6-(2) 李紫龍の詮議 (安心院蕎花と黄泉平坂)
「ああ、なんてことになってしまったのか」
そう心中で悲嘆するのは侍中で帝の側近中の側近である桑国洋。いま桑国洋は集光殿の朝集の間に、そうろうとして立っていた。
天井高く広々とした朝集の間には朝服に身をつつんだ群臣。奥の数段高い位置には玉座。
朝集の間には朝議の開始一時間以上前から人が集まり、そこかしこで雑談となっている。そして雑談する廷臣たちは久しぶりの朝議に誰もが目をギラギラさせていた。
今回の朝議のお題は『李紫龍の詮議』で、妻を呼びだしての問詰。
桑国洋がため息一つしてから思う。
「廷臣たちにとって問詰とは糾弾することだ。いや糾弾といいかえてもまだ美しくとりつくろっているか。言葉で責めていびりたおすことだな」
そして呼びだされた安心院蕎花はもう一児の母とはいえまだ20代。年配者の多い廷臣たちからすれば小娘だ。
「そんな小娘を言葉でいびれば帝の覚えめでたい。おいしい仕事というわけか。いまの朝廷には、まったくろくな人材が残っていない」
桑国洋は皇帝の友人といえばはばかられるが、それに近い存在といっていい。そんな侍中桑国洋からすれば、
――帝は諸君らの栄達のための道具ではない。
と不快な気分だ。
いや――と桑国洋が思う。
「有能なものたちが惑星ミアンへいってしまっているからこそ、無能がアピールできるチャンスか」
桑国洋は鬱々として朝議の開始を待った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お主らが、ここでぬくぬくと弁を踊らせている間。我らは命をとして戦っておったというのにその言い草か!」
安心院蕎花の一喝が朝集の間に響いていた。
廷臣の1人が約2年前の戦争、星間会戦での中央軍の進退へネチネチと難癖をつけたのだ。中央軍の責任者は夫の李紫龍で、蕎花その次席で副司令官。
蕎花は廷臣の嫌味を、
――お主になにがわかろうか!
と、嚇となってはねつけたのだ。
朝集の間に入ってからの蕎花の不快が爆発したといっていい。
蕎花が朝集の間に一歩踏み入れたとたん廷臣たちからは好奇の目。蕎花は朝議が始まる前、朝集の間に入ったとたんにから不快な気分にさいなまれ、いらだっていたのだ。
朝集の間を進む蕎花は、こやつらの獲物が入ってきという下卑た目が気に入らん。と、不快の底を行くようなかたちとなって証言台へとついていた。
蕎花に一喝され難癖をつけてきた廷臣はすごすごとさがってゆくなか、蕎花は、
――あと何人おるのじゃ。キリがないぞい。
と思い自分へ質問するために待つ廷臣たちが並ぶ場所へ顔を向け、ひぃ、ふぅ、みいの、むの、やの、とう……。と目で数え、
――10人以上か!
と心のなかで叫び声あげ、とうぶん終わりそうないと蕎花がうんざり、めまいを覚えた。
蕎花が次の質問者が質疑台へと立つのを待つなか、
――そもそもじゃ。この朝議の始まりかたが気に入らん!
と、朝議の始まりを思いだし憤慨。
朝議の開始は帝が玉座についた瞬間で、着座を確認した殿中大夫が、
「賊、名を李紫龍。賊の罪をつまびらかにし――」
と、声をはりあげたとたん蕎花は不快にまみれた。
――は?賊?賊とな?なぜ罪人確定なのじゃ?
朝廷は我が夫が裏切ったと断定したのか?確たる情報はないはずじゃが、意味がわからんぞ。蕎花が不快をとおりこし怒りを覚えるなか、殿中大夫の朝議開始の言葉が終わり、1人のでっぷりとした廷臣が進みでて、
「臣が考えますに李紫龍は忠臣といってよく、賊と断定するのは尚早。まずは李紫龍が謀謀反人かどうかを、明らかにしたほうがよいと存じます」
といった。
蕎花が廷臣の言葉に、
――当然じゃ。我が夫は裏切ったわけはない、
と気を良くしたが次の瞬間、
「加えて臣が考えまするに、最も李紫龍に近いものを問いただせば、李紫龍が〝謀反を起こしたかどは明らか〟でしょう」
という言葉に地獄の底へと叩き落された。
蕎花が心中で、
「こやつも我が夫が裏切ったことが前提か――!」
と叫ぶなか廷臣たちから蕎花へ、
〝李紫龍が裏切った〟
という前提の言葉責めが開始されていた。
それから2時間以上、蕎花はのどをからし夫のために必死に抗弁。蕎花は軍では参謀次長にあるぐらいで知恵も回る。加えて尊皇の志しは低い蕎花。その口舌に容赦はない。
そして抗弁する蕎花はしだいに、この茶番を許す首魁、朝集の間の一番高い位置に座る男。つまり皇帝へ、
――忠臣を疑うどころか、もう賊と断定とは立派な皇帝様よな。
と、鋭く冷えた感情を向け始めていた。
「賊紫龍は艦隊を率いて反乱軍を討伐へおもむいたのに、第二星系について先ずしたことは戦いではなく反乱軍との交渉。戦わなかった理由は、もとから反乱軍とつうじており裏切るつもりだったからではないのか?」
蕎花はこの程度の低い質問に慍然として、アホかこやつは、戦場におもむいたからといって、すぐさま戦闘が開始されるなどということは限りではない。軍人でなくてともわかりそうなことじゃ。と、廷臣の低劣な勘ぐりに腹が立つやら、あきれるやらだ。
「話にならん。現行で行なわれる作戦活動など、特殊な事情のもの以外は全部機密じゃ。ワシは今回作戦の外にいる。真っ先に交戦に入らなかった理由など知るわけがなかろう」
だが質問した廷臣は、だからなんだといわんばかり。論戦での攻撃材料は、なにも論理の疎漏を見つけて攻めたり、言葉尻を取るばかりではない。
「賊の親類という立場をわきまえておられるのか。本来なら後ろ手に縛って引きだすところを礼装まで許しているのですぞ」
廷臣は蕎花の不遜な態度を攻撃。
対して蕎花も負けていはいない、
「仮に我が夫が謀反しようと人殺しだろうとじゃ。親族にその罪はない。廷臣とはそれほど法律に疎いのか」
と、やれやれ、というようにやり返した。ウッと言葉につまる廷臣。
こんなやり取りと距離を置いて眺める男が1人。桑国洋だ。
侍中の桑国洋は蕎花の抗弁を見ていて気が気でない。
詮議の対象になる場合の抗弁は、
――知らない、存じません。わからない。
を、押し通せばいい。
それが蕎花は長々と言葉でやりかえし、真っ赤になって論破しようとしている。さらに悪いことに、そこまで弁舌がたくみでないのもいけない。
――彼女の抗弁と弁舌の切れは中途半端だ。
と、桑国洋は思う。
蕎花には廷臣たちを圧倒して黙らせるだけの技量がいない。と桑国洋は断定。こうなってくるとたとえ廷臣たちを言い負かしていても、蕎花の抗弁は裁定者である帝の心象を必ずしも良くしない。
そんな桑国洋の心配をよそに廷臣の質問は続く。
「まあよいです。では賊紫龍が2個艦隊を有して戦わなかった理由は想像もつかないというわけですな。いやはやい立派な参謀総長だ。よくその重任がつとまりますな」
「そんなことはない。敵軍は2個艦隊、李紫龍の率いた艦隊も2個艦隊。編成上の多少の数の差はあれ同数じゃ。艦隊決戦の優劣の決定的数字は1.5倍といわれておる」
「なるほどつまり、どういうことでしょう?」
廷臣が蕎花の言葉が足りないとばかりにいった。露骨な挑発だったが、とたんに蕎花の全身にいらだちの色。さっしが悪いにもほどがあると舌打ちせんばかり言い返す。
「つまり必勝の数を率いておらん。ゆえに交渉から入るのは妥当じゃ」
「なるほど率いさせられた兵が少ないと。大層ないいわけですな」
廷臣は当てつけのようにいってから、これ以上自分からの質問はないことを殿中大夫へつげ。帝へ一礼してさがっていた。
このような応酬がつづくなか、この朝議を召集したとうの帝といえば前で繰り広げられている幼稚な問答をほとんど聞いてはいなかった。
やり取りを眺める帝は、ただ李紫龍の妻という安心院蕎花の態度が、
――不快。
蕎花の帝への冷え切った思いはしっかりと帝へとどいていたのだ。
朝議の開始からいままで、帝には目の前の女から放たれる不愉快な言葉だけが耳底を打っていた。
そんなかまた帝の耳底を、
「帝が李紫龍の司令長官を親補としたとは笑わせるわ。ただ追認しただけではないか!」
とう不快な音が打った。
帝は不快げに首を振り、鼻で大きく息を吸ってから、
ハァ――!
と口で太く息を吐いた。
朝集の間全体が、その音を聞き逃さなかった。廷臣たちは蕎花を攻撃しつつも、たえず意識は帝へそそがれている。
――帝がお喜びになるような問で安心院蕎花を攻めたい。
ということに廷臣たちは全身全霊。帝の一挙手一投足どころか眉の小さな動きにも過敏だ。
帝の不快気なため息で朝集の間が一瞬にして静まり返り、廷臣たちの意識が鋭敏となり一斉に帝へと向けられた。先程まで騒がしたった朝集の間に衣擦れの音一つしない。
この生じた無言の間に、
――不味い!
と感じた桑国洋が、
「安心院参謀次長、御前であるぞ。言葉使いをあらためられよ!」
大声で放っていた。
侍中の桑国洋なりの助け舟だった。
桑国洋が見るに、帝は明らかに安心院蕎花へ不快感をいだいている。ここで言葉と態度をあらためなければ最悪、逆鱗に触れる。
逆鱗に触れた行きつく先は、
「大逆罪」。
大逆罪は帝が議会へ告発できる。桑国洋としては帝へ大逆罪の適用を口にさせるのだけはさけたい。グランダと星間連合が一つの国家となるという新しい時代へ進むなか、議会を通って刑が実行されても、議会で却下されても帝の権威は確実に損なわれる。
帝の呼吸一つで、凍りつくように静まり返った朝議の場だったが、桑国洋の一言でまた温度を取り戻し、朝議を取り仕切る殿中大夫が壇上の廷臣へ質問を続けるようにうながした。
そんななか桑国洋が助けたかった安心院蕎花は、桑国洋の突然の言葉に不快な色を見せただけだった。
廷臣たちの質問が再開され数分もたたないうちに帝から、
「もうよい」
という静かだが朝集の間の隅まで聞こえるはっきりとした声。
続けて帝は蕎花へ目を向け、
「安心院、朕から一つ問う」
と、いって一呼吸おき言葉を継ぐ。
「星間戦争とは何だった。グランダへ何をもたらした。その損益を述べよ」
蕎花が帝の問に直接応じようとするのを、殿中大夫が、
「お待ちください!返答は私へ。参謀次長といえども直答は許されませんぞ」
そういって慌ててさえぎった。蕎花の立場では帝との直接やりとりは許されないのだ。
さえぎられた蕎花が不遜な態度で、
――フンッ。
と鼻を鳴らした。
蕎花からすれば、この距離ならお主に聞こえるようにいえば、玉座上の偉そうな男にも聞こえるわい。ということで、アホらしいことこのうえない。
蕎花は殿中大夫へ顔を向け、
「矜大愚行。強壮志驕」
と放った。
蕎花はいい終えると、あごを少し上に上げ自分より高い位置にいる帝へ、
――どうじゃ腹が立ったろ?
冷えた視線をおくったが、蕎花の予想と違い帝は静謐としていた。
――なんじゃ、なんの反応もなしか。つまらん。
と蕎花が思った。
いま蕎花はかなり無礼で、不遜な言葉を放ったのだ。怒るなり、怒鳴るなり、なんらかの反応がでてもよさそうなものだった。証拠に静黙している帝とは正反対に朝集の間は色めき立って、ざわついている。
――矜大愚行。
は、矜大は、思い上がり人を見下した様をいう。愚行とはいうまでもなく愚かな行ない。つまり思い上がりで愚かな戦争を始めたと、星間戦争を批判した。
――強壮志驕
これは帝への批判。強壮は健康な様子、この場合は勇ましさで、これだけでは悪い意味ではない。だがそのあとに続く志驕。これは目標や考え方が傲慢という意味で、明らかにさげすむ言葉。
つまり蕎花は、
「居丈高で、驕り高ぶり無駄な戦争をやった」
と、真っ向から帝と星間戦争を非難したのだ。
蕎花が帝へ冷えた視線をおくりつづけるなか、帝の視線が少し動いた。蕎花の視線が帝のそれと絡む。瞬間、蕎花に、
「――ッ!」
という声にならない声。
蕎花のとらえた帝の目には、
――慍怒の炎。
それも凄まじい。そいて蕎花が帝の目のなかに見たのは、単純な怒りとか不快とかではなく、
――ズドン。
という全身に一気に降りそそぐ圧倒的な重さ。
蕎花は気圧され思わず一歩下がっていた。
蕎花は冷や汗をかきつつ、なんじゃ。怒っておったのか。ひげ顔のせいでまこと表情が読み難いぞい。と強がり、なんとか踏みとどまった。
蕎花の不敬な言葉で驚きにつつまれる朝集の間。
そのなかで一番ひどく真っ青になっている男が1人。殿中大夫だ。
殿中大夫は蕎花の不敬な言葉を、帝へ取り次ぐ必要があるが……、
――ふざけるな!こんな言葉取り次げるか!!
と顔も腋も汗でびっしょり。殿中大夫からすれば取り次ぐものの身にもなれというものだ。
窮した殿中大夫の目が泳ぐ、視線の泳いだ先に入ったのは時計。時間は朝議開始からすでに3時間を回ろうとしていた。慣例上朝議を打ち切ってもいい時間だった。
――これだ!助かった!
と思った殿中大夫が朝議の終了を呼びかけ、帝へ向き朝議を終わらせてもよいか判断を仰ぐ。
帝の唇がうごいた。なにかいったようだが朝集の間は朝議の終了が呼びかけられたことで一層ざわついていた。帝の言葉は蕎花だけでなく、ほとんどのものに聞こえなかった。
言葉を終えた帝がサッと玉座から立ちあがった。
朝議の終了を了解したということだ。殿中大夫が解散を宣言。
朝集の間の扉が開かれ、廷臣たちがぞくぞくと退出していく。蕎花といえば入ってきたときと同様に衛士に両脇につかれ朝集の間からでていいった。最後に朝集の間にはただ1人、青白い顔の桑国洋だけが残っていた。




