第十三話
林は駅長室の扉をゆっくりと開けて外の様子を伺う。
携帯電話のライトを消した状態では遠方は全く見えないが、視界に入る範囲では特に何も見当たらない。
それを確認した後、非常灯に浮かび上がった三人に合図を送る。
高本はそれに対して林に見えるように少し大げさ気味に首を縦に振る。
林は合図が後ろに控える三人に伝わったことを確認し、林は携帯電話のライトを付けて扉から外へと踏み出した。
憔悴した大里を隊列の間に挟み、先頭を林、殿を高本が務める。
その隊列を維持した状態でひとまずの目的地である観月駅ホームへと足を向ける。
三度目の恐怖に感覚が過敏になっているのか、自分達が作り出す足音さえ大きく聞こえてくる。
コツ。コツ。とタイル張りの床が自分達の存在を知らせるかのように音を鳴る。
大里はそれが鳴るたびに自分の首を絞めている錯覚に陥りながらも自分自身に言い聞かせながら重い足を動かす。
暫く歩いていると林の持つライトは下に向かう階段とその近くに設置されていたトイレが映し出す。
林はそれを少しだけ立ち止まって確認し、階段へと足を向かわせる。
しかし、その流れに逆らうように大里は立ち止まる。
「お、大里さん。どうしましたか?」
急に立ち止まった大里に対して江森は不思議そうにしながら小さな声で尋ねる。
「あ、あの。……少しお手洗いに行ってもよろしいでしょうか?」
大里は申し訳なさそうにして話を切り出し、赤らめた顔を隠すように俯く。
林はそれを聞いて、「ああ、気を付けて行って来い」といって送り出す。
「申し訳ないです。あと、このノートも持っておいて貰ってもいいですか?」
「ああ、構わないがそんなノートいつ手に入れた? 最初に出会った時には持っていなかったよな?」
「はい……。駅長室で見つけました。あの机に唯一入っていたものですのでもしかしたら何かの助けになるかもしれないと思って持ってきました」
「そうか。わかった。じゃあ預かっておく」
「ありがとうございます」
「気にするな。じゃあ行って来い。あと、何かあったら絶対に伝えろよ」
それを言われた大里は林に対して頷き、トイレへと向かった。
大里は自分の携帯電話のライトを点灯させて女子トイレのマークを目指す。
すぐ傍に三人がいるとはいえ、一人で行動していると考えると不安と恐怖がすぐ後ろにまで押し寄せている様な気がした。
トイレの女性マークを確認し、慎重に一歩ずつ足を動かす。
トイレの中に”何か”がいるかもしれない。もしそうならば私は死んでしまうかもしれない。そんなマイナスの思考がとめどなく湧き上がる。
それに伴ってゆっくりと落ち着かせた心拍数が再び上がり始めているのを感じた。
それを止めるために大きく息を吸込み、呼吸を止める。
これで思考が止まるとは思っていないが、せめてマイナス思考の妨げになればと思いながら大里はそれを実行した。
息が苦しくなった頃に数段の階段を上り終え、トイレの入り口に到着した。
自身の気持ちを晴らす勢いで空気をゆっくりと大きく吸い込む。
緊張した時に行うこのルーティーンは普段から無意識にしていたことであるが、こんな非日常にいるからこそ日常の感覚が非常に頼もしく感じた。
覚悟を決めてトイレの中をライトで照らす。
一見しただけだとそこに何かいるようには見えない。大里はトイレの中を見逃さないようにするために、手に持ったライトをゆっくりと動かしてじっくりとトイレ内を確認する。
どこのトイレにでもありそうな構造であり、便器や手洗い器、化粧台、掃除用具入れなどが設置されていた。外から見た限りそれらの構造物に特におかしなところはない。
一通り確認して何もない事が確認出来た事に少し安堵しながらも慎重に中へと入る。
トイレには個室は三つあるようで一つを除いて扉が開いている。
それを見て大里の表情が強張る。
何かがいる……?
そう感じた次の瞬間には、最大限まで展開された警戒心が頭の中で警鐘を鳴らしていた。
よくホラーゲームやホラー映画のような作品ではトイレでのホラー演出が多い。また、昔からある怪談でもそういった作品が存在する。
そんなホラーの定番であるトイレに自分一人。そして怪しいこの状況。
考えがそれに支配された事で今まで保っていた恐怖に打ち勝つための自制心が崩れたのを大里は感じた。
恐怖に身体は支配されて身体からは冷や汗が止まらない。
一刻も早くここから離れるために女子トイレを出て男子トイレに向かいたい。
大里はそう考えて一歩後退する。
しかしその時に自身の生理現象も我慢の限界であると初めて自覚した。
大里は思考力の低下した頭でどちらを優先すべきか必死に考える。
その中で大里は改めて扉が閉まっている個室に意識を向ける。
恐怖によって研ぎ澄まされた感覚を用いる。しかし、特別変わった気配は感じない。
もしかするとたまたま故障しているだけなのかもしれない。大里の頭の中でその仮説が浮かび上がる。
それでもそれは仮説の段階である事は否めない。その葛藤に終止符を打ったのは我慢の限界だった。
大里はせめてもの対応として閉まっている個室から最も離れた個室へ静かに入った。
個室の中は暗いためよく見えないがかなり綺麗だ。幸いトイレットペーパーも備え付けられており、目的を果たす分には困らない。
果たしていつからこのようにして存在しているのかは不明だが、経過したであろう時間と比較すると比較的保存状態が良さそうだった。
大里は恐怖を出来る限り警戒するために扉が閉まっていた一番奥の個室を警戒する。特にホラー作品で定番の場所である扉の上や下、隣の個室などに意識を向けた。
周囲を警戒しながらも用を終えた後大里は急いで三人の下へ戻る準備をする。
トイレの水は流したい所であるがこの状況ではリスキーだろう。そう思った大里はいつもと異なるルーティーンに気持ち悪さを感じながら便器の蓋を閉めた。
トイレの一番奥の個室にいるかもしれない存在を刺激しないようにゆっくりと扉を開けて、一度奥の個室を確認する。
今の所特に反応はないように見える。やはり本当に故障なのかもしれない。
大里はそんな感想を持ちながらトイレを出ようとした時に女子トイレに入ろうとしていた林達に出くわした。
突然の登場に敏感になっていた心が過剰に刺激される。出来る限り声を出さないように決めていた大里だが、その限界を超えたために、「きゃ!!」と声が漏れた。
一方で林はその様子に戸惑う様子を見せず、大里に声を掛ける。その額には汗をかいていた。
「やはりここだったな。ちょうどよかった」
そう言ってすぐに大里の右手を掴んで女子トイレの個室へと向かおうとする。大里は咄嗟に手を払い、声を小さくして林に尋ねる。
「どうしてこんなに所に来たんですか?」
「すまん。事情は後でいいか?」
「まさか……出たんですか?」
「ああ。こちらに来るかもしれない」
それを聞いた大里はそれ以上林に尋ねる事なく林とともに一番手前の個室に入る。
その様子を見て後から女子トイレに入ってきた高本と江森は出入り口から二つ目――一番奥の個室の隣の個室へと入っていった。




