第20話 パラパラ
(……終わった)
私は脳内で白目を剥き、崩れ落ちた。嫁としての社会的な死である。きっと芳江さんは顔を真っ赤にして怒り出し、「なんて破廉恥な! 公務員だと思って信用していたのに!」と私を罵倒するに違いない。
「ゆ、結衣さん……? どうしたの、そのお洋服。それに、お化粧も……」
芳江さんが目を白黒させていると、リビングの奥からズンッ! ドッ! と先ほどのユーロビートの重低音が漏れ聞こえてきた。健太郎さんがボリュームを下げきれていなかったのだ。
そのリズムを耳にした瞬間、芳江さんの表情が一変した。
「……あら? この曲……!」
怒るどころか、彼女の瞳がキラキラと輝き始めたのだ。
「懐かしい! これ、昔マハラジャで踊った曲じゃない!」
『えっ、お義母さん、この曲知ってんの!? マジで!?』
「知ってるも何も、私、お立ち台で扇子振ってブイブイいわせてたんだから!」
芳江さんは持っていた紙袋を玄関に放り投げると、靴を脱ぎ捨てて猛スピードでリビングへと突入していった。
「ちょっと母さん!? 何やってんの!」
健太郎さんが慌てふためく中、芳江さんはリビングのど真ん中に陣取り、見事なパラパラのステップを踏み始めた。
『うっひょー! お義母さんマジでバイブス高ぇー! アタシも負けないし!』
ソニアも歓声を上げ、芳江さんの隣に並んで激しく踊り出す。
「お嫁ちゃん、クラシックしか聴かない堅物かと思ってたけど、最高のノリじゃない! もっと腰入れて!」
『っしょ! お義母さん、キレッキレなんですけど! 夫ちゃんも踊ろー!』
「ええい、こうなったらヤケだ!」
健太郎さんも巻き込まれ、我が家のリビングは完全にカオスなディスコ会場と化した。
(誰か、夢だと言って……。私の義母が、私の体を使って踊るギャルと一緒に、マハラジャのステップを踏んでいるなんて……)
私は完全に思考を停止し、ただ虚無の精神状態でその光景を眺め続けるしかなかった。
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十数分後。
一通り踊り狂い、三人が息を切らしながらソファに座り込んだ頃。私は疲労困憊の極みに達していた。
「あー、楽しかった! 久しぶりにいい汗かいたわ」
芳江さんが額の汗をハンカチで拭いながら、満面の笑みを浮かべる。
『マジ最高だったー! お義母さん、超リスペクト!』
「ふふっ、お嫁ちゃんもなかなかやるじゃない。……そうだ、玄関に置いてきちゃったけど、これ!」
芳江さんは立ち上がり、玄関に放り投げた紙袋を持ってきた。
「実はこれ、駅前のブティックで自分用に買った服なの。ヒョウ柄のストールと、ビビッドピンクのカーディガンなんだけど……」
芳江さんが袋から取り出したのは、目がチカチカするような蛍光色と、激しいアニマル柄の布の塊だった。
「今日のお嫁ちゃんのノリを見たら、絶対に似合うと思って! プレゼントしちゃう!」
『マジ!? 超カワイイんですけど! お義母さん神!』
そーぽよは嬉々としてそのヒョウ柄のストールを首に巻き、ビビッドピンクのカーディガンを羽織った。元々着ているフリフリのミニスカートと相まって、もはやどこの国籍かわからないド派手なキメラが誕生した。
(……っ! また隠蔽しなければならない不適切なゴミ、いや、服が増えた……!)
先日、大河内さんに目撃されてしまったゴミ捨てのトラウマがフラッシュバックし、私は脳内で頭を抱えて呻いた。
「うん、やっぱり似合うわ! 大人しかったお嫁ちゃんが、ようやく私に心を開いてくれたみたいで嬉しい!」
芳江さんは私の手を両手でギュッと握り締めた。
「これからは、もっとフランクに接してちょうだいね! 今度は二人で、クラブ……じゃなくて、原宿にでもお買い物に行きましょうよ!」
『行く行くー! 食べ歩きしよ!』
その約束が交わされた直後だった。
ピピピピピ。
リビングのテーブルに置かれていたタイマーが鳴り響いた。一時間のソニアタイムが終了した合図だ。
『あ、もうこんな時間! お義母さん、まだまだゆっくりしていってねー』
その無責任な捨て台詞を最後に、カチリ、と頭の奥でスイッチが切り替わった。
「……っ」
途端に、全身にズシリとした疲労感が戻ってくる。激しく踊ったことによる筋肉の痛みと、首に巻き付くヒョウ柄ストールの暑苦しさ、そして顔面を覆う濃いギャルメイクの違和感。
主導権を取り戻した私は、ソファの上で息を呑んだ。
目の前には、満面の笑みを浮かべる義母がいる。
「結衣さん? どうかしたの、急におとなしくなっちゃって」
芳江さんが不思議そうに小首を傾げた。
「ほら、さっきみたいにもっとフランクに! これからは『お義母さん』じゃなくて、『芳江ママ』って呼んでくれてもいいのよ?」
「……よ、よしえ、ママ……どうも」
私は急に性格が変わったことで義母に怪しまれぬよう我慢してソニア風を装い、引き攣った声で、鸚鵡返しに呟くことしかできなかった。
隣では、健太郎さんが必死に吹き出すのを堪えて肩を震わせている。
公務員としての完璧な嫁のハードルは崩れ去った。しかし、代わりに「ノリノリでフランクなギャル嫁」という、私にとってはエベレストよりも高い新たなハードルが爆誕してしまったのだ。
(……もう、どうにでもなれ)
ヒョウ柄のストールに包まれながら、私は心の中で静かに、真っ白に燃え尽きていた。




