第12話 爆音クラブダンス
休日の午後。
最近、事務仕事ばかりで慢性的な運動不足を感じていた私は、リビングにヨガマットを敷き、動きやすいスウェットに着替えていた。
「結衣、今日はヨガで汗をかくの?」
ソファでコーヒーを飲んでいた健太郎さんが、爽やかな笑顔で尋ねてくる。
「ええ。基礎代謝の向上と、適度なストレッチは社会人としての体調管理に不可欠ですから。まずはラジオ体操でしっかりと各関節を伸ばし、それから基本のヨガポーズで……」
〈ちょっと待ったぁ!〉
脳内に、鼓膜を突き破るような大音量の声が響いた。
(……ソニア。静かにしてください。私は今から神聖な自己研鑽の時間を始めるところです)
〈ラジオ体操とかヨガとか、マジで地味すぎ! お年寄りの集まりじゃないんだからさ! そんなんじゃ全然テンション上がんないっしょ! 運動不足解消なら、アタシに任せな!〉
(却下します。あなたに主導権を任せたら、またろくでもないことになりますから)
〈お願い! 一時間だけ! 最近動画サイトで超流行ってるヤバいダンスがあるから、それ一緒にやろうよ! 絶対爆汗かいて痩せるし!〉
ギャーギャーと脳内で騒ぎ立てる親友の凄まじい執念に、私は思わずこめかみを強く揉み込んだ。
「……健太郎さん。ソニアが、どうしても自分のオススメの運動をしたいと騒いでおりまして」
「あはは、そーぽよちゃんらしいね。いいよ、僕もそーぽよちゃんのオススメ、見てみたいな」
健太郎さんが面白がってあっさりと許可を出してしまう。私は深く、本当に深いため息をつき、渋々ソニアタイムのスイッチを入れた。
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カチリと頭の奥で主導権が切り替わった瞬間、私の体は敷いたばかりのヨガマットを蹴り飛ばし、テレビの前に陣取った。
『っしゃー! アタシのターンきたこれ!』
そしてリモコンを乱暴に操作して動画サイトを開くと、重低音が響き渡る、目に痛いほどカラフルな照明が点滅するクラブ系の激しいダンス動画を再生し始めたのだ。
『夫ちゃん、見てて! これが最新のバイブスだから!』
「おお、なんかすごそうだね!」
アップテンポな音楽に合わせて、私の体は勝手に、そして激しくステップを刻み始めた。腕を大きく振り回し、深く腰を落とし、信じられないスピードで跳ね回る。
(ちょっと! 待って、ストップ! 私のデスクワーク用の腰はそんな角度に曲がらないわ!)
脳内でどれだけ私が絶叫しても、ソニアに乗っ取られた右足は無慈悲に高く跳ね上がった。
『ひゃっほー! マジ楽しい! ほら夫ちゃんも一緒に!』
(膝! 膝の関節が悲鳴を上げている! アキレス腱が、アキレス腱が切れるってば!)
私が恐怖のあまり脳内で涙を流しているというのに、目の前の健太郎さんは休日の良き夫の洗練された顔を完全に崩し、手を叩いて大爆笑している。
「あははは! そーぽよちゃん、キレッキレだね! すごいすごい!」
『っしょ! もっとテンポ上げてくよー!』
健太郎さんに手拍子で応援され、ソニアはさらに調子に乗って激しい振り付けに突入していく。
息は上がり、滝のような汗が流れ落ちる。私は意識だけの金縛り状態の中で、明日訪れるであろう確実な肉体の破滅を予感して、ただひたすらに絶望していた。
+++
翌朝。
「……っ、痛ぁ……」
ベッドから起き上がろうとした瞬間、全身に走った激痛に私は低いうめき声を上げた。
指先から足の裏、首筋から太ももに至るまで、ありとあらゆる筋肉がズキズキと悲鳴を上げている。寝返りを打つことすら困難な、極限の全身筋肉痛だった。
「結衣、大丈夫? 顔色が真っ青だよ」
すでに起きてスーツに着替えを済ませていた健太郎さんが、心配そうに覗き込んでくる。
「……健太郎、さん……」
私は普段の完璧な妻としてのプライドなど完全に投げ捨てて、情けない涙目で彼を見上げた。
「……湿布、貼って……」
「あはは、やっぱり。昨日のそーぽよちゃんのダンス、全力すぎたもんね」
健太郎さんは声を出して笑いながらも、救急箱から湿布を取り出し、私の背中や腰、ふくらはぎに丁寧に貼ってくれた。彼の手の温もりとヒンヤリとした湿布の感覚に少しだけ安堵するが、焼け付くような痛みはまったく引かない。
〈ゆいぽん、マジごめん……。アタシもこんなにダメージくると思わなくて……〉
(……一週間、おやつ抜きです。それから来週の休日は徹底的に座禅を組みますからね)
脳内でシュンとしている元凶に冷たく言い渡し、私は関節を曲げないよう、まるでロボットのようにカクカクとした不自然な動きで仕事用のスーツに着替えた。




