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夫が私のイマジナリーフレンドと浮気しているようです ~清楚で堅実な私と、脳内ギャルの親友。夫が愛しているのは、さぁどっち?~  作者: 団田図


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第47話 親友の真意

 豊春県《とよはるけん》緑川市《みどりかわし》の市役所。市民生活部・戸籍住民課の窓口には、今日も穏やかな時間が流れていた。


「こちらの書類ですが、この欄にご記入をお願いできますか?」

「はいはい、ここだね。……瀬戸《せと》さん、いつも丁寧で助かるよ。最近、なんだか表情が柔らかくなったねえ」

「ふふ、ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」


 手続きを終えた市民の方を笑顔で見送る。以前の私なら、一切の感情を交えずにマニュアル通りの平坦な声で対応していたはずだ。「氷の窓口担当」と呼ばれていた頃の自分が、今では少し遠い昔のことのように思える。


「瀬戸先輩! この転入届の処理なんですけど、少し確認してもらってもいいですか?」

 隣のデスクから、後輩の星草《ほしくさ》ララが身を乗り出してきた。彼女の爪には、今日も規定ギリギリの可愛らしいクリアカラーのジェルネイルが光っている。

「ええ、見せてちょうだい。……あ、ここの住所表記が少しややこしいから、一緒にシステムに入力してみましょうか」

「ありがとうございます! 先輩、最近本当に話しやすくて……私、毎日仕事が楽しいです」

「私もよ、星草さん」


 自然に笑い合える職場の空気は、本当に温かくて心地よかった。私が完璧な公務員の鎧《よろい》を少しだけ脱ぎ捨て、人間らしい隙を見せられるようになったことで、周囲との関係は劇的に改善されていた。


 +++


 その日の夜。

 夕食を終えたリビングには、テレビのバラエティ番組の音が小さく流れていた。健太郎《けんたろう》さんはソファに座り、食後のコーヒーを飲みながらリラックスしている。


「今日の肉じゃが、すごく美味しかったよ。結衣《ゆい》の味付け、少しだけ甘めになった?」

「ええ。健太郎さんが最近お仕事で少しお疲れのようだったので、お砂糖とみりんをほんの少しだけ多めにしてみたんです。脳の疲労回復には糖分が合理的ですから」

「あはは、結衣らしい理由だね。でも、本当にすごく癒やされたよ。ありがとう」


 健太郎さんが目を細めて、私に極上の営業スマイルではない、素の優しい笑顔を向けてくれる。

 キッチンで食器を洗いながら、私はその幸せな光景に胸を温かくしていた。


 ……ふと、水音に混じって、ある違和感に気がついた。

(……ソニア。なんだか最近、とてもおとなしいわね)

 私は脳内の親友に、心の中でそっと語りかけた。

 以前なら、テレビのバラエティ番組を見て〈あの芸人、マジウケる!〉と騒ぎ立てたり、食後に〈ゆいぽん、アイス食べたい! ちょっと体貸して!〉と要求してきたりしたはずだ。


〈……んー? 別にー? ゆいぽんが夫ちゃんと楽しそうにしてるから、アタシが入る隙がないだけっしょ〉

 ソニアの脳内の声が返ってきた。

 しかし、その声は以前のような鼓膜を破るような大音量ではなく、どこか遠くで響くような、輪郭がぼやけた微《かす》かなものになっていた。思えば、彼女から「ソニアタイム」を要求されることも、この数週間、ただの一度もない。


(体調でも悪いの? イマジナリーフレンドに体調という概念があるのかはわからないけれど……)

〈元気モリモリだってば。ゆいぽん、気にしすぎー〉

 そう言って、ソニアの気配は再び静かな脳内の奥底へと沈んでいった。


 +++


 健太郎さんが入浴している間。

 私はリビングのソファに深く腰掛け、カモミールティーの入ったマグカップを両手で包み込んでいた。

 テレビを消した静かな空間で、私は少しぼんやりと、これまでのソニアの行動を振り返っていた。


 結婚して、初めてソニアの存在を健太郎さんに打ち明けた日のこと。

 あの日、ソニアは半ば強引にソニアタイムを発動させ、資源ゴミに出すはずだったあのド派手なフリフリの服を着た。

(……あの時は、ただ外の世界で遊びたいという彼女のワガママだと思っていたけれど)


 もし、あれが単なるワガママではなかったとしたら?

 私が、だらしなくて、非常識で、派手な姿を健太郎さんの前に晒《さら》しても、彼が引かずに私を愛してくれるかどうかの「愛情の深さを測るテスト」だったのだとしたら。


 義母の芳江《よしえ》ママが、予定を変更して突然襲来した日のこと。

 ソニアは爆音のユーロビートを流し、芳江ママと一緒にリビングで踊り狂った。

 完璧な公務員の嫁でなければ見捨てられると恐れていた私に、ソニアは「完璧じゃなくても大丈夫」という証拠を見せつけるかのように、義母との間にフランクな関係を強引に築いてみせた。あれ以来、私が少しくらい家事を手抜きしても、芳江ママは「お嫁ちゃんもたまには休まなきゃね」と笑って許してくれるようになった。


 そして、ショッピングモールで、健太郎さんを狙っていた後輩の白石《しらいし》くるみと遭遇した時のこと。

 ソニアは圧倒的なギャルバイブスで彼女の野望をコントロールしつつ、なぜか「舎弟」にしてしまった。

 さらに、職場にあのピンクの毛玉のような派手なスマホケースを持っていかせたこと。私がひた隠しにしていた「人間くささ」や「隙」を強制的に周囲に晒すことで、星草さんが私を恐れず、今の温かい関係を作れるように種まきをしてくれていたのだ。


 マグカップの温もりが、手のひらからゆっくりと全身に広がっていく。

 頭の中で、散らばっていた点と点が繋がり、一つの明確な答えにたどり着いた。


 私が十四歳の頃、親の過酷な重圧から自分の心を守るために、無意識に生み出した防衛機制。それがソニアだ。

 親の決めたレールを外れ、自由の象徴として私を支え続けてくれた、たった一人の絶対的な親友。

 そんな彼女は、私が健太郎さんという、本物の愛情を注いでくれる人と結婚したことで。


 自分が私を守るという「防衛機制としての役割」が、もう終わりつつあることを、本能的に悟ってしまった。


(ソニア……あなた、自分がもうすぐ消えてしまうことがわかっていたのね)

 私が再び一人で完璧主義の鎧を着込んで息苦しくならないように。

 自分が完全に私の中に溶けてしまう前に、私が完璧でなくても笑って生きていけるように、あの手この手で周囲に味方を作り、私の居場所を温かいものに変えてくれていた。


 すべては、不器用な彼女なりの、私への「ショック療法」であり、卒業を見据えた置き土産だっ、た?


「……っ」

 マグカップを持つ手が震え、水面に小さな波紋が広がる。

 視界が急に歪み、ポロポロと、大粒の涙が頬を伝って落ちた。

 自分の存在が消えてしまうかもしれないというのに、私の幸せを一番に考えて、悪役を買って出てくれていた愛すべきギャル。

 私の半身。私の、たった一人の親友。


(ソニア……私……)


 言葉にならない感情が溢《あふ》れ出し、私は両手で顔を覆って声を殺して泣いた。


「ふぅ、さっぱりした。……あれ、結衣?」

 バスルームから出てきた健太郎さんが、髪をタオルで拭きながらリビングに入ってきた。

 そして、肩を震わせて泣いている私を見て、血相を変えて駆け寄ってきた。


「結衣!? どうしたの、泣いてるの!? どこか痛いのか!?」

 健太郎さんが慌てて私の肩を抱き寄せ、顔を覗き込んでくる。

 私は首を横に振り、溢れる涙を手の甲で乱暴に拭った。

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