第十五話
林と江森は静まり返った駅の構内をゆっくりと歩く。夏の暑さに反してヒンヤリとした構内は本来の涼しくて心地よいはずだが、相変わらず何か不気味な重い空気が空間を満たしていた。
出来る限り足音を消すように歩きながら目的の階段まで目指す。とは言ってもトイレと階段までは近い。
ゆっくりと歩いていたのにも関わらず一分程度で辿り着く。
階段の入口に着いた林は高本がいるトイレの方を見る。
もちろん目の前には暗闇が広がっており林からは見えなかったが、高本は俺達の事は見えているのだろうなと感じた。
林は視線を階段の周辺に戻す。
そしてその手元の携帯電話のライトで順々に辺りを照らしていく。
「江森先生。何かある変わったものは見当たるか?」
「……いや、何もなさそう、ですね」
江森も半信半疑といった様子を見せる。
「そうか。でも、俺もそう思う」
「それなら本当に特に変化はないのかもしれませんね」
「……ああ」
林も心の中ではそう思いたかったが、なんとなく何かがありそうな気がしていた。
そこで林は江森に一つ提案をする。
「江森先生。この階段の下まで降りてみないか?」
「え!? 下まで……。流石に危なくないですかね?」
江森は明らかに困惑しているようだった。それに対して林は説得をする。
「ああ。どうせ下に降りて確認するんなら皆でいる時よりも二人の時の方が逃げ切りやすいだろ?」
「まあ、確かにそうですが……。でも、そのせいで見つかるリスクも高くなりませんか?」
「ああ、分かっている。でも、もし奴に罠を仕掛ける知能があるのならばここに何かあってもおかしくない」
「罠、ですか……」
江森はあまり乗り気ではなかった。しかし、警察官である林がそういうのならば何かあるのかもしれないという感情も少なからずある。
江森はその二つを葛藤させて結論を出す。
「分かりました。じゃあ、下の階まで行きましょう。ですが、それ以上は危険ですので何もなくても戻りましょう」
「ああ、分かった。そうと決まればすぐに行こう」
林は自信があるようにみえる表情をして一段ずつゆっくりと降りていく。
少し高本と話をして気が軽くなったのだろうかと江森は勝手に考察しながらその後をついていった。
階段の中腹に来て林は立ち止まる。そして何かを感じたのか今まで周囲を照らしていた携帯電話のライトを一点に集中させた。
「林さん。どうかしましたか?」
江森も林の雰囲気に合わせて声を小さくして尋ねる。
「何かがある」
「何か?」
そう言って江森は林のライトが照らす先を見る。確かに林の言う通り黒い何かがあるように見える。
「江森先生。あれは何か見えるか?」
「いや、流石に何とも。もう少し近づいてみないと」
「わかった。じゃあ、俺が先に行こう。合図したら降りてきてくれ」
「……はい」
ここに来てからずっと先頭を走ってくれる林に感謝しかない。恐らく警察官である自分が市民を守らなければいけないという思いからここまでしてくれるのだろうと江森は感じていた。
江森が思考している間に林は下の階へ辿り着く。そしてゆっくりとその何かを照らして確認しているようだった。
それが無害であると認識したのか林は手招きした。
江森は林の指示に従って階段を降りる。先に降りていた林はそれを確認すると、無言でその倒れている人を指差した。
「もしかしてこの人……」
「ああ。……多分堅田だ」
林の声色は先程よりも暗くなっている。江森も今日であったばかりとはいえ、一緒に探索した仲間のこうなった姿を見るのは辛かった。
その気持ちを押し殺して江森は堅田に触れる。体温を確認した後、服を捲り上げて堅田の外傷の有無を確認する。
やはり塩田の時と同じでその身体には特に傷などは一切見えない。
そもそもどうやって外傷を一つも付ける事なく人の生を奪う事が出来るのだろうか。そしてどうしてこのような殺し方で血の跡が出来るのだろうか。
江森はそれが不思議で仕方なかった。
そこで江森は本当に死んでいるのかどうかを確認するために総頚動脈を触れる。
……特に脈打つ様子はない。呼吸もしていない事から心肺が停止しているのだろうと江森は判断する。
本当を言えば心臓マッサージを行いたい所だが、触った感じではもう間に合わないだろう。そう思った江森は素早く堅田から手を離し、林を見る。
「どうだ?」
林は短く江森に尋ねる。
それに対して江森は首を横に振った。
「そうか。また、か」
「ええ。それよりも早く上に上がりましょう。堅田さん。体温がまだそこまで下がっていません。もしかすると奴が傍にいるかもしれません」
江森はそれだけを林に伝えてゆっくりと静かに階段を上がり始める。
林も江森の説明に頷いて、江森に習って階段を上がり始めた。
江森が先行して階段を上っていく。江森が中腹まで上った所で林がどこにいるかを確認するために振り返る。
林は江森の数段手前を歩いており、随分と上る速度が遅い。
それを不安に思った江森は林に小声で声を掛ける。
「林さん。どうかしましたか?」
「いや、大したことはない。もしかすると疲れているのかもしれない」
そう言って明るく振る舞う。そしてそのまま足を上げて階段を上ろうとした時に足が上手く上がらず段に躓く。
「ヤバい」
咄嗟にそんな声を出しながら林は階段へ盛大に転んだ。
その拍子に手に持っていた携帯電話が階段にぶつかったのか、コンッ! と大きな音が鳴る。
それが示す可能性に江森は恐怖して、こけた林の手を取る。
「林さん、起き上がれますか?」
「すまん。やってしまった」
「返事はいいですから立ち上がってください。もうすぐ奴が来るかもしれません」
焦りながら言う江森を見て林は急いで立ち上がる。
それと同じタイミングであの重苦しい気配が近付いてきたのを感じた。
林と江森は急いで階段を駆け上がる。最早足音を気にしている余裕はない。
上の階へ上がった時には二人は息を切らしていたが、それでもなお足を動かす。
林は画面の割れた携帯電話で必死に進行方向を照らす。
あちらこちらに光が飛び交う様子に違和感を覚えた高本が二人の様子を確認しに現れたのが映し出された。
「おい! どうした?」
何かあったのだろうと予想していた高本は二人に聞こえるように大きめの声で声を掛ける。それに対して林は息を切らしながらも、「後ろから来ている」と言葉を返した。
「そうか。それならこのままトイレに隠れよう。ここから他の場所に向かうのはリスキーだ」
高本の提案を聞いた林は、「わかった」と一言だけ残して高本を追い越しトイレへ向かった。その林に対して高本は声を投げかける。
「女子トイレに向かおう!」
林はその声に答える事はなかったが、それを理解していると言わんばかりに女子トイレへと侵入した。
高本は少し遅れてきた江森が近くまで来るのを確認した後、林の後を追って女子トイレへと向かった。
女子トイレへ侵入した林は大里とバッタリ出会う。大里は突然現れた林に驚いたのか、「きゃ!!」と声を出す。
初めからいるだろうと予想していた林は驚く事なく大里に声を掛ける。
「やはりここだったな。ちょうどよかった」
そう言って林は大里の手を掴み、一番近くの個室へと向かおうとする。
すると大里はすぐに右手を大きく振って払いのけ、小さな声で林に問いかける。
「どうしてこんなに所に来たんですか?」
「すまん。事情は後でいいか?」
「まさか出たんですか?」
「ああ。こちらに来るかもしれない」
納得した様子を見せた大里を見て、林は大里を連れて一番手前の個室へと入る。
丁度その様子を見た高本と江森はその次の個室へと隠れた。




