聞かなかった。聞いても、今すぐできることが増えるわけじゃない。男の子が金林檎を食べ終わるまで、炎を続けた。それだけだった。
馬車に戻ると、ヴェルト師が石塀にもたれて待っていた。
「どこへ行っておった」
「少し村を。子供がいた。寒そうだったので、火を使いました」
ヴェルト師はエリィをしばらく見た。それから目を細めた。
「腹は減らなかったか」
「減りました」
「そうか」
老人は馬車の方へ歩き始めた。エリィも並んで歩いた。
「師、あの火、これくらいしか使えないんですが。もっと大きくする方法はないんですか」
ヴェルト師は少し黙った。
「大きくしたいのか」
「大きければ、もっと役に立てます。子供の家まで温められたら、と思ったので」
「おまえのファイア、いつも料理か洗濯に使っておるだろう。聖典には炎は魔物を退けるためと書いてある」
「パンを焼く方が、先に必要なので」
老人はそれ以上何も言わなかった。馬車が見えてきた。乗り込む直前に、ヴェルト師はエリィだけに聞こえる声で言った。
「大きくなるのは、術じゃない」
それだけ言って、老人は乗り込んだ。
エリィはしばらく外に立っていた。
——大きくなるのは、術じゃない。
じゃあ、何が大きくなるんだ。
夕方、マリアが目を覚ました。
「エリィ、顔色悪い。腹減った?」
「少し」
「ほら」マリアが蜂蜜菓子を出した。「余ったやつ」
甘かった。思ったより甘くて、少し目に来た。泣くほどではなかったが、甘さが疲れた体に沁みた。
「ねえエリィ」マリアが声を落として言った。「今日、大聖堂で会った人、どんな感じだった?」
「変というより……いろんなものを、渡してしまった人みたいな感じ」
「渡した?」
「持っていたものを全部どこかへ出してしまって、中が空になった……みたいな」
マリアはしばらく考えた。それから静かに言った。「……エリィ、あの山に行くつもり?」
エリィは答えなかった。窓の外を見た。山脈はほとんど見えなかった。空が暗くなって、輪郭だけが残っていた。でも音は聞こえた。金属の音。今日は、初めてはっきり聞こえた。
「わからない」とエリィはようやく言った。「でも」
「でも?」
「あの子の家が、冬の間ずっと寒いことは、わかる」
マリアはエリィを見た。
「それって」マリアがゆっくり言った。「もう答えが出てるんじゃない」
「そうかな」
「そうだよ」
馬車が揺れた。金属の音が、遠くなった。でも消えなかった。エリィの耳の奥で、一定のリズムで静かに続いていた。




