第十七話
“何か”が女子トイレを出て暫くしてから林は外の様子を伺うようにしながら恐る恐る個室の扉を開ける。
そして隠れる際に消していた携帯電話のライトを入れて周囲を照らす。
大里は林の方を見ずに自身の精神を落ち着かせていると、
「なんじゃこりゃ」
と林は怯えた声が聞こえてきた。
「どうかしましたか?」
個室の中にいる大里には丁度林の身体が障害となって個室の外の様子が見えない。外には何があるのだろうかと不安になりながらもその詳細を林に尋ねる。
「……血の道が出来ている」
「血の道?」
大里は林の奇妙な発言に頭を悩ませながら、林の身体の隙間から外の様子を確認する。
そこに見えたのは赤い血溜まり。林の言うように赤い血の海が広がっていた。
その光景を見た大里は気分が悪くなり口元を抑えて頭を引っ込める。
「おい。大丈夫か?」
「は、はい」
大里は林に弱った声で返す。しかしその様子を林は見逃す事はなく、
「大里。一度そこで休んどいてくれ。さっきからずっと精神をすり減らしているだろ?」
と優しい口調で声を掛けた。
その一連のやり取りを聞いた高本と江森は外が安全になったのだろうと判断して二人が入っていた個室から出てくる。
その様子を確認した林は少しだけ顔をほころばせる。
「江森先生達も無事だったか。よかった」
「ええなんとか。何やら怪しい動きを色々としていたようですが見つからなくて良かったです」
江森は血の気が引いたままの顔で林に言葉を返した。
「林さんも無事だったみたいだな」
「ああ、まあな。ノックされた時は驚いたがな」
「確かにあれはやばかったな」
高本は林にそう言葉を返して、トイレのタイルに付着した血液を見る。
「それにしてもこれがさっき言っていた血液か」
そう呟いて、高本は自分の携帯電話で血の道を照らし出した。
その血を辿っていくと対側に設置された一回りほど小さい個室にべったりと付着していた。
高本はその扉をじっくりと観察する。見る限り何の変哲もない木製の扉だ。それを確認した上で高本はその扉のドアノブに手を掛ける。
ここに血の跡がべったりと付いていたという事はここから音が鳴ったのだろう。そう考えて息を飲む。そして逃げ出そうとしている自分の心を強く律しながらその扉を開けた。
その時扉の中から何かが迫ってきた。
高本はそれに間一髪気付き何とか回避する。
その扉から出てきた物は高本に当たる事が出来ず地面に激突する。
カンッ!!
甲高い音が女子トイレ内に広がる。
高本は急いでその音の主を確認する。それはモップだった。
それを一目確認し、掃除用具の中を確認する。
その中に特に気になるものなどはない。一通り確認した中でそれが高本の感想だった。
「そこは何かあったか?」
林は高本の表情が変化したのを見てから尋ねる。
高本は林の方を向いて、今まで調べていた扉を指差す。
「ここは掃除用具入れだ。この中のモップが倒れて音がなったんだろう。だが、動物がいたとか人間がいたとかはない」
「そうだったのか」
林は納得したようで頷く。
しかし、それに違和感を覚えた江森は林の感想に異論を唱える。
「でもそれっておかしくないですか?」
「なんでだ?」
「だってそんな急に掃除用具って倒れてきますか? 長い長い時間があった中で偶々このタイミングで倒れて来るのは偶然にしては出来すぎな気がします」
そう言われた林は頭を悩ませる。
「確かに、そう……だな。となると……俺達が来る前に誰かが触った可能性があるという事か」
そう言いながらゆっくりと林は一番奥のトイレの個室を見る。
「一つ気になっていた事があるんだが、どうしてこの扉は閉まっているんだ?」
林の問いかけに応じる者はいない。
その様子を見て、ここに何があるのか、もしくは何もないのかは誰も知らないのだろうと林は結論付けた。
「……よし」
扉を開ける覚悟を決めた林は扉の正面に立つ。そして扉の鍵の位置を確認する。
「林さん。それをどうするんですか?」
「壊すしかないだろう」
「そこまでしなくても……」
「この中に何が潜んでいるかわからないからな」
林は江森にそう言った後、改めて扉と向かい合った。
しかしその時、扉がキィィーと音を立ててゆっくりと開き始める。
そしてそれと同時に中から、「すみません。掃除用具については私達が触りました」と言う声が個室の中から発せられた。
扉の正面にいた林とその傍にいた高本と江森にはその中がしっかりと見えた。
その中にいる存在を見て林が声を張る。
「どうして……お前達がここにいる」
「林さん。すみません」
林は驚いたような嬉しいような顔をしてその様子を見ていた。
申し訳なさそうにしながら釜石は正面にいる林に謝罪する。しかし、林はその謝罪を無視して釜石の肩に手をポンと乗せる。
そして一言、「無事で良かった」と呟いた。
「申し訳ありません。皆さんを守り切る事が出来ませんでした」
釜石は自分達の失態を思い出して声を潤ませる。
「何かあったんだろ? 起こった事は仕方がない。あんまり気にするな」
「……はい。でも荻野さんと堅田さんが……」
「ああ堅田については知っている。階段の下で冷たくなっているのを俺と江森先生で発見した」
「やはり……そうでしたか」
林は自身を責めている釜石を励ますように肩を二回軽く叩いた後口を開く。
「自分を攻めるな。俺も塩田を助ける事が出来なかったしな」
「そう、ですか」
それを聞いた釜石は悲壮感を漂わせている。しかし自身を鼓舞するように首を横に振り、他の人の無事を確認するかのように林の後ろにいる人を見回す。
「……あの。……大里さんもいないようですが」
釜石は不安げに尋ねる。しかし、それに対して林は表情一つ変える事なく釜石の不安に対して回答する。
「大里は今あまり体調が優れなくてな。少し休憩しているところだ」
「そうでしたか!」
林の回答に満足した釜石は先程よりも明るく返事した。
その時、釜石の後ろから話を挟む機会を伺っていた帆秋が林に声を掛ける。
帆秋は内開きの扉に挟まれるようにして立っており、扉からは顔だけを出していた。
「申し訳ないけど、一旦ここから出して貰ってもいいかしら?」
林から見ても明らかに狭く苦しそうだ。
そんな状態である事に気付かず話し込んでしまった事を申し訳なく思いながら、「すまない」と一言詫びを入れて数歩後退する。
釜石達が入っていた個室からは釜石と帆秋が順に出てくる。
「えっと、帆秋? も無事で良かった」
林は辛うじて頭の片隅に残っていた名前を口にした。
その後で帆秋に聞こえないように警戒しながら林は高本に、
「彼女の名前って帆秋だったよな?」
と確認をとる。
それに対して高本は、「そうだ」と短く肯定した。
確認を取った林は高本に感謝を告げて釜石達に話しかける。
「釜石達には今までの行動について出来る範囲で色々と話を聞きたい。一体なぜここに来る事になったのか。その時に何があったのか。……お願いしてもいいか?」
「はい。大丈夫ですよ。では私からここまでの経緯を話させて頂きます」
釜石はそう前置きをしてから、この暗がりのトイレの中で静かに話を始めた。




