↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法少女は笑わない  作者: 巫 夏希
第五話 魔法少女の父!!

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/67

第五章5  『見覚えのない記憶④』

「……あれ?」


 その声は、誰かへ向けられたものではなく、自分自身へ向けられたものだったのだと思う。

 クレアは立ち止まっていた。

 そして、自分が歩いてきた道を見ている。

 別に何か特別なものがある訳ではない。

 伸び放題になった雑草。

 ひび割れた舗装。

 朽ちた案内板。

 どこにでもある廃墟の風景。

 しかし。

 だからこそ不自然だった。


「何でここへ来たんだ?」


 僕がそう尋ねると、クレアは困ったように眉を寄せた。


「分からない」

「分からない?」

「うん」


 そして本当に分からないらしかった。


「何となく」


 嫌な言葉だった。

 何となく。

 人類が発明した言葉の中でもかなり便利な部類に入ると思う。

 何となく覚えている。

 何となく知っている。

 何となくそう思った。

 何となくやった。

 理由が存在しなくても成立してしまう万能の言葉だ。

 便利だが、その分だけ危険でもある。

 何故なら説明を放棄出来てしまうからだ。

 しかし。

 今のクレアは誤魔化しているようには見えなかった。

 本当に理由が分からないのだろう。

 それなのに。

 迷いがなかった。

 それが不気味だった。

 人間は知らない場所へ来ると迷う。

 いや、正確には迷うというより確認する。

 右へ行くべきか。左へ行くべきか。——それとも、この道は正しいのか。

 そもそも進んで大丈夫なのか。

 そういう判断を無意識のうちに繰り返している。

 考えてみれば当然だ。

 原始時代なら、それは生死に直結していたのだから。

 茂みの向こうには肉食獣がいるかもしれない。

 毒蛇がいるかもしれない。

 崖があるかもしれない。

 だから人間は周囲を観察する。

 観察して。

 判断して。

 安全だと確信してからようやく前へ進む。

 旅行が疲れるのも同じ理屈なのだろう。

 知らない駅。

 知らない街。

 知らない店。

 人間の脳は延々と情報処理を続ける。

 どこに出口があるのか。

 どこで乗り換えるのか。

 危険はないのか。

 そういうことを考え続ける。

 だから疲れる。

 逆に自宅というのは驚くほど楽な場所だ。

 トイレの場所も知っている。

 冷蔵庫の場所も知っている。

 どこで躓くかすら知っている。

 だから安心出来る。

 しかし。

 クレアは今。

 初めて来たはずの場所を。

 まるで自宅の廊下を歩くみたいに進んでいた。

 風が吹いた。

 木々が揺れる。

 ざわざわと葉が擦れ合う音が聞こえる。

 それだけだった。

 妙に静かだった。

 いや。

 音はある。

 風の音もある。

 鳥の鳴き声もある。

 遠くを走る車の音も聞こえる。

 だから静かという表現は間違っている。

 しかし。

 静かだった。

 矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど、人間は時々そういう感覚を抱く。

 人が大勢いるのに静か。

 明るいのに暗い。

 賑やかなのに寂しい。

 言葉というのは意外と曖昧だ。

 そして曖昧だからこそ、人間の感情を表現出来る。

 もし世界の全てを数値で表現しなければならないのなら、詩人という職業は存在しなかっただろう。


「静か」


 クレアが再び言った。


「まだそれか」

「うん」

「何が静かなんだ?」

「分からない」


 本人も説明出来ないらしい。


「でも」


 少し考えて。

 クレアは続けた。


「何かがない」


 何か。

 それが何なのかは分からない。

 しかし。

 最上さんは少しだけ難しい顔をしていた。


「魔力ですね」

「魔力?」

「恐らく」


 最上さんは周囲を見渡す。


「流れがありません」

「そんなことあるんですか?」

「あります」


 即答だった。


「場所によって魔力濃度は変わりますから」


 何だろう。

 最近の魔法理論は思ったより科学っぽい。

 濃度。

 流れ。

 何だか気象予報みたいだ。

 あるいは花粉か。


「魔力警報とか出るんですか?」

「出ません」

「残念」

「出たら出たで大変ですよ」


 それはそうかもしれない。


「ただ」


 最上さんは建物を見上げる。


「ここまで極端なのは珍しいですね」

「極端?」

「ええ」


 少し言い淀む。


「空っぽです」


 空っぽ。

 その言葉が妙に耳に残った。



 ◇◇◇



 旧天白療養所は近くで見ると想像以上に大きかった。

 三階建て。

 横に長い。

 窓ガラスの大半は割れている。

 コンクリートは黒ずんでいる。

 外壁には蔦が絡み付いている。

 人間がいなくなって何年経つのか知らないけれど、少なくとも建物は確実に死へ向かっていた。

 最上さんの言葉を借りるなら——死骸。

 確かにその表現は間違っていないのかもしれない。

 人間もそうだ。

 生きている時と死んだ後では同じ身体でも全く違って見える。

 病院も同じなのだろう。

 人がいるから病院になる。

 人がいなくなればただの建物だ。

 しかし。

 だからこそ不思議だった。

 人間はどうしてこういう場所に惹かれるのだろう。

 療養所という言葉を聞くと、僕は何故だか文学作品を連想する。

 病院ではなく療養所。

 病室ではなくサナトリウム。

 意味は似ているはずなのに受ける印象が違う。

 牢屋と監獄。

 屋敷と館。

 死体と遺体。

 言葉というのは不思議なものだ。

 たった一語変わるだけで空気が変わる。

 そしてサナトリウムという言葉には、どこか終着駅のような響きがある。

 そこへ辿り着いた人間は長く留まる。

 あるいは。

 二度と帰れない。

 そんな物語を人類は何度も書いてきた。

 だからだろうか。

 この建物を見ていると、まだ誰かがいるような気がしてくる。

 もちろん気のせいだ。

 そんなことは分かっている。

 分かっているのだけれど。


「和史」


 クレアが呼ぶ。


「何だ?」

「こっち」


 そして迷いなく歩き出した。

 フェンス沿い。

 雑草の隙間。

 崩れたコンクリート。

 僕なら避けそうな道を。

 クレアは何故か正確に選んでいく。

 そして。

 建物の裏手へ回り込んだ。

 そこに。

 扉があった。



 ◇◇◇



 鉄製の古い扉。

 半分ほど蔦に覆われている。

 恐らく職員用の出入口。

 普通の来訪者が使う場所ではない。


「何で分かった?」


 聞いてみる。

 クレアは答えない。

 いや。

 答えられないのだろう。


「知ってる」


 小さく呟く。


「でも」


 続く言葉は震えていた。


「知らない」


 昨日から何度も聞いている矛盾。

 知っている。

 しかし知らない。

 覚えている。

 しかし思い出せない。

 それはまるで。

 壊れた記録媒体みたいだった。

 クレアが扉へ手を伸ばす。

 錆びている。

 冷たい。

 そして。

 何十年もの時間を閉じ込めているように見えた。

 考えてみれば奇妙な話だった。

 鉄に記憶はない。

 コンクリートにもない。

 木材にもない。

 しかし人間はそこに歴史を見出す。

 誰が最後に触れたのか。

 誰が最後に開けたのか。

 誰が最後に閉めたのか。

 そんなことを考える。

 まるで物に記憶が宿っているかのように。

 だから。

 その瞬間だった。


「っ――!」


 クレアが突然頭を押さえたのは。

 苦しそうに顔を歪める。

 そして。

 彼女の視線が。

 扉の向こう側を見つめたまま動かなくなった。


「クレア?」


 返事はない。

 ただ。

 彼女の瞳だけが。

 今ではないどこかを見ているようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。