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第十一章 名を失う橋、あるいは誰かの顔のこと

朝、宿を出るとき、カエルが言った。「次は何だ」

「橋らしいです」エリィは言った。「誰から聞いた」「そのものから」

カエルはそのものを見た。そのものは荷物も持たずに先に立っていた。

「橋を渡ると何が起きる」「軽くなる、と」「どこが」「わかりません」エリィは言った。「聞いたんですが、そういう答えでした」

カエルは黙った。今朝のパンは固かった。腹が減っている。また谷みたいな目に遭うなら、せめて食ってから行きたかった。

「ルーメン」とカイが言った。「橋について、聖典に何か書いてあるか」

「律の書 第三十一節に、『名を渡すな、されど渡らぬ者に名はない』とあります」

全員が少し黙った。「……どういう意味ですか」エリィは聞いた。

「解釈が分かれています」ルーメンは言った。「渡るべきか渡らざるべきかという論と、渡ることで名が変わるという論と——」

「わかりました」カエルが言った。「もういい」「そうですね」ルーメンは言った。傷ついた様子はなかった。

愚者は少し後ろで聞いていた。笑みがあった。何も言わなかった。

橋は、川の上にあった。川、と呼んでいいのかわからなかった。水が流れていた。でも音がしなかった。流れているのに、音がなかった。水面は動いているのに、波紋がなかった。鏡みたいだった。鏡が、流れていた。

橋自体は古かった。石造りで、手すりがある。手すりに何か彫ってあった。読もうとしたが、近づくと文字が別の文字になった。文字が定まらなかった。

「渡るとどうなりますか」エリィはそのものに聞いた。「軽くなる」「何が軽くなりますか」

そのものは少し間を置いた。「持ちすぎているものが、少し、緩む」「緩む」「なくなるわけじゃない。ただ、少し手が離れる」

エリィはその言葉を頭の中に置いた。持ちすぎているもの。自分が何を持ちすぎているかは、よくわからなかった。「渡りましょう」エリィは言った。

カイが先に一歩踏み出した。護衛の癖だった。踏み出して、また止まった。引き返したのではなく、確かめた。足の裏で橋を確かめた。「固い」と言った。「渡れる」「当たり前じゃないですか」「試練の橋が当たり前とは限らない」それはそうだった。エリィは納得した。

一列になって、渡り始めた。

最初の数歩は、普通だった。固い。石の感触がある。手すりが冷たい。川の上は風があった。

五歩目あたりで、何かが変わった。変わった、というより、軽くなった。荷物が軽くなったのではなかった。荷物の重さはそのままだった。でも何かが、ふっと、外れた気がした。何かを持っていたのに、それが一瞬、手から離れた感じ。でも何を持っていたのかが、わからなかった。

止まろうとした。止まれなかった。前に進む以外の選択肢がなかった。

「止まれないですか、ここ」「止まれない」とそのものが後ろから答えた。「渡るか、戻るかだけ」「戻るとどうなりますか」「また来ることになる。別の形で」

エリィは前に進んだ。

名前が、少しぼやけた。自分の名前ではなかった。周りのものの名前が、少し、遠くなった。あれは岩、あれは空、あれは川——という結びつきが、薄くなった。名前と物が、少し離れた。名前がないと、物の見え方が変わった。ただそこにある、という見え方になった。

悪くなかった。ただ、少し、心細かった。

「カイさん」と声が出た。「いる」と前から答えが来た。「ヴェルト師」「うん」と隣から来た。「カエルさん」

返事がなかった。エリィは振り返った。カエルが、橋の真ん中で、止まっていた。

止まっていた。前に進んでいなかった。でも戻ってもいなかった。ただ、橋の上に立っていた。川——鏡のように流れる水——を見下ろしていた。

「カエルさん」返事がなかった。

エリィはカエルの方へ戻ろうとした。足が、前にしか出なかった。「戻れないです」エリィは言った。「うん」とそのものが言った。「カエルさんが止まっています」「見てる」「どうしたらいいですか」「待てない。渡るしかない」

エリィは前を向いた。でも目はカエルの方を向いていた。

カエルは動かなかった。水面を見ていた。水が鏡みたいだから、水面には何かが映っているはずだった。カエルが見ているものが。でもエリィには見えなかった。

カエルが、ゆっくり、また歩き始めた。一歩。また一歩。前を向いて。止まる前と同じ歩き方で。でも、何かが、少しだけ違った。肩の位置が、違った。止まる前より、少しだけ、下がっていた。

荷物が重くなったのではなかった。逆だった。何か軽くなったものが、あるらしかった。

橋を渡り終えた。向こう岸に出た瞬間、名前が戻ってきた。あれは岩、あれは空——名前と物が、また結びついた。でもそれと同時に——

エリィは少し立ち止まった。自分の名前を、確かめようとした。エリィ。言葉より先に、顔が来た。マリアの顔だった。名前を呼ぼうとしたら、顔が来た。エリィという言葉より先に、門の前で泣きそうな顔のまま笑っていたマリアが来た。

「……」

おかしかった。自分の名前を確かめようとしたのに、他の人の顔が出てきた。でも、それが間違いとも思えなかった。

「どうした」カエルが横に来た。「自分の名前を確かめたら、マリアの顔が出てきました」

カエルは少し黙った。「……そういうものか」「わかりません。あなたはどうでしたか」

カエルは前を向いた。「自分の話は、しない」「そうですか」「そうだ」

エリィは頷いた。聞いた自分が少し間違えたと思った。聞いていい問いと、聞いてはいけない問いは、違う。これは後者だった。

ヴェルト師が隣に来た。音がなかった。いつものように。

「師は何が来ましたか」

老人は少し間を置いた。「忘れた」「忘れましたか」「前に渡ったとき、何が来たかを、もう忘れた」「覚えていなくていいんですか」「覚えていなくていいものは、忘れる」

エリィはその言葉を頭の中に置いた。覚えていなくていいものは、忘れる。覚えているものは、まだそこにある。

「マリアの顔が来たのは」エリィはゆっくり言った。「覚えていていいからですか」

老人は答えなかった。でも、少しだけ、肩が動いた。それで十分だった。

カイが、エリィの隣に来た。「さっき、カエルが止まっていた」と言った。「見ていました」「何も聞かなかったな」「聞いていい話じゃなかったので」

カイは頷いた。それから低く言った。「あいつ、理解している」「何をですか」「戻らないということを」

エリィはその言葉の意味を、少し考えた。カエルが水面を見ていた。水面に映っていたもの——それはきっと、戻してしまったら失うものだった。あるいは、戻してしまったら消えてしまうもの。橋の上で、一度だけ、それを見た。そして、また歩き始めた。

「カイさんは」エリィは聞いた。「橋の上で、何が来ましたか」

カイは少し沈黙した。「名前だ」と言った。「ご自分の名前ですか」「カイ・ヴァルター。元騎士の。それが来た」「それだけですか」「それだけだ」とカイは言った。それで終わりだった。

エリィは追わなかった。カイが「元騎士の」とつけたことが、少し気になったが、今は気にするだけにした。

愚者は、橋を渡る間、変わらなかった。変わらなかったことが、少し不思議だった。他の全員が何かを感じていた。でも愚者は橋を渡り終えても、笑みを変えなかった。

「愚者さん」「うん」「橋の上で、何かありましたか」

愚者は少し間を置いた。笑みがあった。「軽くなるべきものが、ないのかもしれないね」「なぜですか」「持っているものが、すでに一つしかないから」

エリィはその言葉を頭の中に置いた。一つしかない。欲しいものが一つで、それが大きすぎて全部を覆っている。だから橋が軽くするものが、ない。

「それは」エリィは言った。「つらくないですか」

愚者が、少し間を置いた。笑みが動かなかった。動かなかったが——今度は遠くならなかった。

「つらい、という言葉を使ったことがないね」「使わないですか」「使う必要がなかった」「なぜですか」「欲しいものが、ずっとあったから」

エリィはその答えを聞いて、少し考えた。欲しいものがあり続けることと、つらくないことが、どう繋がるのかが、まだわからなかった。でも今すぐわかる必要もなかった。「わかりました」とエリィは言った。

腹が、鳴った。

愚者は、笑みのまま、少し息を吐いた。「今日も鳴るんだね」「鳴ります」「橋の上でも鳴っていた」「鳴っていましたか」「鳴ってた。渡りながら」

エリィは少し考えた。渡りながら鳴っていたなら、名前がぼやけていても、腹は鳴っていた。「それは」エリィは言った。「よかったです」「そう?」「ここにいるとわかるので」

愚者は少し間を置いた。笑みが、一瞬だけ、静かになった。遠くなったのでも崩れたのでもなかった。ただ、静かになった。一秒だけ。「そういう受け取り方をするんだ」と愚者は言った。

「違いましたか」「違うとも言えない」「そうですか」エリィは言った。

前を向いた。道が続いていた。山が、また近くなっていた。金属の音が、また聞こえていた。橋を渡る前と、リズムは同じだった。でも少しだけ、音が澄んでいた。渡る前より、はっきりしていた。何かを数えていた。あるいは、何かが軽くなったことを、静かに確かめていた。


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