第24話 七時間分の嫉妬
這々の体でマンションに帰り着き、玄関のドアを閉めた直後。
ピピピピピ。
健太郎さんのスマホのアラームが鳴り響いた。七時間の『スーパーソニアタイム』が終了した合図だ。
『あーあ、もう終わりかぁ。マジ楽しかった! じゃあね夫ちゃん、また今度!』
カチリ、と頭の奥で明確なスイッチが切り替わる感覚があった。
途端に、全身にドッと疲労感が押し寄せてくる。高いヒールを履き続けた足の痛み、締め付けの強い服の圧迫感、そして顔面を覆う厚化粧の重み。
「……はぁ、はぁっ……」
主導権を取り戻した私は、その場にへたり込みそうになった。
「結衣! 大丈夫か? お疲れ様」
健太郎さんが慌てて私の肩を支えてくれる。
私は荒い息を吐きながら、手元にある小さな紙袋を睨みつけた。デパートで、ソニアがおねだりして健太郎さんに買ってもらった、あの鮮やかなコーラルピンクのリップだ。
「……こんな派手な色、一生使わないのに」
私はその紙袋を乱暴にひったくると、リビングの引き出しの奥深くに押し込み、バンッ! と音を立てて閉めた。
怒りだった。
馬場さんに誤解されたことへの怒りも当然あるが、それ以上に、私の心を黒くドロドロと支配していたのは、強烈な『嫉妬』だった。
七時間。
七時間もの間、私はすぐそばにいる健太郎さんに、自分の言葉で話しかけることも、意思疎通もできなかった。
私が絶対に引き出せないような、彼の無邪気で楽しそうな笑顔。ソニアに向けられる甘い視線と、惜しみないプレゼント。それをただ特等席で見せつけられ続けるのは、拷問に近い時間だった。
「結衣、怒ってるよな。馬場のこと、月曜日に会社でなんとか俺から誤解を解くようにするから……」
健太郎さんが申し訳なさそうに眉を下げる。
違う。私が限界を迎えているのは、そんなことじゃない。
「健太郎さん」
私は低い声で彼の名前を呼ぶと、振り返りざまに、彼の胸ぐらを両手で強く掴んだ。
「えっ? ゆ、結衣?」
そのまま後ずさる彼を押し込むようにして、リビングのソファへと強引に倒れ込ませる。
私を見上げる健太郎さんの瞳に、驚きの色が浮かんだ。
無理もない。普段の私は、自分から彼を激しく求めるようなはしたない真似は絶対にしない。しかし、七時間分の我慢と、ソニアへの凄まじい嫉妬で、私の理性のタガは完全に外れきっていた。
ヒョウ柄のキャミソールからこぼれそうな胸元も、極端に短いショートパンツの露出も、今はどうでもよかった。ただ、彼が私の夫であることを、私自身の体で証明したかった。
私は彼の上に馬乗りになり、その逞しい肩にすがりつくように顔を埋めた。
「……結衣」
健太郎さんの戸惑っていた声が、ふっと甘く、優しい響きに変わる。
大きな手のひらが、私のむき出しの背中をそっと撫で上げた。
「寂しかった?」
耳元で囁かれたその優しい問いかけに、私の目からポロリと涙がこぼれ落ちた。
「……ええ、とっても」
私が震える声でそう答えると、健太郎さんは私の頭を抱き寄せ、深く、熱いキスを落としてきた。
濃いギャルメイクが涙で滲むのも構わず、私は彼にすがりついた。
健太郎さんの手が、私のヒョウ柄のキャミソールの肩紐をゆっくりと滑り落とす。ギャル服を完全に脱ぎ捨てるもどかしさすら耐えきれず、服を半分だけ肌に引っかけたままの、ひどく淫らで不器用な状態のまま、私たちは互いを激しく求め合った。
普段の計画的で理知的な営みなどそこにはなかった。ただ本能のままに、七時間の空白を埋めるように、何度も何度も互いの熱を確かめ合う。
「結衣……今日の結衣、すごく綺麗だ……」
彼の甘い吐息と情熱的な愛撫に、私の体は芯から溶かされ、自分でも聞いたことのないような高い声を上げて、ただひたすらに彼との繋がりに燃え上がっていった。
+++
どれほどの時間が経っただろうか。
外はすっかり暗くなり、部屋には静かな寝息と、シーツの擦れる音だけが響いていた。
私はメイクもボロボロになり、半分脱げかかったギャル服のまま、健太郎さんの腕の中にすっぽりと収まっていた。激しい嵐の後のような、心地よい疲労感と深い充足感が全身を満たしている。
「ふふっ……」
頭上から、健太郎さんの穏やかな笑い声が聞こえた。
「今日みたいな日もいいね。結衣がこんなに甘えてくれるなんて、スーパーソニアタイムのおかげかな」
彼の優しくも少しからかうようなトークに、私はカッと顔に熱を集めた。
確かに、ソニアへの嫉妬が私をここまで大胆にさせたのは事実だ。しかし、この疲労感と、馬場さんへの言い訳を考える今後のストレスを思えば、これ以上のリスクは絶対に冒せない。
私は健太郎さんの胸に顔をグリグリと押し付けながら、公務員としての威厳をかろうじて取り繕った声で宣言した。
「……スーパーソニアタイムは、しばらくお預けにします」
健太郎さんは「あはは、お手柔らかにね」と笑いながら、私をさらに強く抱きしめてくれた。
引き出しの奥に封印された明るいリップと、月曜日に待ち受ける社内での最悪の誤解。問題は山積みだが、今夜だけはこの温もりの中で、私はただの妻として深く眠りに落ちていった。




