第8話 熱い夜
私は深呼吸を一つすると、掛布団を蹴りのけ、寝返りを打って健太郎さんの方へと体を向けた。
そして、暗闇の中でそっと彼の上に手を伸ばし、その逞しい胸板にそっと指先を這わせた。
「……結衣?」
健太郎さんの声が、微かに裏返る。
「健太郎さん……今日は、まだ起きていても、いいですか……?」
私は震える声で囁きながら、自ら彼の首に腕を回し、顔を近づけた。
健太郎さんは、今まで一度も自分から誘うことは無かった私の劇的な変化に最初は驚き、息を呑むのがわかった。しかし、私が彼のパジャマのボタンに指をかけると、彼は喉の奥で低く笑い、私の細い腰を強く引き寄せてくれた。
「結衣から誘ってくれるなんて……すごく嬉しいよ」
彼の手が私の背中を撫で上げ、熱い吐息が耳元を掠める。
いつもなら「恥ずかしい」と目を逸らしてしまうところだが、ソニアへの嫉妬で理性が焼き切れていた私は、その日の夜、健太郎さんを自らベッドに誘うという大胆な行動に出た自分自身を止められなかった。
重なる唇。絡み合う舌。
彼の熱が直接肌に伝わってくるたび、私の体はいつもよりも敏感に跳ねた。
(もっと……私のことだけを見て。私だけを可愛いって言って……!)
言葉にならない熱情が溢れ出し、私は自分からも率先して彼に触れ、激しく攻め立てた。私の予想外の積極性に、健太郎さんの抑え込んでいた理性が外れる音が聞こえた気がした。
暗闇の寝室に、互いの荒い息遣いと、肌がぶつかり合う甘い音だけが響き渡る。
嫉妬という名のスパイスは恐ろしい。私は公務員としての品位も、完璧主義な妻としての建前もすべて投げ捨てて、ただひたすらに彼との繋がりに溺れていった。
間違いなく、結婚してから今までで一番熱くて激しい夜だった。
+++
「……結衣、息上がってるけど、苦しくない?」
長い嵐が過ぎ去った後。汗ばんだ体を健太郎さんの腕の中にすっぽりと収められながら、私は彼に頭を撫でられていた。
荒い呼吸が落ち着いてくると、強烈な羞恥心が津波のように押し寄せてきた。
(私、なんてことを……まるで発情した動物のように……)
顔から火が出そうになり、私は健太郎さんの胸に顔をグリグリと押し付けて隠した。
「ふふ、可愛いな」
「……可愛くなんて、ありません」
私はくぐもった声で反論した。
「私は地味で、頭が固くて、面白みがなくて……」
言いながら、昼間の通話アプリのやり取りがフラッシュバックする。
私の口から、無意識のうちに本音がポロリとこぼれ落ちていた。
「……ソニアの方が、良いんですか?」
頭を撫でる健太郎さんの手が、ピタリと止まった。
「……昼間、アプリを見てました。ハートマークなんて、私には一度も送ってくれたことがないのに」
言ってしまってから、自分がどれほど女々しくて見苦しいことを口にしたのか気づき、涙が滲んだ。自分自身の生み出したイマジナリーフレンドに本気で嫉妬するなんて、本当に狂っている。
しかし、健太郎さんは呆れることも笑うこともなく、ただ私の背中をより一層強く抱きしめてくれた。
「……ごめんね。結衣は真面目だから、スタンプや絵文字をたくさん送ったら迷惑かと思って、気を遣っていたんだ」
頭の上から降ってくる彼の声は、ひどく優しかった。
「でも、結衣がヤキモチ妬いてくれるなんて、すごく嬉しいな」
「……っ、ヤキモチじゃありません!」
「いいや、ヤキモチだね。今日の結衣、すごく熱くて、最高に可愛かったよ」
ちゅっ、と額に柔らかいキスが降ってくる。
「そーぽよちゃんは確かに明るくて楽しいけれど、彼女も結衣自身が生み出した、結衣の大事な一部だろ? 僕は、生真面目で誠実な結衣も、ヤキモチを妬いて大胆になる結衣も、全部ひっくるめて愛してるよ」
その真っ直ぐな言葉に、私の胸の奥で固く結ばれていた糸が、ふわりと解けていくのを感じた。
(……どっちも、私の一部)
ソニアの存在を告白し、隠し事をやめたことで、私は初めて「嫉妬する自分」や「激しく夫を求める自分」を彼にさらけ出すことができたのだ。
脳内で大人しくしていたソニアが、ふと〈……ゆいぽん、良かったじゃん〉と、小さく笑ったような気がした。
「……健太郎さん」
「ん?」
「……明日から、私にも絵文字、送ってください。……ウサギのやつ」
「あはは、わかった。ウサギの絵文字と、特大のハートマークを送るよ」
私は熱を持った顔をもう一度彼の胸に埋め、その温かく力強い鼓動を聴きながら、今までで一番穏やかで幸せな眠りについた。




