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魔法少女は笑わない  作者: 巫 夏希
第五話 魔法少女の父!!

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第五章10 『箱庭計画』

 観察対象七番。

 その言葉が、しばらく頭から離れなかった。

 七番。

 番号。

 名前ではない。

 黒津クレアではなく。

 娘でもなく。

 魔法使いでもなく。

 ただの番号。

 人間というものは、名前を与えることで相手を個人として認識するのだと思う。

 もちろん番号で呼ばれる場面だって世の中にはいくらでもある。

 病院の受付。

 銀行の窓口。

 整理券。

 受験番号。

 囚人番号なんてものもある。

 人数が増えれば、名前より番号の方が管理しやすい。

 だから番号そのものが悪いという訳ではない。

 問題は。

 父親が。

 自分の娘を。

 観察対象七番。

 そう呼んでいたことだった。


「……クレア」


 僕は声を掛けた。

 返事はない。

 クレアはベッドの横に立ったまま、シーツへ触れている。

 いや。

 触れているというより。

 指先を置いたまま動けなくなっている、と言った方が正しいのかもしれない。

 今、彼女が何を見ているのか。

 僕には分からない。

 思い出しているのか。

 見せられているのか。

 あるいは。

 過去が向こうから押し寄せてきているのか。

 その違いすら分からない。


「……大丈夫なの」


 しばらくして。

 クレアは言った。


「聞いてないのに大丈夫って言う時は、大抵大丈夫じゃないんだよ」

「和史は細かいの」

「最近学習したんだ」

「誰から?」

「お前から」


 クレアは少しだけ僕を見る。

 笑わない。

 それでも。

 さっきまで過去だけを見ていた目が、ほんの少し現在へ戻ってきたような気がした。


「もう、見えないのか?」

「見ようと思えば見える気がするの」

「じゃあ見ない方が良い」

「どうして?」

「頭が痛くなるんだろ」

「でも」

「でもじゃない」


 我ながら。

 さっきから同じことばかり言っている。

 しかし。

 同じことを言わないと止まらない相手なのだから仕方がない。


「今は、部屋を調べた方が良いんじゃないですか」


 最上さんが言った。


「記憶だけに頼るより、記録が残っている可能性を探した方が安全でしょう」

「記録」

「実験室なら、何かしら残しているはずです」


 確かに。

 実験というものは記録を残すために行うようなものなのだろう。

 結果。

 条件。

 失敗。

 成功。

 再現性。

 そういうものを積み上げなければ、科学も魔法も研究として成立しない。

 研究者という職業は、派手な発見よりも地味な記録の方が多いと聞いたことがある。

 映画なんかでは、白衣を着た科学者が突然叫ぶ。

 成功だ。

 完成した。

 人類は新しい時代へ進む。

 しかし実際には、その直前まで何百回、何千回と同じような実験を繰り返しているのだろう。

 失敗。

 失敗。

 失敗。

 たまに成功。

 そしてまた失敗。

 研究というのは、そういうものなのかもしれない。

 それを考えると、観察対象七番、という呼び方がさらに嫌な意味を持ってくる。

 七番がいるなら一番から六番もいた可能性が高い。


「最上さん」

「同じことを考えていました?」

「多分」


 僕は部屋の外を見る。

 01。

 02。

 03。

 そして、この部屋。

 07。


「番号って」

「ええ」


 最上さんも頷いた。


「部屋番号ではなく、観察対象の番号だった可能性があります」

「じゃあ」

「他にもいた」


 クレアが言った。

 僕達は彼女を見る。


「思い出したのか?」

「違うの」


 クレアは首を横に振る。


「でも、たぶんそうなの」


 感覚、なのだろう。

 だが。

 今までのことを考えると、簡単に無視することも出来ない。


「一号室から見ますか?」

「先にこっちを調べましょう」


 最上さんは観察窓の向こう側を指した。

 ガラスの向こう。

 机。

 椅子。

 古いモニター。

 棚。

 書類らしきものも残っている。

 そちらへ入る扉が、部屋の端にあった。

 鍵は。

 開いていた。

 観察室へ入る。

 こちら側は、クレアがいた部屋とは少し空気が違った。

 暖かい。

 いや。

 普通の温度なのだろう。

 クレアの部屋が異常に低かっただけだ。


「温度差」


 僕は呟く。


「保存のためでしょうか」


 最上さんが答える。


「何を?」

「それを調べるんですよ」


 またそれだ。

 分からないことがある。

 調べる。

 分からないことが増える。

 また調べる。

 ここへ来てからずっとその繰り返しだった。

 謎というものは解けば減っていくものだと思っていた。

 しかし実際には。

 一つ解くと二つ増える。

 まるで借金みたいだ。

 元金を返しているはずなのに利子の方が増えていく。

 あまり経験したくない話ではあるが。


「モニターは使えないですね」


 最上さんが機械へ触れる。

 古い液晶。

 いや。

 かなり分厚い。

 ブラウン管に近いのだろうか。

 電源ボタンを押しても反応はない。


「流石に電気は来てないか」

「さっきの振動の正体と、ここの設備が動いている理由は別なのかもしれません」

「時計は動いてますけど」

「魔法道具かもしれません」


 便利だな。

 分からないものを全部魔法に出来る。

 昔の人が雷を神様の怒りだと思ったのと、あまり変わらない気がする。

 とはいえ。

 この世界では本当に魔法が存在するので、笑うことも出来ない。


「書類があります」


 最上さんが棚へ向かう。

 僕達も近付いた。

 ファイル。

 何冊も。

 黒。

 白。

 青。

 特に分類されているようには見えない。

 背表紙。

 文字。

 年月日。

 そして。


『時間隔離実験』


 僕は思わず読む。


「さっき、クレアが言ってた」

「ええ」


 最上さんが一冊取り出す。

 埃。

 ほとんど付いていない。


「……やっぱり」

「誰かが最近触ってる?」

「可能性は高いですね」


 足跡。

 切断された南京錠。

 綺麗な地下施設。

 そして。

 埃の少ないファイル。

 僕達以外の誰か。

 どこまで先回りしているのだろう。


「開けますか?」


 最上さんが聞く。

 今度はクレアを見る。

 クレアは少し迷った。

 そして。


「開けるの」


 頷いた。

 ファイルの一ページ目。

 難しい。

 予想通り。

 何が書いてあるのか、ほとんど分からない。

 術式。

 座標。

 魔力波長。

 位相。

 時間軸。

 何だろう。

 数学と物理学と魔法学を全部混ぜて、そのまま煮込んだみたいな文章だった。


「読めます?」

「一応」

「流石ですね」

「全部ではありませんよ」


 最上さんはページをめくる。


「専門領域が違いますから」

「魔法にも専門ってあるんですね」

「当然でしょう」


 当然らしい。

 医者にも内科や外科がある。

 研究者にも専門がある。

 なら。

 魔法も同じ。

 言われてみれば当たり前なのだけれど。

 僕はどこかで、魔法使いなら魔法について何でも知っているようなイメージを持っていた。

 ゲームのキャラクターみたいに。

 しかし。

 現実では。

 専門外は分からない。

 それが普通なのだろう。


「概要だけなら」


 最上さんは文字を追う。


「対象者を、通常の時間軸から一時的に隔離する実験ですね」

「隔離」

「簡単に言えば」


 最上さんは少し考える。


「時間を止める、に近いです」


 クレア。

 僕は反射的に彼女を見る。


「私の魔法」

「似ていますね」

「似てる?」


 クレアが聞く。


「同じじゃないの?」

「分かりません」


 最上さんは首を横に振った。


「クレアさんの魔法は、周囲の時間を遅らせるものだと私は理解していました。しかし」


 ページをめくる。


「これは違う」

「どう違うんです?」

「遅らせていません」

「じゃあ?」

「切り離しています」


 切り離す。

 時間から。

 その言葉を理解するのに、少し時間がかかった。


「つまり」


 僕は言う。


「時間が止まってるんじゃない?」

「正確には、止まる必要すらないんです」

「……?」

「通常の時間軸から外れるのであれば、外側から見た時間の進行そのものが意味を持たなくなる」


 全然分からない。

 いや、少しは分かる。

 でも、分かったと思った瞬間に分からなくなる。


「冷凍保存みたいなもの?」


 僕は聞く。


「比喩としては近いかもしれません」

「冷凍する代わりに時間から外す」

「そうです」


 なるほど。

 つまり、保存。

 そういうことなのだろう。

 人間は昔から保存を続けてきた。

 食べ物。

 記録。

 文化。

 遺伝子。

 腐るものを腐らせない。

 消えるものを消さない。

 失われるものを残す。

 保存とは、時間への抵抗なのかもしれない。

 冷蔵庫も。

 写真も。

 本も。

 全部。

 時間によって失われるものを、少しでも長く留めようとする装置なのだろう。

 だとするなら。

 時間そのものから外してしまえば、究極の保存になる。


「でも」


 僕は聞く。


「そんなこと出来るなら、凄くないですか?」

「凄いですよ」

「病気とか」

「はい」

「老化とか」

「はい」

「全部止められる?」


 最上さんは、すぐには答えなかった。


「理論上は」


 その一言が、妙に重かった。

 病気。

 老化。

 死。

 時間から離れる。

 それが出来るなら。

 人間は、何を保存する?


「でも」


 クレアが言った。


「失敗したの」


 僕達は、同時に彼女を見る。


「思い出した?」

「少しだけ」


 クレアは、自分の腕を抱える。


「寒かったの」


 さっきの部屋。

 異常に低い温度。


「ずっと」


 クレアは続ける。


「時計を見てたの」

「時計?」

「いっぱいあった」


 壁に並んでいる。

 何十個もの時計。


「全部違う時間になって」

「今と同じ?」

「分からない」


 クレアの呼吸が、少しだけ速くなる。


「クレア」

「大丈夫なの」

「だから」

「大丈夫」


 強い声だった。

 止めるな。

 そう言っているようにも聞こえた。


「お父さんが」


 クレアは、観察窓を見る。

 向こう側。

 今、僕達がいる場所。


「ずっと見てた」

「実験を?」

「私を」


 その違いが。何なのか、僕には分からなかった。

 ただ。

 クレアにとっては、大きな違いなのだろう。


「優しかった?」


 思わず、聞いてしまった。


「え?」

「その時の空我博士」


 クレアは、黙った。

 少し、長い沈黙。


「分からない」


 そう答えた。

 でも。

 今までの「分からない」とは、少し違う気がした。


「和史君」


 最上さんが、ファイルの最後の方を見ていた。


「何か?」

「これ」


 指差す。

 記録。

 日付。

 結果。

 失敗。

 中断。

 そして、最後のページ。


『第七観察対象における時間隔離実験、継続不能』


 その下。


『精神同期率の低下』

『記憶混濁』

『人格識別境界の消失傾向』


 嫌な言葉が並んでいる。


「どういう意味です?」

「恐らく」


 最上さんが言う。


「クレアさんは、時間から切り離される過程で」


 一度、言葉を止める。


「自分が誰なのか、分からなくなり始めた」


 僕は、クレアを見る。

 クレアは、何も言わない。


「そして」


 最上さんは、ページをめくった。

 もう一枚。

 手書き。

 印刷ではない。

 乱れた文字。


『実験中止』


 そして、その下。


『以後、第七観察対象への実験を全面禁止する』


 署名。

 黒津空我。


「……お父さん」


 クレアが呟く。

 そして、もう一行。

 その下に、小さく書かれていた。


『箱庭計画への転用を禁止する』


 僕は、その文字を読む。


「箱庭」


 クレアも、同じ言葉を口にした。

 知らない名前。

 知らない計画。

 しかし。

 黒津空我は、娘に行った時間隔離実験を。

 そこへ転用することだけは、明確に禁じていた。

 その時、低い振動が。

 再び、地下区画全体へ響いた。

 今までより、はっきりと。

 まるで、その名前を、誰かが聞いていたように。

 箱庭計画。

 僕達は、この時まだ、その言葉が。

 後に、ノアの方舟へ繋がる最初の名前であったことを、知る由もなかった。


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