第25話 後輩の野望
【健太郎視点】
「おい瀬戸! お前、一体どういうつもりなんだよ!」
金曜日の夜。新橋の少し騒がしい居酒屋で、同期の馬場翔太がビールのジョッキをドンッとテーブルに叩きつけ、俺に詰め寄ってきた。
「声が大きいって、馬場。だから、あれは本当に誤解で……」
「誤解なわけあるか! 休日の真昼間の駅前で、あんなヒョウ柄の超ミニ履いたド派手な女と腕組んで歩いてただろ! 俺の目は誤魔化せないぞ!」
俺は深く頭を抱えた。
先週末、結衣が七時間の『スーパーソニアタイム』を発動した日のことだ。運悪く、デートの帰り際にこの社内一の噂好きである馬場と遭遇してしまったのだ。
「違うんだ。あの派手な子は、本当に……俺の妻なんだよ」
「はぁ!? お前の奥さん、市役所勤めで、めちゃくちゃ真面目で地味な人だって、お前自身がいつも言ってたじゃないか!」
「そうなんだけど、その……妻の中には、もう一つの人格というか、ギャルが住んでいて……休日はその子が体を借りて表に出てるんだ」
「……瀬戸。お前、ついに頭までイカれたのか?」
馬場は氷のように冷たく、そして哀れむような目で俺を見た。まあ、当然の反応だ。イマジナリーフレンドが妻の体を乗っ取ってデートしているなんて、誰が信じるというのか。
俺は酒の勢いも手伝って、弁明のつもりでつい本音をこぼしてしまった。
「最近、妻が積極的すぎて困ってるんだよ……。いや、正確には、妻の親友なんだけどさ……」
「……は?」
馬場が枝豆に伸ばそうとしていた手が、ピタリと空中で止まった。
「妻の、親友……?」
「ああ。そーぽよちゃんは、結衣の昔からの親友でさ。最近よく俺の腕に抱きついてきたり、可愛いリップをねだってきたり……すごく無邪気で可愛いんだけど、結衣がヤキモチを妬くから、俺もどうバランスを取ったらいいか困ってて……」
「おい、待て待て待て!」
馬場がガタッと音を立てて立ち上がり、俺の肩をガシッと掴んで激しく揺さぶった。
「お前……まさか、奥さんの親友と浮気してんのか!?」
「えっ? いや、だから浮気じゃなくて……!」
「最低だ! 奥さんを家政婦みたいに扱って、その親友と白昼堂々腕組んでデート!? お前、そこまでゲスなクズ男だったのかよ!」
「違う! 結衣の中にいるそーぽよちゃんで、体は一つで……!」
「もういい! 二重人格だの親友だの、お前の言い訳は支離滅裂すぎて聞いてられない。完全に幻滅したわ!」
馬場は怒り心頭といった様子で財布から千円札を数枚投げ出すと、俺を残してさっさと店を出ていってしまった。
……終わった。
俺の社内での『クズ男疑惑』が、たった今、決定的なものとして完璧に仕上がってしまった瞬間だった。
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【白石くるみ視点】
「瀬戸サブリーダーが、奥さんの親友と浮気してるらしいぞ」
週明けのオフィス。給湯室でコーヒーを入れていると、馬場さんが他の男性社員にヒソヒソと話しているのが耳に入ってきた。
私、白石くるみは、思わず持っていたマグカップを落としそうになった。
(あの瀬戸さんが、浮気!?)
爽やかで仕事もできて、誰にでも優しい完璧な営業マンの瀬戸さん。私は配属された時から彼に憧れ、虎視眈々《こしたんたん》と狙っていた。
でも、彼には「市役所勤めの真面目な奥さん」がいると聞いて、アプローチを控えていたのだ。
「それが、奥さんの親友ってのが、ヒョウ柄のミニスカ履いたド派手なギャルだったんだ。瀬戸のやつ、地味な奥さんに飽きて、刺激を求めてるんだな。奥さん、可哀想に……」
馬場さんの言葉に、私の中でパズルのピースがカチリとハマり、最良のシナリオが組み上がった。
(なるほど……。奥さんが堅物すぎて、夫婦関係はすっかり冷え切ってるんだ。だから、真逆の派手な女に引っかかっちゃったのね)
それなら、私にも絶対にチャンスがある。
そんな下品なギャルよりも、私みたいにゆるふわな巻き髪で、パステルカラーの服を着た『モテ系』女子の方が、最終的に瀬戸さんの本命ポジションに収まれるに決まっている。
ただ、まずは敵の戦力と現状を分析しなくちゃ。
私はその日の午後、外回りの営業の合間を縫って、瀬戸さんの奥さんが働いているという、豊春県緑川市の市役所へと足を運んだ。
「戸籍住民課……あ、いた」
窓口の奥に、ネームプレートをつけた瀬戸結衣さんの姿を見つけた。
ネイビーのカーディガンに、膝丈のタイトスカート。化粧っ気もほとんどなく、髪はきっちりと一つにまとめられている。
(うわぁ……聞いてた以上に地味。っていうか、オーラが暗い)
私は住民票の写しを請求するフリをして、わざと結衣さんの窓口へと向かった。
「あの、すみません。これ、お願いしたいんですけどぉ」
私が得意の上目遣いで、あざとかわいい声を意識して話しかけると、結衣さんは表情一つ変えずに書類を受け取った。
「はい。それでは、本人確認書類のご提示をお願いします」
冷たい。声のトーンが一定すぎて、まるで機械のようだ。
「あ、えっと、免許証でいいですかぁ?」
「結構です。……こちらの記入欄、番地が抜けております。正確にご記入ください」
「あ、はーい。……すみません、ペン貸してもらえますか?」
「備え付けのボールペンをご利用ください」
ピシャリと撥ね付けられ、私は思わずたじろいだ。隣のデスクにいる後輩らしき女の子が、怯えたような目で結衣さんを盗み見ているのがわかる。
(な、何この女……まさに『氷の窓口担当』って感じ。全然可愛げがない!)
手続きの数分間、結衣さんは一度も笑顔を見せることはなかった。ただ淡々と、正確に、無駄のない動きで事務処理をこなしていくだけだ。愛想というものが完全に欠落している。
(……勝った)
私は心の中で、確信とともにガッツポーズをした。
あんな機械みたいな冷たい奥さんが家にいたら、瀬戸さんだって息が詰まるに決まっている。刺激を求めて浮気したくなる気持ちもわかるというものだ。
でも、あのギャルは所詮『一時的な遊び』だ。私が瀬戸さんの本当の理解者になって、優しく包み込んであげれば、絶対に彼を奪える。
「お待たせいたしました。こちら、住民票の写しになります」
結衣さんから書類を受け取りながら、私は内心で冷たく笑った。
(瀬戸さんは、私がいただきますね。奥さん)
私は完璧なモテ系オフィスカジュアルのスカートを翻し、自信満々で市役所を後にした。




