第13話 過激なストレッチ
豊春県緑川市の市役所。私は市民生活部・戸籍住民課の窓口で、極度の苦痛に耐えながら業務を行っていた。
「こちらの……書類に……ご記入を……お願いします……」
一文字発するごとに腹筋が攣りそうになり、書類を差し出す腕は油の切れた機械のようにカクン、カクンと動く。首を少し曲げるだけで激痛が走るため、能面のような無表情のまま、視線だけを動かして市民に対応していた。下の引き出しからファイルを取り出す動作など、もはや地獄の試練でしかない。
隣のデスクでは、新卒一年目の後輩、星草ララが、怯えきった小動物のような目で私を盗み見ている。
「あ、あの……瀬戸先輩。今日、なんだか一段と動きが機械的というか……私、何か先輩を怒らせるようなこと、しちゃいましたか……?」
ララが震える声で尋ねてきた。彼女はただでさえ私のことを「怒らせたらヤバいお局予備軍」として恐れているのだ。
(違うの、星草さん。怒っているわけじゃなくて、極度の筋肉痛なの! 笑顔を作ろうとすると顔の筋肉が引き裂かれそうになるのよ!)
私は心の中で必死に弁解したが、痛みのせいで口から出たのは、ひどく冷徹な響きの言葉だった。
「……業務に、私情は挟みません。書類のチェックを、続けてください……」
「ひっ、はいぃっ! すみません!」
ララは半泣きになりながら、猛烈なスピードで自分のパソコンに向かい始めた。
(ああ……また後輩に無駄な恐怖を与えてしまった……)
私はスーツの下から微かに漂う湿布の匂いを気にしながら、己の肉体を限界まで酷使した脳内の親友を、今日一日ずっと恨み続けることになった。
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それから数日後。
私の激しい筋肉痛がようやく癒え、市役所での窓口業務もロボットのような不自然な動きから解放された頃だった。
今度は、健太郎さんがリビングで顔をしかめていた。
「……うっ、イタタ……」
腰に手を当てて、ぎこちない動作で立ち上がろうとしている。どうやら、連日の外回り営業とデスクワークの疲労が蓄積し、腰を痛めてしまったらしい。
「健太郎さん、大丈夫ですか? 無理をせず、今日は整形外科を受診した方が……」
私が心配して声をかけたその時だった。
〈ちょっと待ったぁ! 腰痛なら、アタシに任せな!〉
脳内で、そーぽよが自信満々に声を張り上げた。
(……絶対に嫌です。あなたの言う『運動』のおかげで、私がどれほどの地獄を見たと思っているんですか)
〈いやいや、今回は激しいダンスじゃなくて、超効くストレッチだから! マジで一瞬で治るから! 夫ちゃんが苦しんでるの、放っておく気!?〉
親友の言葉に、私はぐっと言葉を詰まらせた。確かに、痛みを堪えている健太郎さんを見るのは辛い。
「……あの、健太郎さん。ソニアが、腰痛に効くストレッチを知っているから、やらせてほしいと……」
「えっ? そーぽよちゃんが? ……うーん、痛みが引くなら、お願いしようかな」
健太郎さんが藁にも縋る思いで頷いた瞬間、私は深い絶望とともに主導権を明け渡した。
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『っしょー! アタシのゴッドハンドで一発で治してやんよ! 夫ちゃん、うつ伏せになって!』
健太郎さんが言われるがままにリビングのラグの上にうつ伏せになると、ソニアは躊躇なく彼の腰の上に跨った。
(ちょ、ちょっと! 何をしているんですか! そんな破廉恥な体勢、絶対にダメです!)
私の脳内での絶叫を完全に無視して、ソニアは健太郎さんの背中にピタリと上半身を密着させ、彼の両腕を後ろからグイッと引っ張り上げた。
『よーし、息吐いてー! いーち、にーい!』
「お、おおっ……ちょ、そーぽよちゃん、それちょっと……!」
ソニアの柔らかな胸の感触を、背中にダイレクトに押し付けられている健太郎さんの声が微かに上ずった。
意識と五感を完全に共有している私にも、健太郎さんの背中の熱や、筋肉の逞しさ、そして密着する肌と肌の生々しい感覚が容赦なく流れ込んでくる。
(ひぃっ……! すぐに離れなさい! 今はソニアであって私ではないんですから。妻として、こんなはしたない真似は許しません!)
『まだまだー! 次は仰向け《あおむけ》!』
そーぽよは健太郎さんを仰向けにひっくり返すと、今度は彼の片足を高く持ち上げ、自分の胸元に抱え込むようにして股関節を深く曲げさせた。必然的に、そーぽよの顔と健太郎さんの顔が至近距離まで近づく。
「いた、痛い痛い! でも……あ、あれ? なんか腰の奥の重いのが、スッと抜けたような……?」
『っしょ? アタシのストレッチ、マジで効くんだから!』
確かにストレッチの効果は絶大だったようだが、リビングの空気は徐々に別の意味で危険なものになりつつあった。
過激な密着体勢の連続により、健太郎さんの顔はすっかり赤くなり、呼吸も荒くなっている。敏腕営業マンとしての冷静さはどこへやら、目の前で自分の妻の顔をしたギャルに体を弄られ、完全に翻弄されていた。
そして、それは私も同じだった。
共有される視覚からは、健太郎さんの色気のある苦悶の表情が間近で見え、触覚からは彼の体温と心音がドクドクと伝わってくる。
(……っ、ああ……)
体の奥底から、どうしようもない熱が湧き上がってくるのを感じた。理性が溶け出し、下腹部が甘く痺れる。




