第五章13 『アーカイブ・コア②』
『ARCHIVE CORE』
その文字を見た瞬間、僕は最初に「アーカイブ」という単語の意味を考えた。
最近ではコンピュータ関係の言葉として耳にすることが多いけれど、本来は保存とか記録とか、公文書館とか、そういう意味だったはずである。インターネットの世界でも、過去のページを保存しておくサービスをアーカイブと呼ぶし、テレビ番組だって放送が終わればアーカイブとして残される。
つまり。
残すための場所。
それがアーカイブだ。
では。
ここには何が保存されているのだろう。
研究資料か。
実験記録か。
あるいは。
もっと別の何かか。
「コア」
最上さんが小さく呟く。
「中心部、という意味ですね」
「アーカイブの中心」
「恐らくは」
「だったら」
僕は苦笑する。
「いかにもラスボスの部屋みたいですね」
「現実はそんなに親切じゃありませんよ」
「そうですか?」
「物語なら重要人物ほど奥へ配置されますけれど、現実では責任者の部屋が入口の隣だったりすることも珍しくありませんから」
言われてみればその通りだった。
社長室が会社の一番奥にあるとは限らない。
院長室だってそうだ。
校長室も、職員室の隣にある学校は珍しくない。
ゲームばかりやっていると、最奥には重要人物がいるものだという先入観を抱いてしまう。
現実はもっと効率で出来ている。
……もっとも。
今僕達が立っている場所は、現実なのかどうか少々怪しいところではあるのだけれど。
何年も閉鎖されていた地下施設。
動き続ける時計。
声だけで開いた扉。
そして。
クレアを歓迎する表示。
どれを取っても現実離れしている。
しかし、それを全部魔法の一言で片付けてしまうのは簡単だけれど、僕はどうしてもそれだけでは説明したくなかった。
魔法だから。
便利な言葉だ。
便利過ぎる。
世の中には『仕様です』と言えば大抵の不具合が誤魔化されるゲームもあるけれど、魔法もそれと似たようなものなのかもしれない。
説明出来ない。
だから魔法。
理解出来ない。
だから魔法。
そう考え始めた瞬間、人間は思考を止めてしまう。
黒津空我という研究者が嫌ったのも、きっとそこだったのではないだろうか。
魔法だから仕方がない。
そんな結論で満足するような人間なら、ここまで大掛かりな施設を作る必要はない。
魔法を理論へ落とし込み。
再現し。
保存し。
未来へ繋ぐ。
それが研究だ。
だからこそ、この地下施設には、魔法使いである僕達ですら理解出来ないほど膨大な設備が用意されているのだろう。
「和史」
クレアが袖を軽く引いた。
「どうした?」
「聞こえなくなった」
「音が?」
「うん」
確かに。
さっきまで聞こえていた低い振動が、いつの間にか止んでいる。
静かだった。
静か過ぎた。
地下というのは本来、もっと色々な音がするものだ。
空調。
配管。
滴る水。
建物の軋み。
完全な無音というものは、むしろ不自然である。
だからだろうか。
僕は音が消えたことよりも、音がないことの方が気になった。
「止まりましたね」
最上さんも辺りを見回している。
「電源が落ちたんでしょうか」
「でも照明は点いてますよ」
「ええ」
だから不思議なのだ。
照明は生きている。
表示器も動いている。
なのに、さっきまで施設全体を震わせていた振動だけが消えている。
まるで。
僕達がここへ来たことを確認した途端、役目を終えたかのようだった。
「嫌な静けさですね」
僕が言う。
「静かな方が安全じゃありません?」
「分かりません」
最上さんは即座に否定した。
「病院でも工場でも、普段鳴っている音が突然止まる時というのは、大抵何かが起きています」
「それは経験則ですか?」
「ええ。動いていることが当たり前の設備が止まる時は、故障か、あるいは誰かが止めた時です」
誰か。
その言葉に、自然と三人とも通路の奥を見る。
ここへ来るまでに見つけた足跡。
黒い扉の前で終わっていた足跡。
戻ってきた形跡はない。
つまり。
僕達より先にここへ入った誰かは、まだこの先にいる可能性が高い。
「最上さん」
「分かっています」
最上さんは鞄から小型の懐中電灯をもう一本取り出した。
「念のためです」
「二本持ってきてたんですね」
「一つ壊れた時の予備ですよ」
やっぱりこの人、準備が良すぎる。
魔法使いというより登山家の方が向いているのではないだろうか。
いや、登山家にも失礼か。
少なくとも僕よりは遥かに危機管理能力が高い。
僕だったら懐中電灯一つだけ持ってきて、電池切れで詰む未来しか見えない。
「行きます」
最上さんを先頭に、僕達は『ARCHIVE CORE』と表示された扉へ近付く。
今度の扉には認証表示は出なかった。
ただ静かに閉じられているだけだ。
しかし、その表面には無数の細かな傷が刻まれていた。
「傷?」
僕は指でなぞる。
浅い。
刃物の跡ではない。
もっと細い。
「爪……?」
自分で言ってから嫌になった。
人間の爪で金属に傷など付くだろうか。
普通は無理だ。
でも。
普通ではないとしたら。
「内側ですね」
最上さんが言った。
「え?」
「傷は外ではなく、内側から付いています」
言われてよく見ると、その通りだった。
塗装の剥がれ方が逆なのだ。
誰かが外から引っ掻いたのではない。
閉じ込められた何かが。
中から。
扉を引っ掻いた。
そんな跡だった。
僕は思わず息を呑む。
療養所。
研究施設。
保存区画。
そして……この傷。
頭の中で、それぞれが勝手に繋がり始める。
想像というものは便利な反面、時として残酷だ。
証拠がなくても最悪の結論を導き出してしまう。
もしかしたら、工具で付いた傷かもしれない。
事故かもしれない。
ただの経年劣化かもしれない。
それなのに。
人間は一番怖い答えを先に想像してしまう。
だから怪談が成立する。
だから都市伝説が生まれる。
そして。
だから僕達は、この地下へ来てしまった。
「開きます」
最上さんが取っ手へ手を掛ける。
今度は認証も何もない。
静かに。
重たい音を立てながら扉が開く。
その瞬間だった。
鼻を突く匂いがした。
「……紙?」
思わずそう呟いた。
古本屋へ入った時のような、乾いた紙の匂い。
インク。
革。
木製の棚。
それらが長い年月をかけて混ざり合った独特の香りだった。
「これは……」
最上さんも言葉を失う。
部屋の中は、書庫だった。
天井まで届く本棚が、規則正しく並んでいる。
紙のファイル。
製本された報告書。
手書きのノート。
分厚いバインダー。
それらが何百冊、いや何千冊という単位で整然と保管されていた。
僕は思わず呟く。
「……これ全部、黒津空我が?」
返事はなかった。
しかし。
答えは、恐らくイエスだった。
そこには一人の研究者が積み重ねた時間そのものが、まるで図書館のように静かに眠っていたのである。




