第十九話
釜石は帆秋を信用出来るかどうかは置いておいてこの非日常の中では日常の知識ではなく非日常の知識が必要だ。
そう感じた釜石は帆秋にもう一つ質問を投げかける。
「帆秋さん。観月駅の幽霊については分かりました。そこでもう一つお伺いしたいのですが、今回の俺達のように観月駅の幽霊の事件に巻き込まれた人っているんですか?」
それを聞いた帆秋は、「ええ」と言葉を返す。しかし表情を曇らせて、「ただ」と付け加えた。
「確かに知ってはいるわ。でも、あんまり調査が出来ていないのよ。ただ出てきた人がいるという事だけね。
一応ネット界隈では、何か抜け道から抜け出したんじゃないか、とか、呪文でもあったんじゃないか、とか噂されているわ。でも、確かな情報ではないしあまり鵜呑みにしないでね」
オカルトサイトの運営者の言う事などいまいち信用出来ないが、分からないと言う事は本当に分からないのだろうと釜石は判断した。
「じゃあここからどう出ましょうか?」
「……うーん。少しは自分で考えてみてはどうかしら。私だって今まで扱ってきたデータを色々と振り返って調査していたのよ。
あなたも頭がいいんだから少しくらい考えてね。人に意見を仰いでいるうちは結局その人の真似事でしかないんだから」
そう言われて釜石は社会人一年目の時の事を思い出す。あの時も今のように自分で思考する事なく他人に頼ってばかりで怒られていた。
ある程度慣れてきた日常の中では自信を見せる事が出来てもこのように非日常に投げ込まれると初心に戻ってしまう自身の未熟さを痛感した。
釜石は自身の反省を胸に刻んで、「帆秋さん。ありがとうございます」と言って頭の中で様々な可能性を探り始めた。
帆秋との会話を終えて自分なりの方法を試行錯誤している釜石の所に堅田がゆっくりと歩いてくる。
それを視認した釜石は堅田に、「どうしましたか?」と話しかけた。
「釜石。すまない。少し一緒についてきてくれないか?」
「え? どこにです?」
「……小便」
「ああ、そういうことですか。でも別に一人で行って上ってこれなくなったとしても上から引き上げますので大丈夫ですよ?」
「あ、いや!」
釜石の気遣いを堅田はすぐに否定する。そして先程よりも小声で言葉を続ける。
「……電車に登れない事を心配しているんじゃない」
「じゃあ何を……」
ここまで言って釜石はようやく気付いた。
そうか。この男は先程の話を怖がっているのだ。
そう考えついた釜石はそれ以上堅田に追及せず堅田を連れて電車の開閉口に向かった。
「皆さん。すみませんが今から少し外に出ます。もし何かあれば大声でお願いします」
そう言い残して電車から外へと飛び降りた。
堅田も無言で釜石の後についていった。
初めて体感する異質な空気に嫌悪感を露わにしながらも電車の中から見えない位置まで歩く。
「ここらへんでいいんじゃないですか?」
「ああ、そうだな」
限界まで迎えていたのであろう堅田は釜石が提案する前からズボンのチャックを下ろし準備していた。
電車から漏れる微かな光を頼りに釜石は用を足す堅田の警護をする。
とは言っても何かあるわけではない。
どうして堅田は怖がっているのかを不思議に思いながら釜石は待機していた。
用を足し終えた堅田は素早く戻る準備を始める。釜石にはそれが肉食動物から逃げる草食動物のしぐさとかぶって見えた。
そして準備を終えるとそそくさと元居た車両へと足を進めた。
「堅田さん。そんなに急がなくてもいいんじゃないですか?」
軽い気持ちで釜石は堅田に声を掛ける。しかし、それが堅田の癪に触ったのか怒った表情を見せる。
「そんな事は何も知らないから言えるんだよ」
「…………」
釜石は堅田が吐き捨てた言葉の意味を考えながら荻野と帆秋が待つ車両に歩みを進める。
しかし、考える事など意味はないと言わんばかりに、ペタ。ペタ。という素足でコンクリートの上を歩く音を鳴らしながら何かが近付いてきているのを釜石と堅田は感じた。
それに対して堅田は酷く怯え始める。そしてその恐怖から逃げるために我先にと目的の車両に走り出す。
釜石はその奇行を理解出来なかったが、堅田がこれほど怯えるのには何かあるのだろうと思い堅田の後を追いかけた。
目的の車両の開閉口から必死でよじ登ろうとする堅田に対して釜石は落ち着かせるように話しかける。
「堅田さん。どうかしましたか?」
「奴が来た!」
「奴って……」
「いいから早く上げろ!」
「え? はい、わか……」
「早く!!」
釜石は小さくため息をついてから叫ぶ堅田の臀部を支えて持ち上げる。すると堅田は支えた釜石を蹴り飛ばしながら車内に入っていった。
それに対して釜石は多少の怒りを感じながらも自身の心を押し殺して車両内に乗り込む。
車両は一方に体重を掛けた影響で少し左右に揺らしながら二人を迎い入れた。
堅田の通常とは異なる反応を見た荻野は不安そうに釜石に尋ねる。
「釜石さん。堅田さんはどうしてしまったんですか?」
「わかりません。ですが、何やら人の足音が聞こえてから急に錯乱してしまったみたいで」
「人の足音?」
荻野が不思議そうにそう呟くと、帆秋が血相を変えて皆に話しかける。
「もしかするとそれは小鳥遊さんかも知れないわ」
「小鳥遊さん……? それってさっきの事件で登場した人ですよね?」
死んだはずの人間がいると言う帆秋の話を不思議に思った釜石は聞き返した。
「そうよ。でも、オカルト界隈では小鳥遊さんは実は亡霊として存在していて観月駅に来た人を呪い殺すと言われているの」
「えっ? でもここ観月駅ではないですよね?」
「……ごめんなさい。その理由はわからないわ。でも、とりあえず隠れましょう。この椅子を影にして」
そう言って林達と開けた扉側の設置されていた椅子を陰に帆秋は隠れた。錯乱している堅田は我先にと空いている椅子の陰を奪う。
釜石と荻野はその様子を尻目に空いている椅子の陰にそれぞれ隠れ始めた。
ペタ。ペタ。という音が近付いてくる。
それだけでなく、何か不穏で不気味な雰囲気が近付いてきているのを感じた。
堅田を除く三人は息を飲んで外の様子を伺う。一方で堅田は歯をガタガタと言わせながら椅子の陰で震えていた。
この車両の付近まで来たのだろうか?
そう思わせるほど強い気配と足音が車両内にも鳴り響く。
その気配を感じ、外の様子を伺っていた三人は椅子の陰に身体を隠す。覗き込まれれば一瞬で見つかってしまうお粗末な隠れ場所に不安を抱きながらも見つからないようにただひたすらに祈る。
一体この車体の外には何がいるのか。堅田が怯えるほどの存在とは何なのか。そんな小さな好奇心を押し殺して椅子に身体を寄せていた。
暫くしてその祈りが届いたのかその気配は次第に薄れていく。
そして裸足で歩く事がトラウマになりそうなペタ。ペタ。という足音も遠ざかっているようにも感じた。
周りではその結果に喜びの雰囲気が流れて始めていたが釜石は油断する事なくその音に耳を傾ける。
遠くではまだ微かにペタペタという足音が聞こえる気がする。そうして耳を澄ませていると堅田が釜石の肩をガシッと掴む。
「ほら、な。何か変な奴がいただろ? あんな気配人間が出せるはずがない」
比較的落ち着いてきているようだがまだそわそわしている。
震えている堅田の手を見ながら、「そうだな」と優しく微笑みかける。
そしてその手を静かに払い再度足音に耳を澄ませた。
しかし、その足音はもう聞こえない。
一瞬聞き逃したのかと思った釜石は再度車両の壁に耳をつけて耳を澄ます。しかし、その足音は再度聞こえる事はなかった。
一瞬耳を離しただけで音が聞こえなくなるほど距離は離れていないと感じていた釜石はその事実に不思議そうにしている。
しかし、あの”何か”が発していた気配はもうない。その事実だけを信じ足音が突然消えた事には目を向けないように意識した。
その時少し落ち着きを取り戻した堅田が、「少し外の様子を確認してみないか?」と提案する。
「いや、やめておいた方がいいと思うが……」
釜石は堅田の提案に対して柔らかく否定した。
しかし、それに対して帆秋は自身の意見を話し始める。
「私は外の様子を確認した方がいいと思うわ。あんな得体の知れないものを放置したままじゃ気を休める事が出来ないでしょ?」
外に痕跡を探しに行く方が危険じゃないかと釜石は心の中で思ったがそれを伏せる。その代わりに荻野に意見を求めた。
「荻野さんはどう思いますか? 外を確認するか、しないか」
その問いかけに荻野は頭を悩ませる。しかし、結局分からないと言った表情を見せる。
「私は外を見るのは賛成しません。ですが止めもしません」
そう言って中立の立場を取った。
その返事を聞いた堅田は大きく頷く。
「じゃあ、二対一対一で外を確認するに決定だな」
そう言って自慢げな表情を浮かべている。しかし堅田からはそれに対してやる気が一切感じられなかった。
だがそれを示す証拠も意見もない。釜石はきっと気のせいだろうと無理やり納得させた。
「……そこまで言うなら仕方がない」
乗り気ではない釜石は小さくため息を付きながら堅田の提案を承諾した。




