第二十二話
階段裏に隠れた三人は必死で息を殺す。
間違いなく小鳥遊は近付いてきている。この空気の重さが三人の恐怖を煽っていた。
その時に一つのどたどたと荒い足音が聞こえてくる。その足音の主は息を切らしながらも必死でここまで走ってきたようで、ここまで聞こえるほど荒い呼吸をしていた。
釜石は荻野と帆秋にはここから動かないようにするように伝えて少しだけその様子を覗く。
その人物は手にライトを持っており必死にそのホームを上ろうとしていた。しかし背の低いためかホームに中々上れない。その途中でその人の顔が映し出される。
血の気の引いたその顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっており、車両内で見せていた余裕は一切消え去っていた。
釜石は彼を助けに行こうか行かないか一瞬迷う。
次の瞬間、あの重苦しい雰囲気が現れたのを肌で感じた。この一瞬の判断の迷いに感謝しながらバレないように姿を再び階段裏に潜ませる。
そしてそこにいる荻野と帆秋に、「もう近くにいる」と手を触って伝える。
はっきりと伝わるかどうか釜石は不安だったが、二人にはなんとなく伝わったようで、それぞれからツンツンと突かれた。
三人の意思疎通が取れた所で釜石は小鳥遊の動向に意識を向ける。
堅田は無事なのだろうか。そんな心配をしながらこの暗闇で唯一頼りになる聴覚に意識を委ねた。
暫く無音が続く。
堅田は逃げ切れたのか。それとも嵐の前の静けさか。
釜石はそんな事を考えているとその静けさを割くように、「ぎゃああーー!!」という声がホーム内に響く。
そしてふたたび沈黙が訪れた。
堅田は無事なのだろうか。いや生きている可能性の方が低いだろう。そんな不安を胸に抱えながら息を潜める。
もしかしたら次はここに来るかもしれない。ここがバレれば三人とも殺されてしまうのだろうか。そんな恐怖と戦いながら叫びたい気持ちを堪える。
その気持ちが込み上げてはまた我慢するという繰り返しを飽きることなく何周も繰り返す。それでも沈黙は続く。
もう小鳥遊は何処かに行ったのだろうか。それともまだここにいるのだろうか。
もし判断を間違えば迎えにくるのは”死”だ。
その判断を間違えないように身体を動かしたい気持ちを抑えて静かに深呼吸した。
その最中にズルズルと鈍い音が微かに聞こえてくる。釜石は慌てて深呼吸を中断する。
そしてズルズルという音に耳を澄ませる。
徐々に遠くなるその音はここから離れていっている事を示しているのだろう。しかし、油断して少しでも音を立てれば一瞬でこちらに向かってくる可能性もある。
その緊張感に身体を硬直させながら小鳥遊が堅田を引きずっている姿を想像し、身震いさせる。
いっそこのまま眠ってしまえればどれほど楽だろうかと感じながら小鳥遊を警戒し続けた。
小鳥遊がどこかに行ってからもう数十分は経過しただろうか。そう思い身体の緊張を解きながらも聴覚だけは最大限機能させる。
そのセンサーに反応するものは何もない。
そこまで分かった所で携帯電話の電源を入れる。
それによって辺りが微かに照らされる。その様子を見て帆秋が釜石に声を掛ける。
「もう大丈夫なのかしら?」
「はい。恐らく。どこかに行ってから時間も経ちましたし、それに周囲に音を発するものもなさそうなので」
「そう。助かったわ」
帆秋はそう言って立ち上がる。
「ではこの後どうしますか?」
自身の携帯電話のライトを点灯させた荻野は周囲を照らしながら釜石に尋ねる。それを聞いた釜石は少し考えて返事をする。
「とりあえずこのまま上に上がろうかと思います。もしかすると林さん達がまた上の階にいるかもしれない」
「分かりました。ではそうしましょう」
釜石はそれを確認して行く先を照らしながらゆっくりと足を運ぶ。
その途中で釜石は先程まで堅田がいた所をライトで照らす。その様子を不思議に感じた荻野が釜石に尋ねる。
「どうかしましたか?」
「あ、いや。さっきまでここに堅田さんがいたんですが……」
荻野に返事をしながら周囲を捜索するがそれでも辺りには何もない。堅田はどこかに逃げ延びているか何処かに隠れていたりしないだろうか。そんな事を考えながら覗き込んだのだが、結果的には万に一つの可能性が更に低くなった気がした。
「とりあえず先に行きましょう。彼も何処か近くにいるかもしれないわ」
「……確かにそうですね」
帆秋の意見に頷いて釜石は再び歩き始める。
普段ならば歩いて一分もかからないであろう距離を数分掛けて周囲を警戒しながら歩く。
その姿勢が功を奏したのか特に怪しい気配は今の所感じない。
しかし階段は死角も多い。注意しなければ殺されてしまうかもしれない。
そう自分に言い聞かせながら釜石は上の階が見える位置まで到着した。
釜石は帆秋と荻野を見る。二人には言葉を発しなかったが、釜石が何を言いたいのかを理解した二人は何も言わず頷いた。
二人の了承を得た釜石はその階段の一段目に足をかける。そして二段目に足をかけようとした時に誰かにスーツの袖を掴まれる。
「おわっと」
素っ頓狂な声を上げた釜石はその袖を掴んでいる人の顔を見る。
それは荻野だった。その表情は恐怖や絶望に満ちている。
そして荻野は右手で自分のスーツの袖を、左手でライトを持ちながら一点を凝視している。
「あ、あれ」
そう言って荻野は震えた指で凝視している先を指す。
釜石もそこに目を向けるとそこには堅田が倒れていた。
「堅田さん、……なのか」
その様子に固まってしまった二人を差し置いて帆秋が堅田の傍に寄り首元を触れる。
数秒間帆秋は堅田の首に手を置いていたのだが、何も言わずスッと立ち上がり釜石と荻野に向かって首を横に振った。
「……そうか。ダメだったか」
独り言を呟くかのように小さくそう言って少しだけ目を閉じる。この短時間では黙祷にすらなりはしないだろう。それでも釜石にはそれをしないという選択肢は存在しなかった。
堅田を置いていくのは少し寂しい気もするがそれよりも今は自分の身が大事である。もしかすると次にあの姿になるのは自分達かもしれないのだ。
そんな事を想像して釜石は再び階段を上り始めた。
上の階に上がると釜石は自分達を中心にして周囲を照らしていく。トイレが一番近くに設置されており、少し遠くには駅長室が存在しているのが照らし出された。
その様子を確認して釜石は小声で帆秋と荻野に話しかける。
「ここからどうしましょうか?」
「改札を出たら外に繋がっているんじゃないですか?」
「いや、どうだろう。流石に出入口は閉ざしていると思いますが……」
「それだったら駅長室とかならなんかありますかね」
「駅長室、ですか。……なるほど。俺はいいと思います」
「まあ、確かに何かはあるかもね」
最後に帆秋の意見を聞いて次の行き先を決めてから三人は出来るだけ足音を鳴らさぬように、しかし早足で駅長室へと向かう。
頼りない光が目の前の道を照らす。
その光がフッと揺れた時、再びあの気配がこちらに向かっていると感じた。
「近い!」
そう感じた釜石は今まで戻ってきた道を引き返すように走り出す。最後尾にいた帆秋も釜石の動きに反応して走り始めた。しかし釜石達と異なり荻野は一歩出遅れる。
流石に昔陸上で走っていたとはいえ、ブランク期間を加味するとずっとスポーツをしていた男性には敵わない。
荻野はそう思いながらも自分の持つライトがギリギリ届く程度の位置にいる釜石を追いかけながら走る。
しかし最近は動かしていない筋肉は一日の仕事の疲れと先程から走っている疲労とが合わさって思うように動かない。
それでも荻野は懸命に足を動かす。更に加速する釜石に追いつこうともう一段階ギアを上げた時、上限を迎えた足に引っ掛かり荻野は激しく転倒した。
「痛っ!!」
荻野の声に反応した釜石が立ち止まり振り返る。
「荻野さん! 大丈夫ですか!?」
荻野はそんな釜石を叱責する。
「早く行ってください!」
「そんな…………」
釜石は後悔した顔で立ち上がろうとしている荻野を見るが、目の前に走ってきている小鳥遊が微かに視界に入る。それ以上言葉を続ける事はせず、最後に一言、「すまない」と言い残して釜石は先に走る帆秋の所まで全速力で駆け出した。
帆秋は途中に設置されていたトイレの前で釜石を待機していた。そしてここへ入れといわんばかりに釜石の目の前で入って見せる。
釜石の目には帆秋が一瞬消えたかのように見えた。ここからでは見えないが奥まった所にトイレが設置されているようだ。
そう思った釜石は帆秋が消えた通路へと足を進めた。
その先で帆秋がライトを照らし、ここへ来るように釜石に促す。釜石はそれに従って一番奥にいる帆秋の所まで駆け寄る。
「こんな所でどうしたんですか? 早くどこかに隠れないと」
「ここに隠れましょう」
そう言って帆秋はどこかに指を差す。それにつられて釜石も一緒に頭を動かす。その指差すものが視界に映った時、自分達が次にどこへ向かおうとしているのかに気付いた。
「えっ。ここに入るのか」
釜石の目の前には女子トイレのマークがプリントされた表示が存在していた。釜石はそれに躊躇う様子を見せる。
しかしその様子に帆秋は険しい表情をして釜石の背中をパンッと叩く。
「つべこべ言わず入る!」
帆秋はそう言って躊躇っていた釜石の手を取り女子トイレへと侵入する。
そしてその中をライトで照らしその構造を急いで確認する。
そうして何かを理解した帆秋は掃除用具が入っている所を開けて何かの細工をした後、「さあ。ここに入るのよ」といって女子トイレの一番奥の個室の扉を開けていた。
未だに小鳥遊の気配は消えない。
その重く陰湿な気配を恨みながら釜石と帆秋はその個室へと入っていった。




