第二十五話
当たり一体に重苦しい空気が流れる。この空気は身体で体感出来るものではない。しかし心がその重さを感じていた。
その空気を察してかホームの下から江森が顔を出す。
「皆さん。大丈夫ですか?」
それにすぐ答える者はいない。
高本は少し小さくため息をついてから江森の質問に答える。
「……ダメだな。今後どうしていけばいいのか未来が見えない」
高本の声色はやはり重い。
「そう、ですか。……帆秋さんは何か方法を存じていたりしないですか?」
江森は話の対象を変える。
「うーん……。どうかしら。あると言えばあるし、ないと言えばないわ」
「どっち付かずですね」
「確証が持てないのよ。だからさっきも言わなかったんだけど」
「……一応それをお聞きしてもいいですか?」
釜石が静かに声を上げる。
「ええ。と言っても単純よ。呪文を言えばいいの」
「……じゅ、もん?」
釜石は想像を遥か上回る解答に唖然とする。
「それは、ふざけているのか? それとも本気か?」
怒り半分、期待半分と言った感じで高本は帆秋を睨む。
それに対して帆秋は目線を落とす。
どんな時でも凛としていた帆秋だったが、ここで目線を下げたのは意外だ。やはり問い詰められても顔を挙げていられたのは自信のある解答を持っていたからなのだろうなと釜石は感じ取っていた。
「と、とりあえず聞くだけ聞いてみましょうよ」
釜石は苦笑いしながら高本と帆秋の間に入る。
「まあ、そうね」
帆秋はそう一言発して気を取り直す。
「何で確信を持って話せないかというと観月駅の唯一の脱出者が意識を取り戻していないからなのよ。私が確信を持っているのはここまでなの」
「ここから出る事が出来るのは間違いないが、出方までは分からないって事か」
高本の要約を帆秋は肯定する。
「そう」
「その脱出者って誰なんですか?」
釜石は帆秋に追加で質問を投げかける。
「分からない。でも確か居町高校の生徒だったはずよ」
「居町高校の生徒、か。それなら!」
そう言って高本は先程から静かにしている大里を見る。その高本の視線に釣られて他のメンバーも大里に目を注いだ。
その視線に大里はドギマギしながらも口を開く。
「確かに帆秋さんの仰っている人物について私も心当たりがあります」
「なら」
大里の反応に高本は頬を少しだけ緩ませる。
「……ですがあれ以来私も彼女と話をしたことがないんです。なので申し訳ないのですが何もお話する事が出来ません」
そう言って大里は俯く。それに対して高本は、「まあ、仕方ないな」と言って天を仰いだ。
その時に大里はある事に気付く。
「あれ? 高本さん」
「なんだ?」
「私がトイレに行く前に私が渡したノートはどうなっていますか?」
それを聞いて高本はハッとする。
そして慌ててカバンの中に折りたたまれていたノートを取り出した。
「それは何?」
突然登場したこのアイテムに帆秋は首を傾げる。
「これは駅長室を探索している時に見つけたんだよ。そういや忘れていた」
次の調査の取っ掛かりを見つけた高本の目に再び光が灯る。
この中には何が書かれているか分からない。もしかすると有益な情報は何も書かれていないのかもしれない。
それでも何かやる事があるというだけでこの絶望的な状況を忘れられそうな気がした。
「……開けるぞ」
高本はぞろぞろと集まってきたメンバーを見て確認する。
それに対して各々の程度で頷いた。
高本は一度唾を飲んだ後、年季の入ったノートが破れないように優しくゆっくりと開いた。
その一ページ目には大きく二次関数のグラフが書かれていた。その横には小さく式も記載されている。
「なんだこれは?」
そう呟いて次のページを捲る。しかし記載されているにはただの二次関数だ。高本は更にページを一枚捲る。
そしてもう一枚。
もう一枚。
もう一枚。
しかし何枚捲っても現れるのは二次関数。
肩透かしを食らい沸々と湧き上がる怒りを必死で押さえつける。
もしこれが本当に何も書いていなければかなり性の悪い悪戯だ。
期待させておいて何もなし。
ページを捲るにつれてその感情だけが頭を支配し始めていた。
徐々に荒くページを捲る高本の前に一本の細く白い腕が翳される。高本はその腕の主を見るために顔を上げる。
そこには悲しそうな表情をした大里がいた。
「なんだ?」
「……あの、もう少し優しく捲れませんか? でないと破れてしまいます」
「だが……」
高本が反論しようとした時に江森がそれを遮る。
「この状況で冷静になれないのはよくわかりますが一度心を落ち着かせませんか? ページを捲っても何のヒントも出て来ないせいで焦る気持ちは分かりますが」
優しく、けれども迫力のある声で江森は高本を諭す。
「すまん。頭に血が上っていた」
自身の状況を客観的に想像して気持ちをクールダウンさせる。
「少しそれをお借りしても?」
そう言って江森は手を伸ばす。高本はそれを承諾して無言でそのノートを手渡した。
江森はそれを受け取った後、高本が開いた方とは逆側からノートを開く。
そこには何か文字が羅列されていた。
「やはり……。ありましたよ」
「そうか。そんなところに……。これに気付けないとは情けないな」
高本は自虐気味に口を開いた。
しかし江森はそんな高本を励ますように肩を叩く。
「この切迫した状況では気持ちが荒ぶるのも分かります。むしろ退路が見つからない今冷静でいる方が難しいでしょう。ですが安心してください。そういうために年長組がいますので」
江森は優しい笑顔を浮かべて高本に声を掛けた。
「そう、だな。……感謝する」
江森に釣られて高本も小さく笑みをこぼした。
「それでそこにはなんて書いているんだ?」
そう言われて江森はノートに目を走らせる。
数分かけて一通り読み終えたのか江森は顔を上げる。しかしその表情にはどこか影があるように高本は感じた。
「……あ、はい。どうやらこれは五年前に書かれたものみたいですね。その時にこの観月駅に来てしまった方が書き残したものみたいですね」
「なるほどな。それで肝心な手掛かりは?」
高本がそう尋ねると江森は少し首を捻る。
「それが何だかよくわからないんです」
「よくわからない?」
「ええ。一度見てもらえますか?」
「ああ」
高本はそう返事をして江森からノートを預かる。ぞして江森が指を差す個所に目を走らせて朗読する。
そこにはこう記載されていた。
「………………………………。
それにしてもやつはかなり強いみたいだ。一緒にいた格闘技経験者が殺された。勘弁してほしい。
観月駅に入った所から出ようとしてもコンクリートで固められたみたいに固い。恐らくここからは出られないのだろう。隣の駅に向かった連中は出口を見つけたかな。
くそっ! ダメだった。隣の駅にもいけないみたいだ。それに帰ってきたこいつ以外みんなやられた。それにもう出口がない。どうすれば……。
黒田が何かを知っているようだった。でもよくわからない。何であいつにステーションって言えば助かるんだ? 呪文にしてもお粗末すぎるだろ」
ここから先の記載はない。何回かに分けて書き込んでいるようで段落ごとに一行分ずつすき間が開いていた。
一通り読んだ高本は江森にそのノートを手渡しながら声を掛ける。
「確かにな。なぜステーションなんだ?」
「そうなんです。小鳥遊さんはこの言葉に何か因縁があるのでしょうか?」
大里は二人の話をそこまで聞いて自身の思考に集中する。
このノートにもステーションという言葉が出てきた。そして今日病院に行った時も芽衣がそう呟いていた。
このノートに出てきた黒田は恐らく芽衣の事だろう。つまり芽衣はその言葉を知っていたという事だ。
そこまで考えて大里はもう一度黒田の言葉を頭の中で反復する。
「……すて、ィ……し……ォん」
芽衣は確かにこう言っていたのだ。
「……すてィ……し……ォん」
「……すてィ……し…ォん」
「……すてィ……しォん」
「……すてィ、しォん」
ここまで来て大里はとある事に気付く。それを確認するために隣にいた帆秋に小声で尋ねる。
「すみません」
「はい?」
「一つお伺いしたいのですが、小鳥遊さんの名前って知っていますか?」
それを聞いた帆秋は、「もしかして何かわかった?」と尋ねる。
「恐らく」
大里は帆秋に短く言葉を返した。それを聞いて帆秋は一度頷いた後、聞き間違えのないようゆっくりとした口調でその名前を告げた。
「小鳥遊、詩音、よ」




