第五章3 『見覚えのない記憶②』
廃墟というものに人が惹かれる理由は何なのだろうか。
例えば遊園地。
例えばホテル。
例えば病院。
営業中の施設に興味を持つ人間はそこまで多くないにもかかわらず、閉鎖された途端に人は興味を示し始める。
不思議な話だ。
別にジェットコースターは営業中でも乗れるし、ホテルも宿泊出来るし、病院だって利用出来る。
なのに。
廃墟になると見たくなる。
入りたくなる。
写真を撮りたくなる。
そして怒られる。
大体セットである。
まあ、怒られるのは当然なのだけれど。
「つまり」
最上さんが言った。
「人間は禁じられると興味を持つ生き物なんですよ」
「禁断の果実みたいな話ですか」
「そんな感じですね」
何となく分かる。
入ってはいけないと言われると入りたくなる。
触るなと言われると触りたくなる。
押すなと言われると押したくなる。
人類の歴史を振り返ると、大体そんな感じで進歩している気がしなくもない。
もちろん滅びかけたこともあるのだろうけれど。
そもそも禁忌という概念そのものが、人間社会と切っても切り離せないものなのかもしれない。
神話や昔話なんかを思い出してみてもそうだ。
開けてはいけない箱。
覗いてはいけない部屋。
足を踏み入れてはいけない森。
触れてはいけない知識。
そういうものが物語には必ずと言って良いほど登場する。
そして主人公は大抵、それを破る。
破るから物語になる。
もし約束を守る主人公しか存在しなかったら、世の中の神話や伝説の大半は数ページで終わってしまうだろう。
浦島太郎は玉手箱を開けないし、パンドラも箱を開けないし、青ひげの妻も隠し部屋を見ない。
平和ではある。
平和ではあるのだけれど、少々退屈だ。
だから人間という生き物は、退屈よりも危険を選ぶことがあるのかもしれない。
好奇心は猫を殺すという。
しかし同時に、人類をここまで発展させたのもまた好奇心なのだろう。
「でも」
クレアが首を傾げる。
「それだけ?」
「何がです?」
「人間が廃墟を好きな理由」
最上さんは少し考えた。
そして。
「死んだからですよ」
と答えた。
「……いきなり怖いこと言うな」
「怖いですか?」
「怖いだろ」
「そうですかね」
本人は本気で分かっていないらしい。
怖い。
普通に怖い。
「だって」
最上さんは続ける。
「廃墟というのは施設の死骸でしょう?」
その表現は初めて聞いた。
聞いたことはないのだけれど。
妙に納得してしまった。
「人間が死体に興味を持つように、施設の死体にも興味を持つんですよ」
「その例えは大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないかもしれません」
どっちだ。
とはいえ。
言いたいことは分かる気がした。
人間は終わったものに惹かれる。
それは歴史好きが遺跡を見たがるのと少し似ているのかもしれない。
ローマ帝国は滅びた。
安土城は燃えた。
恐竜は絶滅した。
しかし人類はそういうものを調べ続ける。
今存在しているものより、失われたものの方に価値を見出すことすらある。
そう考えると、廃墟人気というのも案外自然なのだろうか。
いや。
だからといって勝手に侵入して良い理由にはならないのだけれど。
◇◇◇
そんな会話をしながら。
僕達は地下鉄へ乗り込んだ。
旧天白療養所。
今は使われていない施設。
心霊スポット。
火災。
失踪事件。
そして。
差出人不明のメール。
ここまで条件が揃うと、むしろ行かない方がおかしい気がしてくる。
いや。
本来は行かない方が正しい。
正しいのだけれど。
僕達の周囲では正しさが時々迷子になる。
魔法使いが存在する時点で今更だろう。
と言われると否定出来ない辺りが悲しいところである。
地下鉄の車窓から見える景色というものは、実のところあまり面白くない。
いや。
地下鉄なのだから当然なのだけれど。
窓の外に広がるのは基本的に壁である。
時々照明。
時々非常口。
そしてまた壁。
新幹線のように景色が流れていく訳でもなければ、路面電車のように街並みが見える訳でもない。
だから地下鉄で窓の外を眺める人間は少ない。
大抵はスマートフォンを見る。
本を読む。
寝る。
あるいは何も考えない。
しかしクレアは違った。
真っ暗な窓の外を見続けている。
何かを探しているようにも。
何かを思い出そうとしているようにも見えた。
◇◇◇
「ねえ」
移動中。
クレアがぽつりと言った。
「どうした?」
「私ね」
少しだけ迷うように。
言葉を選ぶように。
クレアは続ける。
「本当に思い出せないの」
「療養所のことか?」
「うん」
僕は黙って聞く。
「知ってる気がする」
クレアは窓の外を見る。
地下鉄なので真っ暗だった。
見るものは何もない。
それでも見ている。
「行ったことがある気がする」
小さな声だった。
「でも」
そして。
「絶対に行ってないの」
その言葉には確信があった。
矛盾している。
知っている。
行った気がする。
でも行っていない。
普通なら成立しない。
成立しないのだけれど。
クレアがそこまで断言する以上、何か理由があるのだろう。
人間の記憶というものは案外いい加減だ。
昨日食べた昼食すら思い出せない人間が、十年前の出来事を正確に覚えている保証などどこにもない。
裁判の証言が食い違うのもそうだし、兄弟で昔話をすると全然違う内容になっていることも珍しくない。
記憶というのは録画ではなく再構築だと聞いたことがある。
思い出す度に少しずつ形を変える。
だから人間は過去を美化するし、時には都合よく忘れる。
だが。
今のクレアの様子は少し違った。
思い出せないのではない。
思い出すことを拒絶されているような。
そんな違和感があった。
「夢とかじゃないのか?」
「違う」
「どうして?」
「夢じゃないから」
全く説明になっていなかった。
しかし。
クレア自身も説明出来ないのだろう。
それだけは分かった。
◇◇◇
一時間後。
僕達は目的地へ到着した。
もっとも。
目的地と言っても建物の前ではない。
そこから少し離れた場所だ。
現在の旧天白療養所は立入禁止区域になっている。
当然である。
廃墟なのだから。
管理者だっているだろうし、安全性も保証されていない。
むしろ勝手に入る方がおかしい。
だから。
本来なら。
ここで引き返すべきだった。
そう。
本来なら。
◇◇◇
「……あれ」
その時だった。
クレアが立ち止まる。
「どうした?」
返事はない。
クレアは一点を見ていた。
道路の先。
林の向こう。
古びたフェンス。
そのさらに奥。
既に閉鎖された建物の影。
そして。
誰も居ないはずの場所。
「今」
クレアが呟く。
「いた」
ぞくり。
と。
何故だか分からないが。
背筋に冷たいものが走った。
「誰が?」
僕がそう聞いた瞬間。
「……お父さん」
クレアはそう答えた。




