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魔法少女は笑わない  作者: 巫 夏希
第五話 魔法少女の父!!

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第五章14 『アーカイブ・コア③』

 そこには一人の研究者が積み重ねた時間そのものが、まるで図書館のように静かに眠っていた。

 研究というものを僕は実際にやったことがないし、学校で研究と呼ばれるようなことをした経験といえば、せいぜい夏休みの自由研究ぐらいのものだけれど、あれですら真面目に取り組もうと思えば意外と面倒だったことを覚えている。何を調べるか決め、どうやって調べるか考え、結果を記録し、それを模造紙なりレポート用紙なりへまとめなければならない。子供の自由研究でさえそうなのだから、未知の魔法を扱う研究者ともなれば、その何千倍、何万倍という記録を残す必要があるのだろう。

 失敗した実験だからといって捨てて良い訳でもない。

 むしろ、何故失敗したのかという記録こそ重要になる場合もある。昨日失敗した方法を忘れて今日また試し、明日になってもう一度同じ失敗を繰り返していたら、それは研究ではなく単なる物忘れである。

 成功だけを残しても意味がない。

 成功へ至るまでに何を間違え、何を捨て、何を選び直したのか。

 その全てを残して初めて、次の人間が同じ場所から歩き始めずに済む。

 そう考えると、目の前に並んでいる膨大な記録は、黒津空我という人間が何を成し遂げたのかを示すものではなく、彼がどれほど多くのことに失敗してきたのかを示す墓標のようにも見えてきた。


「……これ、全部調べるんですか?」


 僕が聞くと、最上さんは一番近くにある棚へ視線を向けたまま、何とも言えない表情を浮かべた。


「全部読んでいたら、恐らくここで年を越しますね」

「それは困ります」

「私も困ります」

「年越しは家でしたいの」

「そういう問題じゃないだろ」


 クレアの答えに思わず突っ込んでしまったけれど、こういう下らない会話が出来る程度には、彼女も落ち着きを取り戻しているらしい。

 もっとも、表情までは普段通りとは言えなかった。

 クレアは書棚を見ている。

 正確には、そこに並んでいる背表紙を一つずつ確かめるように視線を動かしていた。


「何か知ってるものがあるのか?」

「分からないの」

「またそれか」

「でも、さっきまでとはちょっと違うの」


 クレアは棚へ近付き、背表紙へ触れない程度の距離で指を動かした。


「知らないはずなのに、どこに何があるのか分かるような気がする」

「図書館で昔読んだ本を探す時みたいな?」

「それよりも、家にある本を探す感じなの」


 なるほど。

 それなら僕にも何となく理解出来た。

 本棚を整理している人間なら分かると思うけれど、自分の部屋にある本の正確な位置というのは、案外覚えていないものである。何段目の右から何冊目、と尋ねられれば答えられない。それなのに、いざ必要になれば自然と手が伸びる。

 記憶というより習慣。

 知識というより感覚。

 身体が覚えている。

 クレアに起きていることも、それに近いのかもしれない。


「試してみる?」


 僕が聞くと、クレアは少し考えてから頷いた。


「箱庭計画の資料を探してみるの」


 それが一番だろう。

 僕達三人で何千冊もの資料を一冊ずつ確認するより、クレアの曖昧な記憶に賭けた方が遥かに早い。

 ただし、その記憶そのものが信用出来ないという問題はあるのだけれど、今さらである。

 クレアはゆっくりと歩き始めた。

 最初の棚を通り過ぎ、次の棚も通り過ぎる。

 迷っているようには見えない。

 時々立ち止まって背表紙を確認するものの、手に取ることはなく、そのまま奥へ進んでいく。

 僕と最上さんは、その後ろを黙って付いていった。

 やがてクレアは、一番奥に近い書棚の前で足を止めた。


「ここ」


 棚の上部には、小さな金属板が取り付けられている。


『K-00』

「K?」


 僕が首を傾げると、最上さんが横から覗き込んだ。


「Kleingarten、でしょうか」

「何です、それ」

「ドイツ語で小さな庭という意味です。日本では市民農園を指す言葉として使われることがあります」

「箱庭とは違いません?」

「違いますね。ですから、単なる推測です」


 あるいはKurotsuのKかもしれないし、研究分類上の記号に過ぎない可能性もある。

 アルファベット一文字から答えを導き出そうとするのは、流石に無理があるだろう。

 クレアは棚を見上げた。


「違うの」

「何が?」

「ここにあったはずなの」


 その言葉を聞いて、僕も棚を見る。

 そして。

 ようやく気付いた。


「……一冊ない」


 隙間がある。

 資料は番号順に並べられていた。

 K-001。

 K-002。

 K-003。

 その次。

 空白。

 そしてK-005。


「四番がないですね」


 最上さんが手を伸ばし、左右のファイルを確認する。


「抜かれた?」

「恐らく」


 誰が、という疑問は、もう必要なかった。

 少なくとも最有力候補はいる。

 僕達より先にここへ入った人物。


「足跡」


 僕は床を見る。

 書庫の床は薄い灰色で、埃がほとんどないため分かりにくい。

 それでも懐中電灯を斜めから当てると、僅かな靴跡が見えた。

 ここまで来ている。


「やっぱり、先客の目的はこれだったんですね」

「そう考えるのが自然でしょう」

「じゃあ、もう持っていかれた?」

「それなら戻った足跡がないことを説明出来ません」


 そうだった。

 入った人間はいる。

 出た人間はいない。

 なら、まだここにいる。

 僕は書庫の奥へ視線を向ける。

 棚はまだ続いていた。

 ここから先は照明が点いていない。

 暗闇。

 その向こうに誰かがいるかもしれないと思った途端、それまで単なる書庫だった空間が急に別のものへ見えてくる。

 本棚というものは、意外と人間を隠すのに向いている。

 図書館で友人とはぐれた経験がある人なら分かると思うけれど、背の高い棚が何列も並んでいると、ほんの数メートル先にいる人間すら見えなくなる。声を出せば居場所は分かるけれど、相手が黙っているのなら、これほど隠れやすい場所もない。

 しかも、ここは地下。

 逃げ道も分からない。

 相手が敵か味方かも分からない。


「……誰かいるなら、出てきてくれませんかね」

「随分と他力本願ですね」

「隠れている人を探すより楽でしょう」

「出てきてくれる相手なら、最初から隠れませんよ」


 それもそうか。


「待って」


 クレアが言った。

 僕達は黙る。


「聞こえるの」


 今度は何だ。

 低い振動音は止まっている。

 機械の音もしない。

 空調すら聞こえない。

 僕も耳を澄ませる。

 しばらくして。

 聞こえた。

 紙。

 紙をめくる音だった。

 ぺらり。

 少し間を置いて。

 また。

 ぺらり。

 誰かが本を読んでいる。

 こんな状況で。

 こんな場所で。


「……随分余裕がありますね」


 僕が囁くと、最上さんが口元へ人差し指を当てた。

 分かっている。

 声を出すな、という意味だ。

 僕達は音のする方向へ進んだ。

 一列。

 また一列。

 本棚の間を抜ける。

 紙をめくる音は止まらない。

 一定でもない。

 機械的でもない。

 明らかに人間が読んでいる。

 時々、長く止まる。

 文章を読む。

 そしてページをめくる。

 その繰り返し。

 僕は妙な気分になった。

 恐怖というより、違和感の方が強い。

 侵入者がいる。

 こちらに気付いていないのか。

 それとも、気付いているけれど無視しているのか。

 どちらにしても不気味だった。

 最後の棚を曲がる。

 そこには、小さな閲覧スペースがあった。

 机。

 椅子。

 卓上灯。

 そして、人。


「……え?」


 思わず声が出た。

 人影は椅子へ座っていた。

 白衣。

 長い髪。

 背中しか見えない。

 机の上には一冊のファイルが開かれている。

 背表紙。


『K-004』


 なくなっていた資料。

 箱庭計画に関係すると思われる記録。

 それを、誰かが読んでいる。


「あなたは」


 最上さんが慎重に声を掛けた。

 返事はない。

 紙をめくる音だけがする。


「ここは立入禁止区域です。私達が言える立場でもありませんが、少しお話を――」

「遅かったですね」


 声。

 女性だった。

 聞き覚えはない。

 少なくとも僕には。

 けれど、隣で、クレアが息を呑んだ。


「知ってるのか?」


 小さく聞く。

 クレアは答えない。

 女性はファイルから目を離さないまま、もう一枚ページをめくった。


「正確には、早過ぎたと言った方が良いのかもしれません。黒津博士の想定では、もう少し時間が必要だったはずですから」

「父さんを知ってるの?」


 クレアが聞いた。

 その瞬間、ページをめくる手が止まった。


「知っていますよ」


 女性は答えた。


「あなたより長く、とは言いませんけれど、あなたの知らない黒津空我を、私はよく知っています」


 椅子がゆっくりと回る。

 白衣の女性が、僕達を見る。

 年齢は三十代ぐらいだろうか。

 細い眼鏡。

 黒い髪。

 随分と疲れた顔をしている。

 しかし、その人を見た瞬間、クレアだけが明らかに顔色を変えた。


「……先生」


 その呼び方に、女性は少しだけ目を細めた。


「覚えていたんですね、クレア」

「誰なんだ?」


 僕が聞く。

 クレアは答えようとして、言葉に詰まった。


「分からないの」

「でも、先生って」

「口から出たの」


 また、記憶より先に、身体が覚えている。

 女性はそんなクレアを見て、悲しそうにも、安心したようにも見える曖昧な表情を浮かべた。


「それで良いんですよ。黒津博士は、あなたが思い出さないことを望んでいましたから」

「お父さんが?」

「ええ」

「どうして?」


 女性はすぐには答えなかった。

 代わりに。

 机の上。

 K-004。

 そのファイルを閉じる。


「それを説明するためには、まず箱庭計画が何だったのかを知ってもらう必要があります」


 最上さんが僅かに身構える。


「あなたは何者なんです?」

「この施設では、主任補佐を務めていました」

「名前は?」


 女性は一瞬だけ黙った。

 何かを躊躇したようにも見えた。

 それから。


「御影冬華」


 そう名乗った。


「黒津空我の研究助手であり、時間隔離実験の担当医です」


 担当医。

 その言葉に、クレアの肩が僅かに震える。

 御影さんは、それを見ていた。


「そして」


 彼女は続ける。


「観察対象七番――黒津クレアの記憶処置を担当した人間でもあります」


 クレアの記憶。

 消えた過去。

 この療養所。

 時間隔離実験。

 その全てを知る人間が。

 ようやく。

 僕達の目の前に現れた。

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